ブロッサム・ブロッサム





花見とは名ばかりで、これは単なる散歩だと帝人は思った。昼間の雨のせいで花びらはほとんど散ってしまったらしく、どこを見渡しても枯木のようになってしまったかまたは緑の葉っぱを覗かせる木しかない。物悲しいなと思いつつも横を見れば、臨也は楽しそうに鼻歌などを歌っている。呑気な人だ。
そもそも帝人は桜にさほど興味はない。日本人といえばと言われるほどに一般化してしまったそれには何となく自己主張がない気がして、ああ春がきたんだなと思わされるものという程度の認識だ。だから花見になど来たくもないし、当然臨也と出掛けるつもりなどなかった。が、チャットで花見の話が出てしまったのが運の尽き。(話題を提供したのは臨也だったのだから彼の計画通りだったのかもしれないが)社交辞令で好意的な反応をした途端、「今から迎えに行くね」と内緒モードで囁かれて焦ったものだ。十分とかからず帝人のアパートを訪れた臨也は、本当にいい笑顔をしていた。

「いい夜だねぇ」
「そうですか。湿っぽくて、僕はあまり好きじゃありません」
「ふうん? ま、花見には適さないかもね」
「花見って、花全然ないんですけど……」
「気にしちゃだめだよ」

ぽつぽつと会話をし、夜の公園を歩く。花はないしそのうえ深夜なので人影は見当たらない。二人きりの暗い夜だ。何となく寒い気がして帝人は背中を震わせた。
土は水を含んだままで、スニーカーの底に潰されてじゃりじゃり音を立てる。灰色の中に所々見える桃色も薄汚れている。散ってしまったあとの花とは何とも寂しいものだ。ただこうして人に踏まれるゴミにしかならないのだから。

「……むなしいですね」
「何が?」
「人生を桜に例えたりするのが、よく分かる気がします」
「へぇ、風流だね。ついでに感傷的だ」
「茶化さないでください」

臨也はけたけたと笑う。ふらふらした歩みで隣を行く彼は、どうも危なっかしい。むしろ危ないのは帝人の方か。何を考えているかなど皆目見当もつかないこの変人についてのこのここんなところまで来てしまったのだ。幼なじみに青い顔で叱られても仕方がないかもしれない。
月のない夜の道を、二人で歩いて行く。急ぐこともない、これは花見なのだ。

「散り際が美しいってことか」
「はい?」
「さっきの話。人生を桜に例えるーってやつ」
「ああ、はい。そうですね。ぱっと咲いてぱっと散って。うん、そうですね」

桜に限ったことではないのかもしれない。全て、美しいと思った次の瞬間には色あせていくものだ。古典の授業を思い出した。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。日本人の多くがそらんじて言えるのだから、やはりこの国の人々はそういうものが好きなのだろう。儚くてだからこそ綺麗な。
ひらりと、まだ残っていたらしい花びらが目の前を落ちていく。散っていくところを掴めたら願い事が叶うという話を聞いたことがあるな。偶然掌に滑り込んできた愛らしいピンクに、そんなことを思う。

「何か、願い事ありますか」
「えー、突然どうしたの? 七夕はまだ先だけど」
「違いますよ。僕は特にないので、臨也さんに譲ってあげます」
「よく分からないけど、そうだねぇ」

うんうんと悩み出してしまった横顔は秀麗と言っても差し支えないほどだ。すっと通った高い鼻だとか、風に揺れそうなほどに長い睫毛。荒れた様子もない肌に唇。鋭く甘い瞳。顔だけは、何度でも言うが顔だけは綺麗だと思う。思わず見惚れてしまうくらい。
そうか、つまり彼もまた桜と同じなのだ。こちらが躊躇ってしまうほどに美麗で、いっそ妖しげな雰囲気さえも漂っている。近寄ってはもう戻ってこれなさそうな危うくて禁忌的な美しさ。儚いとは思わない。けれど気が付いたら目の前から消失してしまいそうな曖昧さがある。だから手を伸ばしてしまうのだろうか。なくしてしまわないように、色あせてしまわないように。
馬鹿らしい。溜め息を吐けばどうしたのと顔を覗き込まれる。どうやら考えを巡らせることはやめたらしい。

「決まりましたか」
「うん」
「やけにあっさりしてますね」
「まあ俺の一番の願い事だからね、悩むほどでもないっていうかさ」
「はあ。聞かせてもらっていいですか」
「もちろん」

爽やかな笑顔に魅せられて、どきりと心臓が高鳴った。それに気付いたのか気付かなかったのか、臨也は楽しそうに口を開く。

「死ぬときは一緒に死のう」
「え」
「いや、願い事だからこの言い方はおかしいか。帝人君が死ぬときは俺も一緒でありますように」
「じゃなくて、は、意味がよく……?」
「だってさー、寂しいじゃないか」

帝人君は可愛いからさ、この桜みたいにすぐいなくなってしまうんでしょ。だったら俺も一緒がいいなって思ったんだよ。綺麗な散り際をさ、一番近くで見ていたいんだよ。
優しく手を取られ花びらが風に乗ってどこかへ飛んでいく。唖然と固まった帝人に意地悪げに微笑んで、臨也はまた歩き出した。ゆっくりゆっくり。まだ時間はある。そう、何と言ってもこれは花見なのだ。

「……やっぱり、花がなかったら花見とは言えませんよ」
「そう? 俺は桜なんて見えなくても構わないけど」
「それじゃあ何のために出て来たんですか」
「それもそうだけどね。ふふ」

ぐちゃりと足元で潰れた、美しかっただろうものには目もくれず、二人は夜を歩いて行く。捕まえるべき花びらはもう散った。けれどこの人がいるならまあいいかな。声には出さぬままに、帝人は重なった手に少し力を込めた。





END.

2010/04/13


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