冷たい炎群

LOVEエンド後でクルビ後





夜中に目が覚めた。部屋の中は真っ暗で、時折車のライトがカーテンの隙間から入り込んでくる。その明かりを頼りに時計を確認すれば、四時を回ったところだった。
二度寝したいところだがあんまり寒くて眠気がやってこない。秋とはいえ何も着ずに毛布一枚でやり過ごせはしないらしい。むき出しの肩が冷たい。ぶるりと震えながら体を起こして、俺は隣でほとんどの毛布を持っていってやがる男をにらんだ。
呑気に寝顔をさらしているそいつは、でかい図体を縮こまらせて毛布にくるまっている。これが立ち上がれば見上げるほどの長身になるのだから、眠るときの体勢は身長に関係しないようだ。唯一見える顔は、まあ起きているときよりも穏やかな表情をしていて、俺はこんなに寒いのにとデコピンでもしてやりたくなる。
こいつは、石松は、初めて会ったときよりも年を取った。世間的にはもういいおっさんだろう。たしかに顔立ちは少し深みが増したように思うけれど、それ以外はむしろ若く見える方だと思う。ガタイのよさは相変わらずで、背の高さも相俟って人に威圧感を与えることに一役買っている。しかし髪の色は地毛であるやわらかな茶色で、前髪こそ長いがさっぱりとした髪形でもあるので爽やかといえば爽やか。スーツでも着てにこりと笑えば営業でもやっていそうな男前である。
キンパの長髪にモフモフにスーツ。オレの記憶に強烈に残っている要素は今のこいつにはもう残っていない。石松は変わった。けどそれは見た目の話で、こいつ自身は何も、何も変わっていない。俺と別れたあの日から。
俺はどうだ? キンキンに脱色したとは思えない触り心地の髪を弄びながら考える。アホらし、考えなくてもわかる。
俺は変わった。何もかもなくなった。持ってるのは自分自身の体と、この男への執着心くらい。他にはもう何も持っていないし、見た目だとか性根だとか、自分ではわからないが色々と変わったんだろう。変わってしまったんだろう。この男のせいで。
もぞりと、掌の中で髪が擦れた。起きたのか。これだけ近ければ暗いとはいえ何となく見ることができる。手の動きは止めずぼんやりと眺めていると、だんだんと眉間に皺が寄っていく。不機嫌そうに唸って、瞼がすうっと持ち上がっていく。切れ長というか細すぎて、目の色もわかんねえなと思いながら、俺はそれをじっと見ていた。

「……あ?」
「わりい、起こした。まだ早いから寝てろよ」
「あー……」

低い声で言いながら瞼が落ちていく。帰ってきたのが遅かったからまだ眠いんだろう。俺は今日は昼寝もしたし、いくらか前にスポーツにつき合わされたとはいえそれほど眠くもない。
再び石松が寝入るとぷつんと沈黙が落ちる。車もあまり通らない。暗闇のなか、俺は石松の髪をいじる。指先で撫でてみたり、感じないくらいかすかに引っ張ってみたり、指を通してみたり。
ひどく、穏やかな気持ちだった。おかしくなって笑いだしそうなくらいに、心穏やかで静かな夜だ。けどそのなかに燻っているものがあることを、俺は知っている。

「ゆるさねえぞ」

小さな声で呟いても、目の前の男は何も言わない。
ゆるさない、絶対にゆるさない。親友を、家族をころして、俺から奪って行った男。復讐のためだけに生きる男。こいつのせいで俺はすべてを失ったのだ。自分の目的のために俺を殴った、俺の復讐の最終目標。
こいつのせいだ。こいつのせいなのだと思わなくてはやっていられなかった。こいつを俺の生きる意味にするための言い訳が、たくさん必要だった。
俺が失ったものたちの責任が俺にあるのだとしても、それを認めるわけにはいかない。俺は復讐をしなくてはならないのだ、だから今もこうして、憎いはずの男と寝食を共にしている。仕方なくこいつと顔を突き合わせ、同じ家に帰り、ときたま抱かれる。仕方のないことだ。
絶対にゆるさない。こいつが死ぬときまで。
髪に触れていた指は、いつの間にか生白い首に向かっていた。太い首。軽く、指を押し当てた。とくとくと血潮を感じる。血管が脈打っている。ここに血が流れていて、だからこいつは生きている。こいつが俺の家族を殺すために掻き切ったところ。

「ころさないのか」

ひゅっと喉が鳴った。いつの間にか深かった呼吸は起きている人間のそれになっていたようだ。石松はまた起きて、けれど目を開くことはせず、俺に問う。

「ころさないのか」

笑いそうになる。何回聞いてるんだよお前。再会した日から何回も何十回も聞いている。そのたびにノーと答える俺の気持ちにもなってくれ。
笑おうとして、出来損ないのような空気が口から洩れていく。ああ、いやだ。やっぱり俺も疲れてるのかも。

「ころさねえよ」

こいつの「ころさないのか」が、死にたいでも殺してくれでもなく、「ころしてもいい」ということなんだと、俺は理解している。だからころさない。相手の情で成し遂げる復讐ほど情けないものはないからだ。それが罪の意識からだったりするのなら、余計に。
殺さない。今は。たぶん。いつかも。

「そうか」

石松はそのまま黙った。今度こそ寝たのかどうか、考えるのも嫌になってその太い首から手をどかす。
あくびが出てきたのでおとなしく横になる。毛布は半分以上奪い返した。機嫌悪そうな舌打ちが聞こえたが知ったこっちゃない、俺は被害者だ。毛布のなかは心地よくあたたかくてゆるゆると瞼がおりてくるのがわかる。
たとえば、こいつを殺すのが俺だったとして。恨み辛み悲しみ憎しみぜんぶ混ぜこぜにして、殴るなり刺すなりして殺したとして、それでもやっぱりこいつの体温の消える数瞬前には泣きたい気持ちになるんだろう。本当にもう何も残らない掌に、何か後悔さえしたりするのかもしれない。
たとえば、やっぱり殺すことなんてできなかったとして。復讐を果たせなかったことを家族や親友に謝りながら、それでも殺さなくてよかったなんて思うのだろうか。どんな死に方を石松がするにしろ、俺が手を下すことがなくてよかったと、そう思うのだろうか。
俺はこいつをゆるさない。ゆるしたときが紺野鉄平のおしまいだと知っている。だから、こいつが死ぬそのときまでゆるすことはできない。
けれどもしタイムリミットが五秒を切ったら、そのときようやく復讐を終わろう。同情とか憐憫とか、こいつが嫌がりそうな感情でもって、「ゆるさない」という呪いを解いてやろう。息が細くなって顔色が悪くなって、体温の消えていく体を見下ろしながら、ようやくその無駄にでかい男を抱きしめることもできるのかもしれない。
そして、そしたら、俺も俺をやめてしまっても、いいのかもしれない。
首と同様ごつい腕に額を寄せる。あたたかくて憎らしくて大嫌いな体温だ、はやく死ねと思うのに、いなくなられては困るとも思う。
あたたかくて、熱くて、このまま焼け死んでしまえばいい。ふたりとも。



お前が死ぬ五秒前までゆるさない





END.

2013/11/24

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