Love me little, love me long.





温かい手が好きだ。冷たい手だとなんだか拒絶されているような気持ちになるけれど、温かい手はそれだけで自分を包容してくれるような気がする。そのままでいいんだよと受け入れてくれる気がする。
握手でもハグでも何でもいい。イワンは温かい手の持ち主が好きだ。
最近特に好きなのは、頭を撫でる手である。肌と違って髪では相手の体温をよく知ることはできないが、くしゃくしゃと優しく髪を掻き混ぜる手は温度ではなく愛情を伝えてくるように思う。掌に収まるくらいの小さな愛情。
情の深い人の手は温かいのだろう。彼の手があんなにも温かいように。
だから、あんまりあたたかいから、触れられると好きになってしまったりするのだ。



「タイガーさん!」

ふらふらと歩く後姿が視界に入って、イワンは思わず声をかけた。黒く真っ直ぐな髪と細く長いシルエット。憧れのヒーローに違いなかった。
Tシャツにジャージ。なんら変わらないはずの格好だったが、シャツの背中部分には彼の汗であろうシミができている。彼もイワン同様、来たばかりのはずなのに。
ピクリと反応した虎徹は、億劫そうに振り返る。いつもはきりりとした目が、今日は何となく潤んでいるように見えた。
どきりと跳ねた心臓を叱咤して、慌てて駆け寄る。

「おう、折紙か。おはよう」
「あ、お、おはようございます!」
「なあにどもってんだよ、変な奴だな」

穏やかな笑みはいつもの通りのようだが、どこかとろりと気が抜けている。
姿勢も日頃からあまりいいとは言えないものが今日は特に崩れているようだ。気怠そうに壁に預けられた背中がゆるりと丸まって、肉の削げた頬が、ほんのりと赤い。
嫌な予感がした。

「タイガーさん、あなた……」
「あー、ばれちまった?」

虎徹が力なく唇を歪める。

「どうも昨夜から寒気がするから、風邪でもひいたかもしんね」
「ど、どうして来たんです! どう見たって熱が出ているじゃないですかっ」
「うーん。俺もそう思ったんだけどよ、家にいてもすることねえし……」
「することがないわけないじゃないですか! ご飯食べて薬飲んで布団かぶって寝るんですよ!」
「あはは、折紙に怒られた」

いかにも楽しそうな笑い方は子どものようだ。彼はいつも大人であろうとして、実際にイワンなどでは足元にも及ばないほどに大人な人であるのだけれど、子どもであることも忘れない。
少年とその父親が同居しているような人だ。そう思う。
桃色に染まった頬はかなりの熱を持っているらしい。驚かさないように手の甲でそっと触れると、思わず眉をしかめてしまうほどの熱さであることが分かる。

「折紙の手は冷たいなあ」

けらけらと声を上げる虎徹にあなたが熱いんですよと少々荒い口調で告げる。
まるで酔っぱらっているかのようにふやけた顔。無防備だなと溜め息を吐きそうになって、寸前でごくりと飲み込んだ。

「手の冷たいやつはなあ、心があったかいらしいぞ」
「そうなんですか? ああ、倒れちゃいますよ!」
「悪いな」

火傷でもしそうなほどに熱い体に腕を回し、とりあえず仮眠室を目指す。このまま帰すよりも少しの間休んでもらって、そのまま医者に診てもらったほうがいいだろう。家で一人ではきちんと療養するかもわからない。
くたりと力のない一人前の男の体は重たい。仮眠室へ辿り着く前に支えるイワンの体力が限界を迎えてしまい、休憩用のベンチへ虎徹を座らせる。
ありがとなと向けられた弱々しい笑顔に、唇を噛む。
まったく情けない。大切な人ひとり満足に運べないだなんて。

「……誰か、呼んできますね」
「あー、いいわ。そのうちだれか通りがかるだろうし、急ぐこともねえだろ」
「でもこんなに熱が出て……っ」
「なあ折紙。手の冷たいやつの心があったかいんなら、手があったかいやつはやっぱり心が冷たいのかねえ。どう思う?」

熱い熱い掌が、イワンの指に触れる。いつもよりも高い温度の手。
虎徹の言うことが本当ならば、彼自身はどうなのだろう。イワンの頭を撫でるこの掌は、どんなときでも温かかった。イワンの臆病な心を溶かすように。
柔らかく笑ってその笑顔で誰かを抱き締めてしまうようなこの人の心が、冷たいとでもいうのだろうか。

「タイガーさんの手は温かいですが、心も温かい人ですよ。間違いないです。だからそんなのは迷信です。絶対です」
「どうだろうなあ。そうだといいけどなあ」

くしゃくしゃと髪が乱される。
一生懸命手を伸ばしてイワンに触れる手は、やはり常よりも相当熱い。それでも憧れの、大切の人の手。心の温かいヒーローの手。
温かい手が好きだ。この優しい掌が髪に触れてくれるのならばそれだけで彼のなにもかもを許してしまえる気になる。
泣きそうだった。この手を、決して失いたくはないのだ。

「僕、タイガーさんの手、すきです」
「心が冷たい証だとしてもか?」
「そんなことは絶対ありえませんが、それでもです」
「変な奴だな」

一生この手が自分に向かってきてくれればいい。唇に触れたいなどとは思わないから、せめて。
この手には彼の愛情が染み込んでいるのだ。恋人や子どもに与えるのではない、小さな小さな愛情が。
その小さな愛情が長く長く注がれるのならば、いつ終わるかもわからない大きな愛情を口移しでもらうよりもずっと幸福だと思う。細く長く、いつまでも彼に愛されていたい。温かさにごまかされていたい。

「僕がいくつになっても、頭を撫でてください。ね」

ふわりと笑って、虎徹は寝息を立て始めた。体力が尽きたらしい。
幼い子供が母親の胸に抱かれて眠るような安心しきった寝顔に、イワンは苦笑する。この距離を忘れないでおこう。手が届かなさそうで届いてしまうような、虎徹が安心していられる距離。ここまでが少しだけ愛される絶対のラインだ。
真っ直ぐな黒髪に、こっそりと触れる。じわりと汗の滲んだ髪は、それだけで熱を伝えてくる。
あんまり熱くて、好きだと言ってしまいそうになったことには、気付かないことにした。



Love me little, love me long.
少し愛して、長く愛して





END.

2011/07/31

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