うそうそ惑い 日が暮れつつあった。 冬なのだから当然昼間は短く、学校が終わった時点ですでに夕暮れの雰囲気が漂いつつあった。あちこちと歩き回ったらしい由を待っているうちにも夜は近付いて、家に着くのはいつ頃になるだろうと思考を巡らせる。父に叱られるのは億劫ではあるが、致し方ないのだと自分に言い聞かせ、足を進めていく。 赤く染まっている家々を次々と通り過ぎ、秋良は眉間に皺を寄せながら隣の人物を横目に見る。鼻歌でも歌いそうなくらい機嫌よさげに歩くのは、半袖にマフラーにお面にとおかしな組み合わせを身に着けた男だ。ミスマッチさがなぜかやけに似合っていてなんとも理不尽な気持ちにさせられる。 妖の仲間。秋良はそう思っている。 服装の奇抜さもそうだが、言葉を発する狐を肩に乗せている時点で普通ではない。どこか浮世離れした雰囲気をまとわりつかせ、学校に通っている様子もない少年。怪しがるなというほうが無理だろう。 そんな男のことを、椿はなんだかんだ言って受け入れているようである。忠告を彼はなかなか聞こうとしてはくれない。ここ数日、秋良の悩みは尽きない。 「あきよし? どうしたの、変だよ」 「こいつが変なのはいつものことだろー」 「まあそうだけど、なんかちょっと静かすぎるじゃない。きもちわるいよ、あきよし」 「あー、確かにな。いっつもうるせェくらいなのにな」 「……人が反応しないからって好き勝手言うんじゃない」 いらいらしながら声を出せば、やっとしゃべったと嬉しそうに笑われる。その表情にまた眉間の皺が深くなる。 由は人懐こい性格だった。堅物で近寄りがたいと言われている性質の秋良よりもよほど人に好かれるだろう。もし人の社会で育てられていたのならば友人もそれなりに多くできていたのではないかと思う。 いや、そんなもしもは必要ない。こいつは妖の仲間で、人間の敵。今はそれだけがすべてだ。 「お前たちは、本当に何を企んでいるんだ」 妖の存在は知っていた。家のおかげもあるし、子どものころのトラウマに近い経験から、秋良は幼いころから妖を知っていたし憎んでいた。けれど実際にそれらを見たことはなかったのだ。 いくら妖を祓う勉強をしたとしても対象がいなければ意味を持たない。けれどこの街を、椿家を守らなければならないのだという気持ちはずっと持っていたし、いつか必ず妖と見えるときが来るのだと思っていた。 初めて会った妖側のものが由だった。妖とはこういうものなのかと拍子抜けしなかったとは言わない。ほやほやしていてつかみどころのないおかしな男。もっと凶悪な何かを想像していたのに。 子どもみたいだった。本当に何も知らないような素振りで、友達になりたいのだとほざいた。まるで普通の人間のようだと、少しだけ思ってしまったこともあったかもしれない。 しかしそれも今日までだ。 人が消える様を目の当たりにした。これで二回目だ。人間業であるわけがないこんな事態、起こしたのは妖で間違いがないだろう。無害そうなこの男の、仲間が。いや、もしかしたらこの男自身が今回の犯人なのかもしれなかった。 由も、今回のことと同様に誰かの存在を消すのだろうか。そしてそれは、きっと灯吾であるのだろう。そのために彼に近づいたのだとすればつじつまが合う。秋良にかかわってくる理由はわからないが、少なくとも自分は自らの身くらいは守れるつもりでいるのだから問題はないだろう。 灯吾を、椿を奪われるわけにはいかない。こいつは敵なのだ。 「件の園長のように存在ごと消し去ることができるのがお前たちなんじゃないのか? そうやって椿をどうにかするつもりなのか。いい加減正体を現せ狐面、お前がろくでもない輩なのはわかっているんだ」 睨み据えながら言えば、由はきょとりと目を丸くした。予想外のことを言われたような顔だ。しかし騙されてはならない。奴は狐だ。