紛れて隠して 「声優って、憧れないっすか?」 お茶を飲み寛いでいた遊馬崎は、楽しそうにそう言った。やけにきらきらした目で見る彼を振り払うこともできず、帝人は頬を引き攣らせる。街中で偶然出会って家に上げたと思えばこれだ。まともなことは考えていないのだろうか。 「声優、ですか」 「そうっす、声優! キャラクターに命を吹き込み、時には明るく時には悲しみを湛えて演技をする、そんなまさにネ申がかった職業っす! 素晴らしいと思わないっすか帝人君!」 「はあ……」 肩を捕まれ頭を揺らされながらなのであまりしっかり言葉は聞き取れない。だが、断片からでも自分にあまり縁のない類の話題だということは分かる。というか、遊馬崎の発言はたいていオタクじみた要素を含むので、帝人はいつもついていけないのだ。 声優。知識としては知っている。アニメや海外ドラマなどの吹き替えをし、ニュースやバラエティ番組内での語りもする職業。なりたがる人が多いとも聞くが、成功するのはごく一部らしい。帝人としてはそう馴染みのある存在ではないし、素晴らしいだろうと言われても言葉を返しづらい。確かにすごい仕事なのだろうが。 「それでその声優が何か、……というかそろそろ離してください。酔っちゃいそうです」 「おっと、これは失礼。大丈夫っすか?」 「はい。で、結局何がしたいんでしょう?」 「ふっふっふー。どうぞ、帝人君!」 「は」 唐突に手渡されたのは薄い本のようなものだ。表紙には「吸血忍者カーミラ才蔵」と書かれており、帝人はバーテン服を着た男性の弟を思い出す。しかしタイトル以外は真っ白でパンフレット等ではないようだ。頭に疑問符を浮かべながらページをめくれば、そこには文字の羅列が並んでいるのみである。小説というわけでもないらしい。 「それはあの伝説の映画、カーミラ才蔵の台本っす。友人からもらったもので、なななななんと羽島幽平のサイン入りなんすよっ」 「はあ……」 「えーっとっすね、今度カーミラ才蔵がアニメ化するという話は知ってるっすか?」 「いえ」 「今度の春から放送するんっすよ! DVD買うんで一緒に見ましょうね! そのアニメなんですが、声優を一般から募集するらしいっす。オーディションは来月で、台本はその場で渡されるそうなんっすよね。で」 「……僕にこれで練習してオーディションを受けろ、と」 「いやー、流石帝人君! 話が早いっすねぇ」 ほやほやと嬉しそうに笑う遊馬崎はどこか満足そうだ。それに引き換え帝人はといえば、うんざりしたような顔で目の前の男をじっと見る。 帝人に異常なまでの興味を見せる遊馬崎は、自分の趣味に染めてしまえと様々なアプローチをしてくる。勧められて読んだ小説や漫画は数知れず。けれどどれだけ面白い作品であろうと彼のマシンガントークには追いつけないし、そこまではまるわけでもない。つまり結局は無駄なのだ。それに気付いたのか否か、今度はアニメ関連の職業から攻めてきた。 どうせ断ることはできないだろう。帝人は思い切り溜め息を吐き、小さく頷く。 「分かりました、やればいいんでしょうやれば」 「本当っすか!? ああ、これで遂に帝人君は本物の2.5次元になるんすね……!」 「2.5?」 「いえいえこっちの話っす」 最高に爽やかな笑顔を浮かべ、遊馬崎はもう一冊台本を取り出した。どうやら自分も一緒になって演技に勤しむつもりらしい。帝人としても一人で読み上げるのは恥ずかしいので、彼の行動はとても助かる。こんな馬鹿らしいことに付き合わされなければもっと助かるのだけれど。 「いいっすか。俺が才蔵の役をやるんで、帝人君はヒロインの役をやるんすよ」 「僕女性の役なんですか!?」 「だーいじょうぶっすよ、帝人君の声可愛いから! 俺は常々、女性は男の役をやるのに逆はないことに疑問を感じているっす! 男女平等などと謡いながらこのようなことではいけないと主張したいっすよ。で、それを後押ししてくれるのが帝人君の存在ということで!」 「ということでって……」 半ばどころか全て呆れながら、つっこんでも仕方がないと台本を開く。今日練習するのは最後のシーンだと遊馬崎は高らかに述べた。マニアの間では名シーンと名高い部分らしく、オーディションをするならここで間違いないと噂になっている。 フローリングに座り込んで演技の練習を始める二人。何ともシュールな光景だが、生憎客観的に眺めつっこんでくれるような存在はここにはいない。 「ありがとう才蔵、あなたならきっと助けに来てくれると信じていたわ」 「安心するのはまだ早い、敵はすぐそこにいるんだ。君は先に戻っていてくれないか」 「何言ってるの! あなたも一緒に行きましょう、これ以上戦う必要なんてないわ!」 「駄目だ。ここで決着をつけなくては、また君を巻き込むことになる。頼む、行かせてくれ」 「才蔵……」 どうやら最後の戦いに才蔵を送り出すところらしいと考えながら適当に読み上げていく。演技する気など毛頭ないので普通に棒読みなのだが、これでいいのだろうか。文句でも言われるかもしれないと顔を上げると、遊馬崎と目が合った。いつから帝人のことを見ていたのか、普段にはありえないほどに真剣な顔をしている。 少し間をおいて薄い唇が開いた。互いに目を逸らすことはない。 「さようなら、愛してる」 流れる声は、真面目に発せられれば心地よく耳に染みていく。元来顔もいい人間なのだ、にやけ面が剥がれた今、帝人には彼がとても綺麗な顔をしていると思われた。そして、台詞。真っ直ぐと突き付けられた愛の告白。演技だと分かってはいても、ついついどきりとしてしまいそうなほどだった。 遊馬崎を見詰めたまま固まってしまった帝人の顔は真っ赤に染まっている。不思議そうな視線を向けられても動けない。心臓を打ち抜かれたとでも言えばいいのか、とにかく忙しく暴れる鼓動に焦りしか出てきはしない。 「帝人君? どうしたっすか?」 「……やっぱりやめます」 「ちょ、えっ!? こ、困るっすよー!」 「遊馬崎さんには何の迷惑もないじゃないですかっ。ダメです無理ですやめます!」 「そんな……。帝人君のインタビューを雑誌で見ることも帝人君の歌うキャラソンを聞くことも、所詮は夢でしかないってことっすか……!」 大袈裟に顔を覆って叫ぶ遊馬崎にオタクっぽさを見出だし、帝人は頬を軽く叩く。一瞬、彼がとてつもなくかっこよく見えた。自分に向けられた告白かと思ってしまった。馬鹿ではないのかと思う。台本の通りに言っただけであるのに。 遊馬崎はそんな帝人の姿を見てそっと苦笑する。それにも気付かない帝人は、きっともう知ることはないだろう。台本に「愛してる」などという台詞は書いていないことに。 「鈍感はステータスだと思ってはいても、これは寂しいっすねぇ……」 「へ、なんて?」 「何でもないっすよー。そうだ、夕飯奢らせてほしいんすけど、露西亜寿司でいいっすか?」 「わあ、いいんですか?」 笑顔で言う遊馬崎に、とりあえずオーディションは受けずに済みそうだと息を吐く。ただ胸に去来した訳の分からないもやもやに、帝人はこれから何日も悩まされることになるのだった。 END. 2010/03/06 |