山眠るも秋は来ず マイクにつられてか、香ばしく甘い匂いにつられてか、一人の少年がゆっくりと進む車に近づいてきた。運転していた壮年の男性はそれに気が付くと、にかりと笑って進行を止める。 「買うか?」 興味深そうに石焼き芋と書かれたのれんを眺める少年に、男性は声をかける。 色の抜けきった髪に日本人らしからぬ黄色みを帯びた瞳。外人なのかもしれない。男性の言葉には笑みを浮かべて首を振ったので、日本語は通じるのだろう。朝夕は冷え込むというのに半袖のシャツに使い込まれた下駄。浮世離れしたというのはこういうことを言うのだろうなあ。男性は感心しつつ、じっと全身を眺めていた視線を少年の顔に固定する。あまりじろじろ見ても不快だろう。 高校生くらいの見た目だが、学校が終わった直後くらいの時間にもよらず鞄も持っていない。冷やかしだろうかと思うも、きらきらと輝く瞳になんとなく笑ってしまう。 「なんだ、もしかしてこういう車見るの初めてか? 最近は移動販売も少なくなったからなあ」 「ねえオジサン、いしやきいもってどんなの?」 「あ? 食ったこともねえのか。そりゃだめだ、もったいない。ちょっとこっち来い」 手招きし車の後ろ側へ移動する。少年も不思議そうにしながら大人しくついてきた。 釜の蓋をあけると、ぶわりと白い煙が湧き上がる。少年は一瞬息をつめたが、次の瞬間にはうわあと嬉しげな声を上げた。 蓋の向こう側には石が敷き詰められており、そのまた上にいくつものサツマイモが並べられている。どれもほかほかと湯気を上げ、火がすっかり通っていることを二人に訴えているようだ。香りも車を横から眺めるよりもずっと強く感じられる。 少年の表情が和らぐのを横目に見て、男性は軍手をし芋を一つ取り上げた。そのまま無言でくるくると器用に新聞紙に包んでいく。 「オジサン?」 「ほら、やるよ。初めて食うんだろ? 俺の焼く芋はうまいぞ」 「え、でもオレお金持ってないし……」 「いいよいいよ、気にすんな」 笑って言えば、少年もありがとうと笑みを返してくれる。やけに子どもじみた表情をするなあと思いながらも、素直に感謝されれば気分も悪くない。 首を傾げつつ芋に触れ、皮をむこうとしてあまりの熱さに眉をしかめる。子どもというより動物だろうか。苦笑しているうちに準備が整ったのだろう、少年はぱくりと小さく芋にかじりついた。と、一瞬後には、またはふはふと熱そうに表情を曇らせた。 「あ、っつ」 「大丈夫か、火傷すんなよ」 「うん。……あ、おいしい」 頬を弛めて二口三口と食べ進める様子に、男性も嬉しくなってくる。それと同時に、どうやら腹を空かせているらしい少年の食べっぷりに不安もよぎる。 「なあ、おまえ、そんな寒い格好でうろうろして、学校はサボりか?」 「あー、オレ学校行ってないんだよね。やっぱり変かな」 「いや、俺も高校なんてもんには行ってねえから変ってこたないと思うが、最近は珍しいかもなあ。じゃあ連れは? 誰かと一緒じゃねえのか」 「うん、今待ち合わせしてるとこだから大丈夫。もうすぐ来ると思うよ」 「そうか、ならいいが……」 どこか不思議な雰囲気漂う少年だが、何か危ないことに巻き込まれているということはないらしい。単純に服装が適当で成長期なだけかと、ほっと息をつく。 そもそも少年の着ている服は近隣の高校のものではない。学生というのは早とちりだったかと頭を掻きかけて、ふと、こんな見た目の少年がいるのならば近所の噂になっているはずではないかという考えが過る。 良くも悪くも、ここは小さな街だ。田舎と言って差し支えない。歳の近い学生同士はほぼ知り合いだろうし、その家族との付き合いも考えると、皆とても狭いコミュニティで生活している。こんな日本人どころか人間らしさも薄い少年が越してきたのならばすぐにでも耳に入ったはずだ。