Can’t Help Falling in Love 好きなものなどなかった。好きになったところでいつ失ってしまうか分からなかったから。 嫌いなものなどなかった。嫌いになるほど興味を持つことなどできなかったから。 なんてつまらない人間だろうと自分でも思う。他の誰に言われなくても知っている。僕はつまらなくて人間味にかけた人形のような生物だ。僕を好きだというすべての人に言ってやりたい。こんな奴のどこがいいんだ。 知っている。NEXTであること以外はきっと誰にも劣るほど空っぽの生物だ。顔がいいから好意を持たれるだけ。本質を知ったら誰も見向きもしない。知っている。 だから一人でよかった。好きにならないように嫌いにならないように少し離れた位置で他人を眺めて、彼らの人間らしさに少しの羨望を抱いていればそれでよかった。 僕はきっと人間じゃないんだ。そんな気がしていた。 パートナーができるという話は好ましいものではなかった。あまり一人の人間にかかわりたくはない。上手に嫌われて、近すぎず遠すぎない関係に持っていければいいのだけれど、相手が悪すぎた。 虎徹、という名前のその人は、虎とつくくせに猪のような人だ。真っ直ぐに我が道を突き進んで、周りが見えなくなって時折岩に衝突したりする。だけれど彼には彼の代わりに周囲を確認してくれる人がたくさんいるようで、うまく障害を避けてくれたり怪我の治療をしてくれたりする。 羨ましい人だと思っていた。幸せな人。人間関係にも恵まれ、ポジティブで明るい性格をしていて、正義感に満ち溢れた人。ふざけた言動も計算されたものに思われた。けれどあまりにできすぎた人だから、僕は錯覚を覚える。 彼も僕と同じなのかもしれない。人間じゃないのかもしれない。僕はつまらなさすぎて人間らしくないけれど、彼は真摯すぎて人間らしくなかった。 仲間だ。好きでもないし嫌いでもなかったけれど、そう思うとなんとなく胸がふんわりした。 彼も僕を受け入れてくれているようだった。誰かの隣にいることが苦痛でないのは初めてな気がした。 娘さんと電話をしている彼を見た。嬉しそうに笑っていた。幸せそうだった。僕の胸はむかむかする。 どうしてそんなに、普通の人間のように笑っているのだろう。普段のおちゃらかした様子はなく、ただ優しく、けれど他の誰のこともどうでもいいようなどこか利己的な顔をして。人間のように。人間のように。 視界がぼやける。頭の深く深くから熱がせりあがってきて目を焼き尽くすようだ。 筋張った指が僕の肩を叩く。通話を終えたらしい彼が、不安そうにこちらを見ている。人間のように。人間のように。 「どうしたバニーちゃん? いじめられでもしたか?」 「あ、なたは」 「ん?」 どうしてそんなに静かに声を出すのだろう。擬態にしても優しすぎる。人間らしすぎて人間らしくないその人の優しさは僕をおかしくする。 裏切られた。そんな気になる。 「あなたは僕と同じだと思ったのに」 「は?」 「どうしてですか。そんなに真っ直ぐで汚くなくて、なのに、どうして」 「ちょ、ちょっと待てって」 「また僕はひとりになるんですか。やっぱり僕一人が人間じゃないんですか。つまらなくて空っぽだから、僕は」 ぱしりと、軽く頬が張られた。本当に軽く、当てただけのようなそれは暖かくて、唇が固まってしまう。彼は困ったように、けれどどこか怒ったようにこちらを見ている。いつも通り、ただただ真っ直ぐ、真摯に。 親指が目元をこする。濡れているらしいそこに、ようやく僕は気付く。 「何の話かは知らねえがな、お前は人間だよ。兎は泣かないし、虎は泣かないし、どんな動物もどんな植物も泣かないんだよ。だからお前は人間だ」 分かったかと首を傾げられて、唇を引き結ぶ。 泣いたから人間だなんて安直すぎる。中身のないこの僕を他の人と同じだと言えるのか。 困惑している僕に気付いたのだろう、彼は眉を下げて苦笑した。いかにも仕方ないなあと思っているような顔だ。昨日までは綺麗すぎて機械のように見えたはずの表情が、今はなぜか生々しく見えた。 「お前は俺のことを美化しすぎだ。俺だって曲がらなきゃいかねえときは曲がるし、汚いことをしてこなかったわけじゃない。清廉潔白な天子様なんかじゃねえんだよ。お前もそうだ。お前は人間」 「そんなこと、ない」 「俺がそうだと言ったらそうなんだよ。バニーちゃんはかわいくてバカで生意気であったかいじゃねえの。どこが空っぽだって? つまらないって? 泣けるし笑えるし怒れんだろう。どこが人間じゃないって?」 しっかりと筋肉の付いた温かな腕が僕を包む。涙が彼のシャツを黒く染めていくのが分かったけれど離れたくはなかった。このままこうしていたい。伝わる鼓動は確かに彼の生を訴えてきていて、僕の心臓の音も彼に伝わっているのだろう。 そうだ、僕はただ誰かに認めてほしかった。生きている。僕は今、確かに一人の人間としてここに存在しているのだと。 もっと自分に優しくなれよと彼は頭を撫でるけれど、自分に優しくないのは彼のほうだとやはり思う。他人にばかり甘くて、今は人間であってもそのうちに本当に天使にでもなってしまうのではないだろうか。僕は彼を、逃がしたくない。 ああ、どうしよう。 思いとどまれと思う自分も確かにいるのに、このまま抱き締めていてほしいと思ってしまう。人生のすべてをこの人に受け止めさせてやりたい。人形ぶっていた僕を人間にした彼に、責任を取ってほしい。 誰に愚かだと笑われても構わない。僕はただ真っ直ぐに、彼がほしいんだ。 「ねえ」 「うん?」 「僕は信じていませんでしたが、運命というものはあるのかもしれません」 「なによ急に、女の子みたいなこと言い出したな」 「そしてそれはきっと、決して変えることはできないんです」 僕はいつか、彼の無鉄砲さにすら惹かれることになるんだろう。欠けた爪の先にすら穏やかな気持ちになるんだろう。抗うことはできない。まるで当然のことみたく、僕は愛おしさに溺れる。僕の苦しみが簡単に拭われてしまったように、多分何の抵抗もできない。 ああ。どうしよう。どうしたらいい。いつ失ってしまうかなど分からないのに、失ってしまったら悲しいだけなのに。 僕は彼を、好きにならずにいられない。 Can’t Help Falling in Love 好きにならずにいられない END. 2011/07/31 |