あなた
モブ後輩→律(モブ視点)





目立つ人ではないのだけれど、一部ではとても有名な先輩がいた。
染めているわけではないらしいが柔らかい茶色の髪と、あの晶先輩といとこと言われて納得するくらい女性らしさのある綺麗な顔立ち。背景のようにいつだって静かに人ごみに溶け込んでいる。地味だとさえ思えるのに気付いてしまうとどきりと心臓が音を立てるほど、不思議な存在感を持っている人。
その人は飯嶋律といった。見た目の綺麗さももちろんその存在を広く知らしめる一因であるのだけれど、それよりずっと衝撃的な噂。それによって彼は大学内のひそかな有名人になり、人を引き付ける容姿であるのに学生から少々遠巻きにされることになっている。
霊感があるらしい。というのを、最初に聞いた。次に、霊能力のようなものがあるらしい、という噂を聞き、今度は妖怪を使役しているんだそうだ、と。
この大学は民俗学に力を注いでいるのもあり、オカルトのような都市伝説を好む人が多い。飯嶋先輩は先に述べたように不思議な雰囲気を持つ人だ。またそのいとこの院生である晶先輩は、彼女の周りではよくおかしな現象が起こると伝説になっていたという話も聞く。様々な噂が混ざり合って、何やら愉快な認識になってしまったのであろう。
学食で一人食事する飯嶋先輩を眺めて思ったものだ。かわいそうに。勝手にファンタジーの住人にされて、人が寄り付かなくなってしまっている。あの人には何の罪もないのに。そう思っていた。
始まりはきっと、好奇心と同情だった。それから何となく先輩のことが気になってしまって、見つけると目で追うようになっていた。
先輩は基本的に誰かとつるまない。友人はとても少ないようで、たまに晶先輩や眼鏡の男性、ゼミの人らしい上級生と話しているけれど、だいたいは一人でいる。人ごみの間をすっと通り抜けて、まるで空気のように紛れ込んで、たまに人に気付かれてはあれが噂のとこそこそ指さされる。本人は特に気にしていないようだった。周囲の言葉なんて聞こえていないように飄々と、淡々と、僕の目の前を通り過ぎていく。不思議で綺麗な人だなという僕の先輩への印象は、なかなか豪胆な人というものに変わっていた。
また、人と接することが少ないからか、普段は無表情でいることが多い。笑いもせず、愛想のない人形のように俯きがちに歩く。
陰気くさい人なのかもしれないと思い始めた頃、今度はひどく不機嫌そうな表情をしているところを見かけた。いや、機嫌が悪いと言うよりは困ったような、苛立ちを感じているようなものだったように思う。いつもは床を眺める視線をどこか虚空に漂わせ、口元をゆがませる。何事か呟いたようにも見えた。これはもしかして、本当に少し気味の悪い人だったりするのか。
先輩の考察が二転三転する頃には、噂を聞いてから一年が経とうとしていた。



そのころ僕にはバイト先で知り合った彼女がいた。付き合い始めて三か月くらいだっただろうか。僕にはもったいないくらいに明るくはつらつとしたかわいい女の子で、そんな子に告白されたとなれば断る理由もない。ゆるく、けれどそこそこ真剣なお付き合いだった。僕はそのつもりだった。けれど、どうやらその子にとっては違ったらしく、

『誰かの代わりになら付き合ってほしくない』

という言葉を最後に振られてしまった。あまりに意味がわからない。浮気はもちろん、彼女と同時に誰かに懸想した記憶など一切ない。濡れ衣に違いなかったが、彼女は決して取り合おうとはしなかった。
さすがにくさり、学校に行く気も起きなかった。友人らに慰められようやく顔を出したのは、突然別れを切り出されてから一週間ほどが経った頃。病は気からというけれど、やけに頭が痛かった。どうにか講義を終え、さあ昼食だと食堂を目指す。そんな僕の目の前を、見慣れた背格好が通り抜けた。ああ、先輩だ。僕がいなかった間も当然のことながら先輩は学校へ通っていたのだ、なんだか不思議な感じがした。
一度視界に彼が入ると、ついつい目で追ってしまう。もはや癖のようになっていて、なんて気持ち悪いことをしているんだろうと目を逸らしかけた。
そのときの衝撃を、どう表現したらよいだろう。青天の霹靂、いや、それどころか青空を引き裂いて隕石が落ち頭に直撃するような、すさまじい衝撃だった。
先輩がこちらを見た。目が合って、嫌そうに眉間に皺を寄せられた。少し見つめ合い、そのまま歩いて行った。
言葉にすればこれだけ。時間ならば三秒もしなかったことだろう。しかしたったその三秒の間、あの先輩が僕を見たのだ。雷のような瞳が僕を映し、認識した。先輩と、視線が合った。
そのとき僕の頭の中では、別れ際の彼女の言葉がぐるぐるとまわっていた。





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