欠損ピース 「楽しいですか?」 「楽しいよ。お前やみんなが楽しそうだから」 「っ、そうじゃなくて!」 もうこれで何度目だったか。イベントに行く芹澤に、今日も鷹司はついてきた。相変わらず内容はよくわからないそうだけれど、それでも芹澤の横で笑っていた。 イベントからの帰り道、何となく尋ねてみた。ずっと聞きたいことだった。その答えが、先ほどのようなものだろうというのも、予想がついていた。 不思議そうな困ったような笑顔でこちらを窺う鷹司に口を噤む。この人はわかってない。わかってないんだ。みんながどうとか芹澤がどうとか、そんなの関係ない。鷹司が楽しいのかと、それを聞いているのに。 「あなたの楽しいは不誠実です」 低い声。ずっと言いたいことだった。イベント中、如才なく微笑んでいる鷹司を見ては思っていることだった。はじめはこんなオタク趣味も嫌がらず付き合ってくれるなんて思っていたけれど、それがいつしか違和感に変わり、憤りになっていた。 「ボクらの趣味の中身にも、ボクら自身にも興味がないみたいだ。ボクは、ボクがいなくても、一人だってさっきのイベントをたのしめたのかって、そう聞いてるのに!」 鷹司はいつも微笑んでいた。たぶん、本当に楽しそうだった。でもそれはきっと、芹澤とは違う。イベント自体が楽しいんじゃない。イベントを楽しんでいるファンたちの空気を楽しんでいるだけで。 ぎゅっと唇をかむ。なんだかさみしかった。誰でも何でもいいから愉快な空気ならそれでいいのか。お前らのしていることなんかどうでもいいって、言われているような気分だ。そしてそんな風に思えてしまうくらいに、どこか距離を置いているように感じる鷹司の態度に、腹が立ってもいた。 「別にボクの趣味を理解してほしいなんて思ってない。わからなくてもあなたはボクのことも趣味のことも認めてくれた。だけどそれとこれとは話が別だ。自分の楽しさを人任せにしないでください。ボクはあなたが心から楽しいと思ってもらえる方がずっと嬉しい。自分が夢中にもならずにその場の雰囲気で楽しさを感じるのは、よくないとは言いませんけど、なんだかとても、悲しいことです」 目頭が熱い。泣くな泣くなと心の中で唱え続けてなんとか平静を保っている。勝手にキレて勝手に怒鳴って勝手に泣くなんて、そんな情けないことはしたくなかった。これ以上目の前の完璧すぎて悲しい人に、弱いところを見せたくはなかった。 「……ごめん」 しばらくの沈黙後、静かな謝罪が耳に届いた。 謝られるようなことなんてない。自分が一人で盛り上がっただけだ。 そう今の謝罪を取り消させようとしたのに、言葉は出てこない。鷹司は微笑んでいた。それなのに芹澤より、ずっとずっと泣きそうに見えた。 整った顔がギリギリのところで決壊を耐えている。そんな顔、させたいわけじゃなかったのに。 「俺、俺はさ芹澤」 無理矢理に口角を上げた唇から声が零れる。 「お前が言ったように自分で楽しいことを見つけられないんだ。何したって楽しくない。飽きっぽいのとも違う。そもそもはじめから夢中になれることなんて、今まで一度だってなかったよ」 そんな気は、していた。 芹澤が趣味にのめりこんでいるときもクラスが盛り上がっているときもいつも冷静にそこにいる。でも楽しそうなスタイルは保っていて、そういうところが余計に芹澤の違和感に繋がっていたわけだ。 なんだってできる完璧超人。彼が夢中になって何かしているところなんて、学校の誰も想像しえまい。 「楽しいと思えたことなんてない。まわりがそういう顔しているから俺もそう見せているだけだ。きっとこれが楽しいんだろう。皆が夢中になれるほど素晴らしいものなんだ。そうやって取り繕ってきた」 微笑みが、くしゃりと崩れる。ぐっと、息をのむ。 「きっと俺は、欠陥品なんだ」 成績優秀で容姿端麗スポーツ万能、人柄もよくて男女問わず虜にしてしまう男。鷹司正臣には似合わない言葉だ。でも冗談ではないんだろう。いつもの穏やかな雰囲気が薄まった表情を見て思う。 「何かに夢中にも必死にもなれない。物事の渦中に入り込めない。いつだって遠巻きに皆を見ているだけ。クラスの人なんかはそんな俺を見て大人だなんて言ったりするけど、そんなことない。少なくとも俺はこんな俺のこと、嫌な奴だと思ってる。楽しい空気に浸って自分は皆と同じだなんて思い込んで。