だからまだ空欄のカレンダー 「分からない」 空を見上げたままでそう声を漏らした静雄に、帝人は眉をよせる。気に入らないわけではない。単純に不可解だった。ただ質問しただけだったのだ。 明日予定がありますか。 たったそれだけの簡単な質問。少し一緒に出かけたかったから、次の日の彼の予定が知りたかった。一緒にぶらぶらできたらいいなあとその程度の考えだったので、当然何かしら(例えば仕事や友人と出かけるなど)の予定が既に入っているのならば諦めるつもりである。本当に簡単な確認のためだけにした質問。それに静雄は、分からないと答えた。 翌日の予定が分からない人などそうそういるものではないだろう。突然に入ってくる、またはキャンセルされる予定が存在しないわけではないだろうが、前日には大抵のことが決まるはずだ。仕事があるのか。誰かとどこかへ出かけるのか。どんなテレビ番組がやってどれを見たいのか。天気が悪いらしいとかいいらしいとか。だから出歩きたい出歩きたくないだとか。前日に自分の次の日の予定が少しでも決まっていない人など、いるのか。 けれど静雄は分からないと答えた。翌日の予定など分からない。それは帝人にとって非常に理解不能な返答だった。 「分からないって、何かあるわけではないんですよね」 「分からない。あるかもしれねえし、ないかもしれねえ」 「……いまいち話が見えないんですが」 「お前には明日のこと、分かってんのか」 「分かりますよ」 明日は土曜日で、朝はきっと八時ごろには起きるだろう。顔を洗って朝食を口にして歯を磨いて、テレビの音をBGMにして洗濯物を干す。パソコンでニュースなどを確認してから買い物に出かけ特売の卵を入手するつもりだ。ここで静雄が予定が空いているのであれば一緒に街へ出かける。食事をとって、適当に会話でもしながら散策でもできれば嬉しいことこの上ない。夕方には彼と別れ、家に帰って夕食を作ってチャットをしながら眠りを待つ。静雄に予定があったのならば、一日中ゴロゴロして過ごすのかもしれない。 予定というよりはタイムスケジュールとでも言えそうな細かい流れを吐き出して、帝人は顔をあげる。きょとんとした表情でこちらを見下ろす静雄は、どこか幼い。やはり分からないという風に首を傾げてから帝人の頭をくしゃくしゃと撫でていく。 「予定、予定か……」 「はい。明日は仕事、あるんですか」 「んー、一応はあった気もする」 「そんな曖昧な」 「だってよお、明日にどうなるかなんて分かったもんじゃないだろ。もしかしたら熱が出るかもしれねえし、仕事の途中であのカスと会って放棄しちまう可能性だって無いわけじゃねえしな」 「それは、そうですけど」 理解はできる。帝人の言っていることはあくまで「予定」であって、実際にそのように行動できるかどうかなど誰にも分かり得ないのだ。 けれどそんな事を言ってしまっては誰とも約束などはできないということになってしまう。未来のことが分からない以上、予定は予定で構わないのだ。こうこうこうしてこうするつもりだ。それだけが分かれば確定していなくてもいい。約束を果たしたいと思うことが大切なのだろうから。 静雄は、帝人を撫でながら自らの頭もがしがしと掻き混ぜる。少し困ったように眉を寄せ、申し訳なさそうに口を開いた。 「明日無事に生きているかも、分かんねぇからな」 あ、泣きそうだ。ふと思った。今の台詞があまりに寂しい気がして、泣きそうだ。何だか静雄がひどく遠い存在なようだった。 静雄が怪我をしているところを帝人は何度も見てきた。普通の人間ならば命を落とすかもしれないような怪我を、いくつも。彼の今の言葉に深い意味はないのだとは思う。単に例えとして発した台詞だろう。けれど、きっと帝人よりも日常から離れ死を近くに率いているだろう静雄の言葉だと思うと、胸がきゅうっと痛くなる。 翌日の予定を軽く言えることは、平和な証なのだろう。のうのうと油断しているから、明日の生を疑ったりなどしないから、予定を絶対のものだなどと思うのであって。 「竜ヶ峰?」 頭を撫で続ける手を握って静雄を見上げる。困惑したような表情に少し躊躇いはしたけれど、そのまま掌に頬を擦り寄せた。静雄は体を硬直させ、だが何も言わない。顔を赤らめる姿は可愛いとさえ思う。 「明日、遊びに行きましょう」 「は」 「朝僕が迎えに行きますから、ご飯食べて町に出て、たくさん歩き回りましょう」 「え、ああ」 「絶対ですよ。他に誰に誘われても頷いちゃダメですよ。明日、僕らは一緒に出掛けるんですからね」 信じられる明日を得てほしいと思う。愚直だと誰に詰られても構わない。明日の予定が確実に遂行されるのだと信じられる、愚かで愛しい平和を彼に感じてほしい。 少し強引な誘いに、静雄ははにかんだような笑顔を浮かべた。仕事を休めと言っているようなものなのに、それでも彼は帝人に腹を立てたりはしない。 「分かった。約束な」 生きていることを前提とした予定表を全部埋めてやりたい。白いページを真っ黒に染めるように、たくさんの当然の未来を彼と共に作り上げてやろうではないか。 帝人は静雄の体に腕を回す。そして握った小指に、自らのそれを絡めた。 END. 2010/03/25 |