嵐の往きみち





窓を叩く雨粒が徐々にその勢いを増して、テレビから流れる遠方の被害状況に思わず溜め息を吐いた。激しい雨に強い風。テレビの地図では、大きな円がぼくたちの住む街をすっぽりと覆い隠してしまっている。
台風が来る。数日前から騒がれていたニュースだ、さすがに知っているし危険な場所にわざわざ駆り出すほど台風や雨が好きなわけでは当然ない。なので仕事からの帰りがてら少し鳥井の家へ寄りすぐ帰ろうと思っていたのに、酒をふるまわれ気持ちよく酔っているうちにいつしか窓の向こうは真っ暗。

「さすがにこの中を帰るのは危ないんじゃないのか」
「そうだね……。悪いんだけど鳥井、今夜止まらせてくれない?」
「構わねえよ。俺が引き留めたようなもんだしな」

鳥井のマンションは僕の住むアパートよりも数段よいのに、ガラスを叩き割ってしまいそうなくらいに雨が襲い掛かってきていて、建物ごと揺れているような感覚に襲われる。マンションがつぶれる心配よりも水没を心配したほうがいいのだろうが、幸いこの部屋はかなり高いところにある。さすがにここまで水が上がってくることはないだろう。
そわそわと窓に張り付いた僕に鳥井が肩を竦めるのが、ガラスに映って見える。馬鹿らしいとでも思っているんだろうか?
相変わらずおいしい食事をご馳走になって、もう一杯お酒をあおって、お風呂にも入った。台風の日に友人の家に泊まるというのはなんだか非日常で、学生のころの修学旅行を思い出す。不安感や恐怖心はいつの間にやら、わくわくとした気持ちに変化していた。

「ソファでいいか?」

寝巻に着替えた鳥井が、飽きもせず夜闇を眺めている僕に、呆れを含んだ声で話しかけてくる。手には毛布と枕。

「いいよ、ありがとう。あー本当に明日が休みでよかった」
「仕事があったとしてもこの雨じゃ会社まで行けるかどうかわからねえけどな。まあゆっくりしていけよ」
「うん、おやすみ。鳥井」
「おやすみ」

挨拶をしてソファに横たわった。悪戯じみた表情が上からどいて、電気が消される。室内は真っ暗。ガラスの向こうからかすかに雨音が聞こえるほかは静かな空間。ざあざあばたばたと耳を濡らす音は子守歌のようだ。
鳥井の部屋は安心する。夕食後のコーヒーの匂いやシャンプーの香りがふわふわと辺りを漂っているようで、胸がすうっと安らかになる。もしかしたら匂いだとかそういうものはすべて関係なくて、鳥井がここで暮らしているというそれだけで、僕は穏やかになれるのだろうけど。
大切だとか特別だとか、そういった言葉で誤魔化してきた感情。彼の暮らす部屋に一人残されると、そいつらがこっそりと忍び寄ってくるのを感じずにいられない。
僕は、自分自身に言い聞かせてきた言い訳たちの存在を知っていた。親友? 男同士? いくつもいくつも言い訳をして嘘を吐いて、彼から逃げてきた。僕がたとえば、その薄っぺらな唇に触れたいのだと告げたのなら、彼は裏切られたような顔で僕を罵るのだろうか。想像するだけで呼吸ができなくなる。もう十年以上も隣に居続けた鳥井。彼をなくして僕は、僕をなくした鳥井だって、生きていけるというのだろうか?
行動も言葉も簡単だ。だからこそ僕は慎重にならなくてはならない。僕は鳥井を失えない。だから絶対に逃げられないように、けれど同じ気持ちを返してもらえるように、逃げて逃げて逃げて、機会をうかがっているのだ。
雨の音に眠気を感じながら目を閉じる。ざあざあ、ばたばた。窓を揺らす音は心地よくも恐ろしい。鳥井と共に過ごすときのような気持ち。
ぱたん。雨音のなか、似つかわしくないものが混じって聞こえた。真っ暗な中目を凝らしてみれば、廊下へ出る扉が開いている。そこからこちらを覗いているのはこの家の主しかいないだろう。何も言わずこちらを向いている彼の表情は、わからない。
扉をしめて、裸足の足が床を踏みしめる音がいくつも聞こえる。僕が起きていることには気づいているのだろう、足音は躊躇いなくこちらを目指している。

「鳥井……?」

鳥井はソファの手前で足を止めた。長い前髪のかかった顔はやはりうかがえないけれど、なんだか少し不安定のように見える。何か、彼が不安になるようなことがあっただろうか?
そのとき、がたんとこれまで以上に大きな音をたてて窓が揺れた。何かぶつかったのかと心配に思うより前に、鳥井の体が大きく震えたことに気付く。寝巻を強く握りしめた指と、俯いたままの顔。おかしくなって、吹き出すのを堪える。
二人でいたときにはそんなそぶり見せなかったくせに。これは僕に酒を飲ませたのもわざとだったんだろう。一人になりたくなくて、僕に帰ってほしくなくて。
ああ、馬鹿だな鳥井。怖いなら怖いと言えばいいのに。隠さなくったって、今更その子どものように臆病な心を傷付けることを、僕がするはずがないんだ。

「鳥井」
「……」
「一緒に寝る?」
「……坂木がいいんなら」
「うん。それじゃあそうしよう」

毛布を手に取って立ち上がる。鳥井の寝室へ向かうことは彼も了承したようで、リビングを出る僕にしずしずとついてくる。ベッドはひとつか。明日が休みでよかったと心の底から思う、眠れなくても仕事に支障がでない。
鳥井は僕の服の裾を掴んでいる。本当に子どもみたいだ。幼児返りしたときとは違う、鳥井のままの弱さ。言葉では隠しても行動にして僕に見せてくれることがどれほど僕を舞い上がらせるのか彼は知らないのだ。
僕らの間に隠し事はいらない。だからきっと、僕もこの秘密を彼のまえにさらけ出してしまうときがくるだろう。それまでは逃げて、言い訳をして彼の親友のままでいたい。
けれど、少しくらいなら許されるだろう?

「う、わ」

ちょうどいい位置にある額へ唇を寄せる。艶やかな髪をかき分けて現れた、汚れの一つもないまっさらな額。なんとなくやらしいなと、笑いを零す。

「なにしてんだ!」
「おまじないだよ。鳥井が台風のせいで寝られないなんてことにならないように」
「お前な、ガキじゃないんだぞ……」
「うん、悪い」

ぶつぶつと言いながら僕を追い越してしまう。すぐに手招かれて、きっと寝室も雨の音がすごかったのだろうと想像する。
ああ、たのしい。修学旅行のようだなんて言ったけれど、もしかしたらそれよりずっと。楽しくて嬉しくて、このまま台風が行ってしまわなければと思ってしまう。被害にあっている人には悪いけれど。
だから今夜は、決して鳥井を離さないでおこう。彼が、僕が、逃げ出してしまわないように。





END.

2013/11/24

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