眠れぬ夜のお話





うるさい夜だった。
どうも季節外れの台風が来ているらしいと絹が言っていたが、どうやら本当らしい。夕方に降り出していた雨は日が暮れるたびに勢いを強め、夜中に差し掛かった今では嵐のように音を立てて窓を叩き割ろうとする。
風がびゅうびゅうと唸っている。家の揺れる気配がする。律は布団の中で耳をふさいで、それらの轟音に耐えていた。
どっしりと地に足をつけている飯嶋家の家屋が、これくらいの雨風で壊れることはないだろう。それは確実に言い切れる。長い年月の中、きっと今のものよりもずっと強い雨風にさらされたことはあるだろうし、人間でないものたちがいくらいようとも問題の起きなかった家が、今更これくらいのことで破壊されることはないと思えた。
だから、何も心配はいらないのだ。明日も朝一から講義がある。早く眠りにつかなければ、女性陣にどやされながらバタバタと家を出ることになるだろう。
それはわかっていた。けれど、どうしても眠れない。
ざあざあと雨が降る。風が窓に体当たりをしている。耳をふさいでも感じるそれらに、律は体を震わせる。この年になって、というべきか。律は今のこの状況が、怖くて仕方がなかった。
普段ならばこんなことはない。けれどもしかしたら、食事の前に読んでしまったホラー小説のせいかもしれないし、昼間に街中で見た体の溶けかかったような妖のせいかもしれない。今こうして布団の中、一人で騒音に耐えているのが恐ろしくてたまらなかった。
雨が壁を突き破って侵入してくるだろうか。風邪で家がなぎ倒されるだろうか。窓の向こうは海のようになっているかもしれないし、すでに家の中は水浸しになっている可能性だってある。母や祖母だって無事か分からない。
怖かった。布団の中では一人きりで、誰かの気配も感じられない。人も、妖も、どこにもいない。世界に自分一人だけのような恐怖。がたがたと凶暴な音は、律の心を今にも食い破ろうとするようで。

「律」

ふいにかけられた声に、見てわかるほど肩が大きく揺れた。

「律、どうしたんだいそんなに縮こまって。まさかもう寝ているのか? 起きろよ、つまらないだろう」
「……鬼灯」
「なんだ、起きているじゃないか」

布団に籠ったまま声の主の名前を呼べば、不満そうに返される。
恐怖におびえているせいで気がつかなかったけれど、いつの間にか室内へ侵入してきていたらしい迷惑な妖。布団の隣に立っている気配だけが、雨風の音以外に唯一はっきりと感じられた。

「どうも雨がひどくなってきたようだから避難に来たんだが、お前が起きていてよかったよ。律、暇だから遊ぼう」
「馬鹿言うな。僕は寝るところなんだ、お前に構っている暇はない」
「そんなこと言って眠っていないじゃないか。そもそもどうして布団に潜っているんだい。ちょっと顔を見せろよ」

布団に手をかけられて、慌てて抑え込む。今はこの小さな世界が砦のような気がしていた。この中だけが安全のような。剥がれてしまったら、外の世界では町が雨に沈み誰もいないようになってしまっているのかもしれないと思った。半ば寝ぼけているのかもしれない。馬鹿馬鹿しい妄想だけれど、律はただ布団の外を恐れていた。
剥くことのできない布団に、鬼灯は機嫌を損ねたようだ。むっとする雰囲気が一瞬伝わって、次にはぐいぐいと引っ張られる。

「こら、離せっ」
「律が出てこないのが悪い。どうしてそんなに頑なに顔を見せようとしないんだ」
「関係ないだろ、僕はもう寝るんだって」

何を言っても聞きはしない。この自分勝手さはまさに妖然としていると思う。
引く様子のない鬼灯に、なんだかこちらもやけになって絶対に布団を手放さないという気持ちにさせられる。それは向こうも同じようで、力強く引きはがそうとする腕が離れることはない。

「いい加減に、っ」

しろ、と言いかけたところで、今までになく大きな音を立てて窓が揺れた。今にも割れてしまいそうなほど。
体全体が震えて、思わず布団から手が離れてしまう。ばさりと無情にも律を守るものは剥がれ、寒々とした空気にさらされた状態で恐怖により身を縮める。視界の向こうは真っ暗で、相変わらず雨はやまない。身近にいるのは信用ならない妖一人。

「律」
「……」
「律? 何を震えて……、まさか、こわいのか?」
「……」
「ははあ、なるほど」

意地悪げな声がする。何も反応を返せないが、性格の歪みきったこの妖が律の弱い部分を見て喜ばないわけがない。
こわい。迷子になったような、誰も知っている人間がいないような、根拠のない恐怖。ひたすら耐えることしかできない律を、鬼灯はにやにやとしながら観察でもしているのだろうか。
とても、寒い気がした。

「……はあ、仕方がないな」

間近で声がすると同時に、引き離されていたはずの布団がかけられた。驚きに目を見張る間もなく、隣に誰かが入り込んでくる。いや、誰かなどというのは愚問だろうか。今ここにいるのは人間でも味方でもない、性質の悪い一人の妖のみだ。

「……何やってるんだ」
「何って、律が嵐が怖いというから慰めてやろうかと思ってね。一人で眠るのは怖いんだろう?」
「そんなこと誰も言ってないじゃないか。勝手に決めつけるなよ」
「ガタガタ震えていたくせに何を言う。本当に生意気だな」

何をたくらんでいるんだと思いはすれど、出ていく様子も何か悪戯を働く様子もない鬼灯に、本当に添い寝が目的なんだろうかという気にもなる。背中にほのかに感じる誰かの気配が、じわりと恐怖心を和らげる。
おかしな話だ。隣にいるのも恐れるべき存在だというのに。
布団の中が温まってくる。指先にも熱が戻り、冴えきっていたはずの目がとろりと睡眠を欲し始める。

「なんなんだ。普段僕を眠れなくするのはお前たちのくせに、こういうときだけ無害を装って、性質の悪い」
「ふん、律が怖がりなのが悪いんだろう? 一人寝もできないとは流石に知らなかった」

人外を恐れて何が悪いと口を開きかけて、眠気に負ける。うとうとと暗闇が心地の良いものになれば、家を破壊せんとする音も遠くなっていくようだ。
隣に誰かがいる。窓の外はきっといつも通りの景色が広がっているし、朝になれば雨も弱くなるだろう。明日遅く起きてくる律を母や祖母は咎めるはずだ。布団から出ようとも、何も変わらず。
恐れることはない、けれど普通よりはおかしな日常が、朝になれば素知らぬ顔をして訪れる。

「おやすみ、律。起きたら遊ぼう」

耳元に落とされた言葉に、それはごめんだと思いながら意識を飛ばす。一時の静かで安穏な眠りが、腕を広げて待っている。
ああけれど、朝の訪れに安堵するより先に、起きるとともに鬼灯を蹴りださなければ。先ほどは夜の闇と騒音で隠すことに成功したのだろう本性を、彼が律の前に晒す前に。





END.

2011/12/14

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