人間のふりしてるだけなんだ、人まねの欠陥品なんだ。本当の俺はすごくすごく、嫌な奴なんだ」 成績優秀容姿端麗スポーツ万能みんなの人気者。なんでもそつなくできてしまうのは、どんな気持ちなんだろう。妬むばかりだった要素が突然鷹司にとっては重荷だったのだろうか、なんて思えてくる。 いつの間にか怒りに似た感情は消えていた。そんな芹澤に気付かないのか、鷹司はなおも続ける。泣くのかと思っていた。目じりが少し赤らんで、声から冷静さが失われつつあって、ぼろりと涙を流すのかと。でも鷹司は泣かなかった。痛々しいほどの微笑みを、絶やさなかった。 「不快にさせたんだ、謝らせてくれ。俺がいたことで心からイベントを楽しめなかったこともあっただろう。でもこれだけは信じてほしい。俺はお前の趣味のことも本当に好きになりたくて一緒に楽しみたくて勉強したんだ。だから雰囲気だけじゃなくて、その魅力も知っているつもり。それでも、やっぱり夢中にはなれなかったけど」 そうして顔を背けた彼は、 「どうしてうまくいかないんだろう。――芹澤が、羨ましいな」 とてもとても、悲しい顔をしていたものだから。 「探しましょう!」 気付けば鷹司の手を握って大きな声でそう宣言していた。ぽかんと、今にも崩れ落ちそうだった整った顔が間抜けに目の前に晒される。何を言っているんだと自分に突っ込みながら、回り始めた口は閉じない。 「オタクが性に合わないだけかもしれません! スポーツ? 文学なんてのもいいかもしれませんし、あとは音楽も得意でしたよね! ボクは演奏なんて高尚なことはできませんけど音ゲーなら少々……あ、あとライブに行ってみたりとか! リア充の巣窟ですけどこの際我慢しますどこまででも付き合います!」 頬が紅潮する。きっと今夜にでも今喋っていることを後悔するんだろう。でも今は、このまま口を噤んでいてはいけないと思う。 「勝手なことばかりで申し訳ない! でも、でも鷹司氏にも、ボクにとってのアニメみたいなものがあったら嬉しいなって、そう思うんです! だ、だから、ええっと」 いつの間にか鷹司は笑いだしていた。優しく穏やかなだけの微笑みじゃなくて、おかしくて仕方ないというような笑顔。その目の端に何かが滲んでいるような気がするけれど、見ないふりで声を張る。 「だからボクと一緒に探しましょう! 鷹司氏の、楽しいを!」 それと、ごめんなさい。そう頭を下げるとこちらこそなんて同じようにするので謝罪合戦になってしまった。鷹司は笑っていて、芹澤も笑った。今までなんとなく一緒にいたり遊びに出かけたりしたけれどはじめてこんな風に笑い合った気がした。友だちみたいだ。ぼんやり考えて、また頬に熱が溜まる。 中学のころを思い出した。他のクラスメイトはアニメよりもドラマや流行の音楽やおしゃれなんかに興味を持ち始めて、まわりと違う自分に不安になったりもした。友人ができてもそれは所詮趣味繋がり。それ以外の会話はぎこちなくて、何だかさみしくて。 もしかしたら鷹司も自分と同じなのかもしれない。 今まで遠くにいるように感じていた鷹司が、急に身近に思える。と同時に、彼と本当に友だちになって、また今のように笑い合えたらと望んでいる自分がいる。 彼がアニメに夢中にならなくたっていい。彼自身の趣味に没頭しているのを見守りたいし、たまには一緒にはしゃぎたい。 「よろしく頼むな、芹澤」 眩しい限りの笑顔が向けられる。差し出された手を握るなんてこれまで考えたこともなかった。完璧すぎる彼に近づかれこそすれ近づくなんて、出来ないと思っていた。 でも今は、自分のことを欠陥品なんて悲しい言葉で表現する彼と、触れあえることができる距離にいたい。 「絶対に、あなたを夢中にさせてみせます!」 「ふは、それってなんか違くないか?」 「はわあっ! ち、違いますけど違くないです! これで合ってます!」 ぎゅうと握った掌が熱い。頼りにされているんだ。思うと同時、芹澤はふんすと息を吐いた。 明日から、鷹司の趣味探しに大忙しだ。ネットをしたりアニメを見る時間は減るかもしれない。ライフワークが削られるというのに、さほど気にならなかった。一心に向けられる鷹司の笑顔。これが今後も見られるのならたいしたことじゃないのだから。 END. 2015/07/23 |