灰色観察日和


帝人君に幽霊が見えてます。





人に恨まれるというのは、そう簡単にできることではない。特定の人間に嫌われたり苦手とされることは難しくなどないし、むしろ誰にでも好かれ大切にされている人間の方が希少であるだろう。誰かに好かれれば誰かに嫌われ、誰かを好きになったら誰かを嫌いになって。そうして世の中は成立している。
けれど恨むことは違う。恨みとは自らを削ってすることだ。寝ても覚めても相手のことが憎らしくて憎らしくて、思い浮かべるだけでその首を捻ってやりたくなる。何度脳内で殺したところで気が済むことはない。顔を見れば出来得る限りの責め苦を味わわせてやりたくなる。それが恨みであると、帝人は思っている。
それほどまでに誰かのことを負の感情を持って思うというのは、非常に疲れるものだ。自分の体力を奪われ、思う度に苦痛を伴い、それでも恨まずにいられない。それほどの気持ちを持たせるというのは、そう簡単にできるものではない。
であるものだから、竜ヶ峰帝人は折原臨也にある意味感嘆の気持ちを抱いていた。

(また、増えてる)

黒いコートを見たら逃げろ。いつだったか誰かが言っていたのを思い出す。
ファー付きの黒いコートといえば、金髪サングラスバーテン服のこれまた見たら逃げろと言われる対象である静雄の怒りを煽る、新宿住みの情報屋である臨也のトレードマークである。彼らの戦争に巻き込まれたくないのならば、何の能力もない一般人は池袋に現れた臨也からは遠ざかるしかない。おおよそ一般人に分類される帝人も例外ではなく、運悪く件の情報屋に目を付けられたからといって彼に親しげに近寄ったりすることはない。あくまで遠く離れて、彼の視界に入らないように、彼を観察する。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。臨也の背後にうごめく影は、今日は五つである。この間見かけたときは三つだった。どうやら彼は、また誰かの恨みを買ったのであるらしかった。二つは死人、残り三つは生きた人間。
あの影も元々人間なのだから一人二人と数えた方がいいだろうかと思ったこともあった。しかしあれらは人というには未完成で、そのうえひどく歪んだ存在だ。あれを人間だなどと自分と同一視するほど、帝人は自らないし人間に絶望してはいなかった。あれらは、そういうものだ。
ああいうものが自分にしか見えないのだと気付いたのはいつのことだったか。幼い子供が空想の友人を持つのは往々にしてよくあることなので両親はあまり気にしていなかったそうだが、彼らの話によると幼児の頃から帝人にはおかしなものが見えていたらしい。小学生になってからは何も言わなかったとも言っていたので、きっとその頃気付いたのだろう。自分だけがあれを見ることができる。あれは存在してはならないものだ、見えていないふりをしなくてはならないものだ。
あれらは、いうなれば怨霊とされるもの。臨也は少なくとも五人に恨まれ、憎まれている。つまりそういうことだった。



「あれ、帝人君じゃない」

端正な顔立ちを綻ばせ、臨也がこちらへ寄ってきた。帝人の周りで同じように彼を若干遠巻きにしていた人達は、まるで帝人をも危険人物と認定したように軽く後ずさる。同じにしないでほしいなあなどという失礼な本音は笑顔に隠し、帝人は朗らかに頭を下げた。

「こんにちは臨也さん。池袋に用事ですか」
「やあ。まあちょっと仕事でね。しかし偶然とはいえ君に会えるなんて、今日はとてもいい日じゃないか!」
「僕にとってはとても嫌な日になってしまいましたけどね。まさか偶然とはいえあなたに会ってしまうなんて」
「またそういうことを言う。本当に奥ゆかしいなあ帝人君は。たまには本音で話してくれてもいいんだけどね?」
「紛うことなき本音なので安心してください」

適当に返しながら、冷や汗が滲むのを感じていた。ぞわぞわと背筋に走る得体のしれない寒気。悪いものが近くにいるときに起こる症状だ。
臨也が言葉を発する度、帝人へ笑顔を向ける度、お前もこいつの仲間なのか恨めしいとばかりに影たちが揺らめく。竦められた肩から、振られる指先から、帝人へ向かって靄が擦り寄る。気持ち悪い。吐きそうだ。臨也はそれらに気付く気配もない。まるで普通に帝人に接する。髪の先から、爪の先まで、黒い影はそのコートよりも暗く陰欝と渦巻いている。
眉間にしわを寄らないようにと力を入れるのにも疲れた帝人は、胃だか肺だか、とにかく体の深く深くから湧き出る気持ちの悪さに従ってここから遠ざかることに決めた。ここからというよりは、臨也からであるが。

「すみません臨也さん、僕これから用事があるので」
「そうなの? 仕方ないなあ、俺も仕事あるし、また今度」
「ええ。それじゃあ」

足速に臨也の元を離れ、ようやく大きく呼吸できるようになる。ばくばくと忙しなく脈打つ心臓を手で抑えて目を閉じた。顔のない顔がこちらを睨む様子が瞼の裏に焼き付いている。
ひどいものだった。いったい臨也があれらに何をしたのか、想像できないししたくもないが、とにかくあれらの怒りないし恨み辛みには凄まじいものがあった。恨み骨髄に徹すとはああいうものを言うのだろう。殺すだけでは飽き足らない、存在する全ての苦しみを与えてやりたい。そんな叫び声を聞いた気がした。
帝人には一般に霊と呼ばれるものが見える。確かに普通とは言い難い性質を持ち合わせていはするが、あいにくと彼はそれ以外においては自他共に認めるほどの普通さを誇っていた。なので霊を見ることはできるが成仏のさせ方など知らない。あれらは関わってはいけないものだと分かっていたし、実際少しでも気配を感じたら避けてきたので、知る必要などなかった。あれらは恐ろしいが、関わらなければ害はないのだ。
そしてそれは今回も同じだ。折原臨也が帝人の知り合いであり世話になったことがあるのだとしても、帝人には彼の背負ったあれらをどうすることもできない、どうすることもしない。全て彼の自業自得なのだ、彼が他人に背負わせた苦しみが今度は彼に戻っていく。それをただ傍観することが、霊を見ることのできる帝人に生涯課せられた指命なのだと思っている。
好奇心に耐え切れず帝人はそっと振り返った。颯爽と去って行く臨也の背中は黒い影のせいでうまく見えない。彼の進む道には、いや、人生には悪意が満ちている。帝人が向ける哀れんだ視線には気付かないのであろう美しい男に、帝人は再度ぽつりと別れを告げる。
元々人であった霊でさえもあの人は愛せるのだろうかとゆったり考えながら。





END.

2012/04/16



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