狡猾な、残忍な。 その考えを肯定するように、由は笑った。 「あんまり一方的に決めつけるんだね。何の根拠があってそんなこと言うの」 「根拠など、お前が人間じゃないというだけで十分だろう。人の記憶から誰かを消すなんて、人間にできるわけがない」 「ふうん。だったらどうするの、あきよし? オレのすることを阻止するために何かできるっていうの?」 挑発的な視線。それでもその金の瞳から無邪気さは消えていなくて、ぞくりと背中が震える。相変わらず子どものような表情。言葉と合致しない雰囲気が、秋良を少しだけ気後れさせる。 だめだ。ここで臆したら何も守れなくなってしまう。 「できる。お前らに何も奪われないためならなんだってな」 はっきりと告げると由はまた虚を突かれたような顔をした。それがだんだんと苦笑に変わっていくのを見ていた。いや、苦みというよりは自嘲を含んだものだと言ったほうがいいのかもしれない。眉を下げ、けれどいつものへらりとした笑みは崩さないまま。 肩に乗った狐がどこか不安そうにしているのがわかった。その頭を撫でる掌がひどく優しげなこともわかった。 秋良は短い時間、呼吸を忘れた。 「ちょっとあきよしのことすごいなと思っちゃった。……ちゃんと、自分で選んでるんだね」 由の視線が秋良から外される。 遠くを見る目は山のほうを目指しているようで、ああ神社かと思った。狐の面に縋るように触れ、何とも言えない表情で笑う姿は、やはり人間らしからぬ空気を醸し出している。 「オレも選びたいんだけどね、今はまだわからないんだ。どうするべきなのか。どうしたいのか。でも今はつばきやあきよしと一緒にいないとだめなんだよ。何も選ばないうちに終わっちゃうのだけは、だめなんだよ」 ふ、と溜め息が漏れた。 「オレが何もしなければつばきは何事もなく生きていけるんだろうね。けどそのときには、……今度はオレが消されちゃうのかも」 公園を直前に足が止まった。一瞬の後にいつも通りの読めない笑顔を浮かべた由は、入り口に足を踏み入れながら不思議そうにこちらをうかがっている。黒狐が物言いたげにしているのを穏やかに撫でて制しながら、由が秋良を見ている。 ぐらりと世界が揺れたような気がした。 由が消える。そうだ、妖を退治してしまうのならば当然だ。それを望んでこれまで散々彼のことを邪魔してきたしこれからも好きにはさせまいと思っている。 灯吾のことを守って、由のことを監視して、決して手は出させない。そうしてどうにかして妖を消滅させて、空環の街を開放するのだ。それが夢であり目標であり、自分に課された使命だとさえ思っている。 由が消えるのならば、それでいいじゃないか。満足だろう? 何をためらうことがあるんだ、なぜ、いきなり現実を叩きつけられたかのような気持ちになっているんだ。 「お前たちは、お前は敵だ」 「うん」 「そうやってオレのことを懐柔しようとしているんじゃないだろうな狐面。生憎オレは人間以外に抱く情など持ち合わせてはいないからな、どれだけ言葉を連ねたところで心揺らぐことはないぞ」 「そんなことわかってるよ。変なの」 嬉しそうに楽しそうに由が笑っている。仲良くなりたいのだと言った、そのときのように。 「自分のやりたいこと、見失わないようにね。あきよし」 公園へと入っていく薄い背中を、何も言うこともできずに見守る。知らず噛んでいた唇から血が流れるのを感じた。舌打ちをして、足元の不安定さに歯噛みしながらおかしないでたちの男を追いかける。 空が藍色に落ちていく。灯吾はあとどのくらいでやってくるのか。訪れた彼に、由はまた嬉しそうにまとわりつくのだろう。そしてそれを、自分はやはり邪魔する。そのはずだ。そうでなくてはならない。 由が笑顔で秋良を呼んでいる。夜が近付いてくる。 END. 2011/12/20 |