しかしこれまで一度としてそんな話は聞いたことがない。 ここへは訪れたばかりか、可能性は低いが観光だろうか。関わってしまったなら気になる。鼻を赤くして芋をほおばる少年に、それとなく尋ねてみようと口を開いた。 「ここに住んでんのか」 「ちょっと寄っただけだよー。多分すぐに移動するんじゃないかな」 「ああ、もしかして旅行中なのか」 「まあそんなとこ」 なるほどと一人頷く。この街を過ぎていくらか行くと、それなりに有名な観光地があるのだ。きっとそこへ向かっている途中なのだろう。 納得しながら、いや待てよともうひとつ疑問がぽこんと浮かぶ。この先の観光地は紅葉で有名なのだ、もうとっくに葉は散ったというし、今から行っても見るものはないのではないか。 少年はまだ、芋を口に運んでいる。 「おい、紅葉はもう終わってるぞ。何見に行くってんだ」 「ふうん、景色がいいところなんだ。けど、それが目的じゃないから、見れなくても大丈夫だよ」 「へ? じゃあ、何が目的なんだい」 景色を見る以外にあの街へ行く用事が思い浮かばなかった。特別都会というわけでもなく、少し車を走らせれば山しか目に入らなくなるようなところなのだ。知り合いでもいるのか、もしかしたら帰省なのか。 少年はにこりと笑った。 「待ってるんだよ」 「そりゃあ、今の話じゃねえか。待ち合わせしてるんだろ?」 「それとは別物。待ってる人がいるんだ。オレを早く見つけてほしいんだけど、見つけられちゃ困るんだ。だから逃げてるんだよ」 「なんだそりゃ……。鬼ごっこでもしてんのか、随分大仰だが」 「鬼ごっこかあ、うん。そんな感じかな」 意味深に口の端を上げて、少年はもとのように新聞紙で芋を包み始めた。まだ半分ほど残っていたが、持ち帰ることにしたのだろう。 不思議な言葉に首を傾ける男性に、少年の相変わらず人間くさくない笑みが向けられる。 「迎えが来たみたいだから行くね。お芋ありがとう、おいしかったよ」 「あ、ああ」 「それじゃあね」 無邪気に手を振って走っていくのを眺め、車に乗り込んだ。いつの間にか時間は過ぎ、赤く染まっていた空も藍色に浸食されつつある。本当に冷えるものだなと体をぶるりと震わせる。もう秋も終わり、坂を転げ落ちるように寒さはいっそうひどくなるだろう。 ふと、半袖の服を着た少年が心配になる。上着の一つでも貸してやればよかった、あのままでいたら風邪をひくだろう。 今からでも間に合うだろうかと、少年が走り去った方向に視線を向ける。山へと一直線の道が伸びているが、街灯に照らされる道のどこにも、人影は見当たらなかった。 「由! 心配したじゃねえか!」 山へ入った途端、黒い影に飛びつかれた。苦笑しながらそれを抱きとめた由は、ごめんごめんと軽く謝罪をしてまた叱られる。 ヒトビトは気付いていないだろうが、今この街の近くの山には多くのあやかしが潜んでいた。どれも特別害があるものではない。ただ、安住の地へ辿り着くまでの休憩所としてこの街を選んだにすぎなかった。昼間が終わり、夜が訪れるこの時間帯。ヒトの目に映ることのないようにと暗闇に紛れて行動をすることにしていたあやかしたちは、これからここを出る。 しかし、少し出てくるねと言って姿を消した由がなかなか帰ってこないことに、黒狐を筆頭としてあやかしたちは胸を冷やしていた。あやかしたちの主であるミコトもシンもおらず、神社に住んでいた力あるあやかしは多くがその命を絶たれてしまった。弱い彼らの心の拠り所は、主らに近しかった黒狐と由なのである。 もともと人間であり、あやかしの魂も眠りについているような状態の由を快く思わないあやかしはもちろんいた。しかし逃げようという二人の言葉にうなずいたのはあやかしら自身であり、今現在生き延びることができているのもまた事実。また住みよい場所を探すというのも魅力的であった。