さようならに気を付けて

律死ネタ





目の前が真っ暗になるという気持ちを味わったのは、初めてだった。
退屈な日々が嫌になって、久しぶりに友人に会いたくなったのは昨夜のことだった。鬼灯が一方的に友人だと思っている彼は、とてもきれいで、変な男だ。きっと幼いころには女の子と間違われたろうほどに整った顔立ちをしているくせに、鬼灯をはじめ妖怪が見え、ただの人間と心もち距離を保っている。人間が嫌いなわけではなくて、けれど妖怪が嫌いなわけでもないらしく、いつもお供を連れている。
彼のそばは楽しい。嫌がるくせに鬼灯のことを突き放さない。きちんと相手をしてくれる。飯嶋伶のようにいなくならない、いつもそこにいる。律は鬼灯のお気に入りで、友人だった。
自分本位な妖怪は、人間の都合など考えない。彼らにとってはそのときしたいことがすべてで、自分が過ごしている時間だけが世界の基準になる。鬼灯も例にもれず、律にたまに会いに行って話をして、からかってから遊びに付き合ってもらえればそれ満足だった。そのはずだった。
会いたいなと思ったときに出かけて、会えないなんてことはそれまでなかった。鬼灯の鼻は律のにおいをしっかりと覚えていて、どこにいたとしても彼を探し出せる自信があった。あのやわらかい髪を、まっすぐな目を思い浮かべているだけで、律の背後に立つことが出来る。そう思っていた。
ここにいるはずだ。鬼灯の鼻はそう示していた。きっとそれは間違っていない。けれど、信じたくはなかった、ありえないことだった。ありえないことだと信じたかった。
飯嶋家の大きな家の、奥まった座敷。こじんまりと置かれた仏壇。その前に、鬼灯は立っていた。彼がじっと凝視するのは、真新しい骨壺である。どんなからかいの言葉も浮かびはしない。いろいろと思い描いていた遊びもあっという間にどこかへ消え去ってしまった。
小さな骨壺の中からは、確かに律のにおいがした。
屋敷は悲しみに包まれていた。飯嶋家の誰もが、彼らの中で最も若かった律がその場にいないことに心が追い付いていないようだった。鬼灯が苦手としている飯嶋司もそうだ。鬼灯の少し後ろで、微笑む律の写真を眺めている彼女は、魂をどこかに忘れてきたのかと思うほどに消沈している。涙は見えない。鼻は少し赤いようだが。
理解が追い付かなかった。ここに律がいない。それだけが事実で、しかしそれを理解することこそが恐ろしかった。

「なんだ、来ていたのか?」

聞きなれた声に緩慢に振り向けば、いつもの着ぐるみを脱いだ状態の青嵐がこちらを睥睨していた。どこか疲れた雰囲気を醸し出す彼は、司をちらりと見てから顎で庭を示す。鬼灯としてもあまり司の近くにはいたくなかったので、多少腹が立ちはしたがおとなしく青嵐についていく。
庭には、色とりどりの花が鮮やかに芽吹いている。季節は秋だ。
そのことにすら今更気づいて、鬼灯は珍しく目を見開いた。今は秋。ならば、最後に律に会ったのはいつだっただろう。常に頭の片隅にいた大切な友人の、嫌そうでシニカルな笑みを見たのは、どれほど前のことだったのか。

「蝸牛の葬式にも来なかったお前が、珍しい」

珍しいのは喧嘩腰じゃないお前の方だと言いそうになって、口ごもる。皮肉を言いについてきたわけではない。自分が言いたいことを我慢することも珍しいのだと気付かず、鬼灯は眉間にしわを寄せた。

「おい、どういうことだ番ドジョウ。律はどこにいる」
「見て分からんのか。律は死んだよ、三日ほど前にな。なんだ、知ってきたんじゃないのか」
「……馬鹿を言うな」

やはり意味が分からない。律が死んだとは、どういうことだ。
死んだということは生きていないということで、生きていないということはもう動かないということだ。たしかにあの骨では動くことはかなわないだろう。そして動けないということは話せないし遊べないということで、つまり、もう会えないということだ。
会えない。律に?

「まあ、これでわしも自由になって、お前と敵対する必要もなくなった。少し待ってくれと律に頼まれたし、あと少し人間の振りをしていくつもりだがな。さすがのわしも、今際の願いくらい聞いてやらんこともない」

何事かを話しているらしい青嵐の声も耳に入らない。律がいない。その言葉が頭のなかをぐるぐるとまわって、頭の中が黒く塗りつぶされていくようだった。

「蝸牛のときにも思ったが、人間は本当に脆いな」

気付けば、走り出していた。目的地などあってないようなものだ。律の通っていた学校、彼が関わった人間の家、彼が訪れたことのある妖怪のねぐら。律のにおいが少しでも残っているところはすべて回っていく。
律。きっとどこかにいるはずだ。断りもせずにいなくなるはずがない、友人同士なのだから。死んでしまったはずがないじゃないか。まるで、伶のように。
ぞわりとした。そうだ、伶も死んでしまった。友人だったはずなのに、鬼灯に許可を取ることもなくぽっくりと。そしてそれから会うことはなかった。律ともそうなるのだろうか。このままずっと会えなくなる。最後に会ったのがいつなのか分からないまま、友人だったことも忘れて、律がいなくなる。

「律」

呼んでも返事はない。嫌そうに睨みつけられることもない。驚かすこともできない。いたずらに肩へ手を置くこともできない。見えない、話せない。

「律」

喉が引きつる心地がした。この世に長く存在しているが、かつてこれほど動揺したことがあっただろうか。たかが人間が一人死んだくらいで、妖怪が聞いて呆れる。そうだ、こんなに揺さぶられることなどなかったのに、あってはならないのに。
律がいない。それだけで、どうして泣きたくなるんだろう。まるで人間のように。
大切な友人。それだけだったのだろうか。彼に会いたいという気持ちは、それ以上の何かを含んでいはしないのだろうか。肩に置いた手が彼を抱き込もうとしたことは、本当になかったのか。
答えを教えてくれたかもしれない人は、もうどこにもいない。

「律、遊びはもう終わりにしよう」

早く早く、出てきてくれ。取り返しのつかないことに気付いてしまう前に。





END.

2011/10/02

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