君影草を摘みに





瞼を貫通してきているのではないかと思うくらいに、日の光がまぶしかった。ああ朝なんだなと、足部は小さく舌打ちをする。夜明けか夕暮れかというくらいの薄暗い世界にずっと生きていたのだ。いくら木々に遮られているとはいえ、この腹立たしいほどの明るい場所は、影に守られてきた足部やあやかしたちにとって単なる毒でしかなかった。
はるか昔にもともと住んでいた山の中で、あやかしたちは静かに暮らしている。同胞以外に見られることのない山奥でヒトの形をとる必要もなく、本来の姿でである。こちらのほうが見慣れているし過ごしやすいので特に違和感はない。何人かヒトの英雄とやらに消されてしまった仲間はいるが、ミコトは生きているし不安はなかった。あやかしを率いてくれる存在がいるのだ、これからもどうにかなっていくのだろう。
静かに、平穏に、毎日が過ぎていた。仲間の一人とシンの魂を有した依代が逃げ出した後だというのに、恐ろしいくらいに平和な毎日だった。
ミコトも狭塔も、街から抜け出した由と黒狐を追うことはしなかった。明らかに彼らを逃がした風な嵐昼を罰したことさえない。シンの魂を諦めたのかと言えばそうでもないようで、双子狐の姉は弟のことを首を長くして待っているらしかった。
二人はきっと知っているのだ。黒狐にとって由は特別なのだということを。色々な意味で彼は由のことを思っているけれど、だからこそいつか耐え切れずに由はくわれてしまうのだということを。そしてそれを、二人以外ではきっと足部達のみが知っている。
久々にヒトの姿を取って、足部達は山の中を歩く。まだ日が昇ってからあまり時間も経っていない。昼行性のものはまだ起きてきておらず夜行性のものはこれから眠りにつくところなのだろう。足部達以外に出歩いているあやかしは見当たらない。
ざらざらとした木肌に手をついて、道のない道を進む。薄手の着物が汚れたようだが、これから先に着ることはないだろうと気にも留めない。がさりがさりと草をかき分ける。いつかヒト相手に商売をした手で、今度は額の汗をぬぐう。
ずいぶんと歩いた。それまでに増して強い日差しが差し込んできたと思えば、どうやらかなり開けた場所に出たようだ。眩しさに手をかざし目を凝らして見下ろした先には、影のいなくなった街が朝の光の中で静かに息をしている。その黄色のような白のような色が誰かの髪の色に似ているようで、足部は目を細めて息を吐き出した。思うのは仲間の一人と依代の少年。そして、たった一人の大切なヒトのこと。
今頃あの二人はどうしているのだろう。幸せだろうか、楽しいだろうか。すぐ目の前に迫りつつある別れに、少なくとも黒狐は気付いているはずだ。それでも毎日を穏やかに過ごせているのか。
あやかしとヒト。彼らが共に生きるということは恐ろしく難しい。それが分かっているから、足部達はかつて望んだヒトを諦めたのだ。それでも二人は今、手に手を取り合って逃げているのだという。
羨ましいと思ったこともある。たとえ結果がわかりきっていたとしても逃げ出そうとした黒狐の行動に、少しだけ感心と共に妬ましくなったことがある。
足部達にはできなかったことだ。唯一大切だと感じていた青年を守ることも、共に逃げることも。あるいは、欲望のままにくらってしまうことも。できなかったことを後悔しているのか、しなかったことにほっとしているのかは、自分でもわかりかねるけれど。
少し前まで依代だった青年、由季の手を引いて逃げ出したところで、本能に抗うことなどできずに食事したのだろうと思う。どんなあやかしよりも大切で、どんな女性よりもおいしそうだった彼をくらう。きっとそれはあまりに甘美で、彼を見のうちに宿したそのときだけはしんでもいいほど幸せな心地に浸れることだろう。けれど、たった一人の大切なヒトを自らの手で失ってしまうことは、残されてしまうその後の自分達にどれほどの苦しみを与えるのか。想像もつかない。
自ら選ぶことはしなかった。課せられた仕事のみをして、何かを奪い取ることなど考えもしなかった。その結果が今の状況なのだろう。彼はもういなくて、彼を食事したのは自分ではなくて、彼の望んだヒトを守るということはなされて、あやかしは肩身狭く生きている。
なるようになった結果。仕方がないことだと納得はしている。ただ、由季の困ったような笑顔だとか、自分の名を呼び叱りつける声を思い出すと、悲しい気持ちになった。それまでに味わったことのない孤独感だった。
あいしていたの。
わからないんだよ。
後ろと前で言葉を交わして、それでも答えは見つからない。一緒にいたかった気持ちと、たべてしまいたかった気持ちと、たべなくてよかったという気持ちと、会いたいという気持ち。どれが真実なのか。ごちゃごちゃに絡まり合った感情は何も教えてくれない。
街へと続く道を眺めながら、もう二度と黒狐と今の依代が帰ってこないことを祈る。自分から選び、行動した彼らの行く末が悲劇だなんてことになってはならないのだ。どこまでも逃げて、逃げて。あやかしからもヒトからも、本能からも同情からも逃げて、二人で生きてほしかった。そうでなければ、由季の魂も足部達のこのわけのわからない感情も浮かばれないのだろうから。

「黒狐、由君。ばいばい」

もう決して会うことのないように。それが叶えば、あの二人は幸せになれる。御神籤を引かなくとも、わかりきった未来だ。
ヒトの気配に背を向けて山へ帰っていく。大きな百足が、地面を這っていく。





END.

2012/06/03

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