白熱戦はいつ終わる 野球部パロ。カプ要素薄。 「いいのか」 黙々と準備運動をしながら会長の声に振り返れば、マスクの向こう側から真剣な目がこちらを見ていた。眼鏡のレンズに隠されたそれは嫌に知的だ。野球部キャプテンであり生徒会長までやっているほどの人間だ、頭が切れることは周知の事実である。 もう準備は終わったらしい。プロテクターに包まれているせいで大きく見えるが、実はかなり細身なことはあまり知られていない。ついでに言えば、実はかなりの愛煙家なことも世間は知らないだろう。知られては困るというのが本当のところであるが。 「何がっすがね」 「明日の試合だよ」 「ああ……」 ボールをミットに軽くぶつけ、キャッチボールを始める。昨日は雨で本格的な練習ができなかったからか、体力は有り余っているのだ。すぐにピッチングに入ってもいいといつも言っているというのに、この人は相変わらず心配性だ。確かに、このタイミングでチームのエースに怪我があっては困ってしまうけれど。 ぱしん。渇いた音がグラウンドに響き渡る。皆はまだ寝ているのだろう。あと一時間もすれば、ここも人でいっぱいになる。 「大丈夫ですよ。あそこは強豪強豪騒がれてますが、監督の言ってた通りピッチャーはたいしたもんじゃ……」 「違ぇよ。お前個人の問題だ」 「俺、個人ですか」 「サードの古泉って奴。告白されたんだろ?」 ぱしん。 会長はまだ真剣にこちらを見る。何かを探ろうとしているのだろうまっすぐな視線に居心地が悪くなって、少し強めにボールを放った。何てことないように受け止められることなど分かってはいたが、やはり少し悔しい。そういう性格だからピッチャーに相応しいんだなと、出会った頃にこの食えない男は笑っていたが。 「……知ってたんすか」 「まあな。旦那のことを知らないんじゃ、女房失格だろう」 「はは。浮気現場を押さえられちまいましたね」 「浮気、ね。まだ返事してないんだろう、どうせ」 「ああ、はい」 古泉一樹。この地区で一番のスラッガーとして注目されている男だ。腕はもちろんのこと、なまじっか顔がいいからかファンクラブなんてものもあるらしい。細い体と綺麗な顔。容姿からは予想もつかない力強いスウィングとボールの芯を捕らえる才能に、俺も去年一年で三振をとれた記憶はない。いや、ホームランを一本も打たれていないだけでも十分だとマスコミは騒ぐだろうか。 好きなんです。そう言ったあいつの顔は、一週間経った今でもはっきりと思い出せる。いつもは人好きのする笑顔を絶やさないくせに真面目な顔で俺の肩を掴んできて。無駄にいい声で一言ずばり。俺の投げるストレートよりも真っ直ぐな告白だったように思う。俺は敵なんだぞという言葉にも、聞く耳持たずだった。驚いて何も言えない俺に、奴はキスまでしたんだったか。ああ何て男だ。 「男同士ですし、今は敵ですからね。余計なこと考えてられませんよ」 「余計なことか」 「ええ。俺の恋人は野球なんだよって、言ってやりました」 「くく、嘘つけ」 「ばれましたか」 「お前はそんな男じゃない」 しゃがんだ会長目掛けて、まずは肩慣らしに一球。直線を描いた白球は構えられたミットに吸い込まれていく。コントロールに問題はない。スピードを上げつつ上下左右に投げ込むが、調子は上々だ。この様子ならば明日の試合で無様な姿を晒すことはないだろう。 「俺ね、あいつにこう言ったんですよ」 「あん?」 「俺と付き合いたけりゃ、うちを倒すことだな」 「はっ、そりゃいい。お前の操もかけた試合になるわけだ」 「そしたら、あいつ何て言ったと思います? いいでしょう、受けて立ちます。僕らが負けるわけありませんから。ですって」 「ほう」 「すごい自信っすよね」 強い目だった気がする。こちらを射抜かんばかりのぎらぎらした目のままで、古泉はにこりと笑った。心底負ける気はしないと思っている奴の目だった。それはもう、俺の闘争心を存分に掻き立ててくれるような、熱い目線と言葉だった。 明日の試合は負けられない。俺がどうという話ではなく、あいつの鼻っぱしを折ってやらなければ俺達の夏は終わりやしないのだ。 堪らないなと思う。負けるもんか、三振を打ち取ってやると考えているこのときが、俺は一番楽しいのだ。それは目の前の男もそうなのだろう。彼の冷めているように見える瞳の向こうでは、いつだって炎が燃え盛っているのだ。それに気付いているのは俺以外にはいないだろう。チームメートでさえ、きっと知らない。 ぱあん。ボールの音に混ざるように皆が起き出してくる音が聞こえる。空が青い。今日はいい練習日和だ。 「明日、勝ちましょうね」 「当たり前だろ。俺の最後の試合には早過ぎる。お前を嫁にとられるわけにもいかないしな」 「頼りがいがありますねぇ」 「あほ。俺のリードとお前の球、あのメンバーで負けるわけねぇだろうが」 「当然です」 あのにやけ顔の空振りをイメージしてみる。悪くない。 ど真ん中をストレートが走る。ミットとボールの間で生まれた高い音が心地良い。この人相手に投げている間は負けないだろうと、妙な自信に胸が踊った。 「覚悟しやがれ、古泉一樹」 ゲームはまだまだ、始まったばかりだ。 END. |