ねむれねむれ、腕の中 まるでそれは、優しい優しい抱擁のように。 前も後ろも右も左も。どこを見ても景色は変わらない。上だけは唯一どんよりとした灰色が広がっているけれど、それ以外はすべてすべて真っ白だった。 白すぎて目がちかちかするということも今更なく、誰の足跡も存在しない雪の世界を、玄冬はただただ見つめていた。 雪の上に緑が芽吹くこともなく、生き物の鳴き声もしない。寒さも忘れてしまった体を暖めてくれる人もいない。一人だった。どこまでも続いて見える地上でたった一人。 世界がほろんだと感じたのは、もうだいぶ前のことだ。生物が自分以外すべて死に絶えたと、玄冬の魂がそう告げていた。けれど、そのときはまだ終焉の実感はわいていなかった。 そのときにはすでに隣にいたはずの花白もとっくに息絶えており、冷たいばかりの体には厚く雪が積もっていた。時がたつほどに花白の体は白く霞んでいき、いつしか全く見えなくなる。そのときになって、玄冬はやっと世界が終わったのだと感じた。 人が死に動物が死に植物が死に、世界が死んだ。花白の弔いを以て玄冬の世界も終わりを告げた。 もはや雪をしのげる場所など存在しない。歩き回ることに意味などはないので、玄冬は毎日雪の上に座り込んで過ごす。頭や肩に積もった雪を払いのけて空を見上げ、夜になれば小さく丸まって眠った。腹は減らない。何も食べずとも体力が底をつくこともない。いつかの男の言葉を思い出す。いくら人型をしていようとも人間のふりをしていても、俺はやはり化け物だったよと薄く笑って。 しんしんと、雪は降り続ける。静かすぎて耳が痛い。心が、今もまだ、苦しい。 永遠とはどれほどのことをさすのだろう。もう数えるのも億劫になってしまったが、玄冬が一人で過ごしてきた時間はまだまだ永遠というには足りないはずだ。気が遠くなってもまだまだ時間は有り余っていて、いつか自分の名前も忘れてしまうのではないかとさえ思える。 苦しかった。さみしかった。ひたすら自らの足元深くに眠っているだろう救世主を思った。 彼の守護を務めていた白の鳥は、花白に殺されることは救いだといっていただろうか。ならば、花白の意思でほろんだこの世界は、彼によって救われたのか。 雪が降っている。 救世主の愛した雪が、救済後の世界を白く染め上げる。まるで優しく抱きしめるように。母親が子をなだめるかのように、愛おしさを込めて。 ならばその世界をこうして見守っている自分はさながら父親だろうか。 想像しておかしくなってくる。自分の親代わりはとんでもなかったけれど、今こうして世界を慈しんでいるようなこの気持ちを、彼も抱いていたのかもしれないと思うとくすぐったい。愛されていたんだな。遠い地の鷹を思うのは、久しぶりのことだった。 「なあ、花白」 何年か何十年かぶりに出した声は、かすれてうまく音にならない。雪の降る音のほうが大きいくらいだ。 けれどそれで構わなかった。埋まる体には届かなくても、解放された救世主の魂にはきっと届いているはずだ。 「世界は今日も、静かに眠っているぞ」 苦しいし、さみしい。もしかしたら少しだけ後悔をしているかもしれない。 それでも、魔王と呼ばれた青年の表情は、ただ穏やかだった。 雪に抱き締められ世界は夢に沈む。 一人きりの永遠は、まだ遠い。 END. 2011/12/08 |