苦労せずヒトを食らうことのできる土地への希望は、まだ潰えていない。 影の街は、今やこの世のどこにも存在していないのだ。 「だいたいオマエが一人で出かけるなんておれは、……オイ、なんかいい匂いしねえか?」 「ああ、これ? さっきもらったんだー」 「こ、これは伝説の石焼き芋ッ! うおおお憧れてたんだ! なあ由、食ってイイっ?」 「そう言うと思って、半分残してきたんだよ。心配かけたお詫びにあげる」 もともと貰い物だけど、という呟きは、黒狐の大きな感謝の言葉によってかき消されてしまった。 目を爛々と輝かせ、贈り物の包装紙を開くかのようにじわりじわりと新聞紙を剥がしていく。そんな黒狐の様子を見ながら、由は先程の男性の微笑ましいものを見るような視線を思い出した。これほど喜ぶのならば、あんな表情にもなるだろう。自分ではわからないが、由も大概黒狐同様に嬉しがって芋をほおばっていたらしい。 「あっ、由、ちょっと冷めちまってるじゃねエか!」 「仕方ないでしょ、オレも食べたんだから」 「うーん、だがうまい! 甘くてホクホク! しかもあの声のする車に乗って売ってるんだろ? アレかっこいいよな……。おれも直接買いたかったな……」 「はいはい、また今度ね」 ぶつぶつと何やら愚痴をこぼしている黒狐を放っておき、休憩を終えたあやかしたちを集めに入る。あたりはすっかり暗闇に塗りつぶされている。ヒトの時間は終わり、これからあやかしたちが闊歩する時間が始まる。 「さあ、そろそろ行こうか」 これからいくらも歩き、由たちは安住の地を探すだろう。空環ほど住みよい土地が見つかるかは絶望的だろうが、それでもただ飢えて死ぬのを待つよりかはよほどましだ。 そしていつか、またあの地へ戻るのだ。影を呼び戻し、あやかしの街をつくるために。 そこまで考えて、由は思わず唇の端を持ち上げた。そんなことは絶対に許さないと眉を吊り上げた友人のことを思い出す。彼が生きている限り空環を取り戻すことは難しいかもしれない。それならば、彼の死を待って攻め込むまでである。 そんなのは卑怯だと、あのおかしいくらいに正義感の強い男は怒り狂うのだろうな。由はついに声をあげて笑う。だって仕方ないじゃないか。向こうから来ないのならばこちらから攻める理由もない。彼――秋良が邪魔であるのならば、その障害がいなくなるのを待つまでだ。悔しいならば自分から由たちを倒しに来ればいい。そこまで鬼にもなれないから、いつか寝首をかかれる。 秋良が由を探しに来ないことなど分かっている。知っている。だからこそ待っているのだ。 何もかも放り出して由のもとへ訪れはしないかと。どんな理不尽な理由でもいい。見つけ出され、怒鳴られ、憎まれ、そしてきっところしてはくれないかと。 そんな日は決して来はしない。それでも自分の命を奪われるのならば、秋良がよいのだと、もうずっと考えていた。 「由? 出るぞ」 ぞろぞろと先を歩むあやかしを指さし、黒狐が声を上げる。その手には、もう新聞紙の固まりしか残ってはいない。 「うん。……ねえ、石焼き芋おいしかった?」 「おう! なんせヒトなら誰もが口にしたことがあるという伝説の食べ物だからな。ショミンの味方なんだって、金魚たちが偉そうに言ってたぜ」 「ふうん、庶民ねえ」 ならば、あの金持ちのお坊ちゃんは食べたことはあるまい。焼き芋なら分からないが、移動販売の車から買うなんてこと、考えもつかないのではないだろうか。 再び見えることがあるとしたら、そのときはきっと石焼き芋のおいしさなんて語ってやろう。時間があれば二人で買って、そして命の終わりを温かく待とうではないか。おいしかったでしょうなんてからかいながら。 「由!」 「今行くよ」 鬼ごっこは続く。誰が鬼かもわからないままに。 END. 2012/10/21 |