無知と無関係 どこかおかしいとは思っていた。静雄はうまく働かない頭を必死に回転させる。いつからこんな風になってしまったのだろう。考えても分かるはずがない、静雄と帝人の関係など、顔見知り程度なのだから。 第一印象はと尋ねられれば、ふわふわしていて人のよさそうな奴と答えるだろう。気を遣うのがうまくて、自分のことはたいてい後回し。人に好かれて、人のことが好きな優しい少年。静雄は、帝人のことを割と気に入っていた。それこそあまり交流があったわけではない。所詮は何度か言葉を交わした程度の仲である。だが、自分で言うのもおかしいが動物的直感で人の好き嫌いを見極める自分が気に入ったのだ。彼の人間性は間違いないだろうと思っていた。 彼が何に巻き込まれてきたのか。そんなことは静雄は知らない。けれど確実に何かがおかしくなっていた。何がなのか、それは分からなくとも、確実に。 「静雄さん、ありがとうございます」 不良に絡まれている帝人を助けたのは本当に偶然だった。どこかからうるさい声がするなと覗いた先にいたのが帝人だったのだ。これが赤の他人だったとしても静雄は助けただろう。今回は偶然知り合いだったので声をかけてみれば、にこりと笑ってこちらを見た。いつも通りの、温かい笑みで。 あれ、と思った。いつも通りのはずである。何度か自分以外の誰かに向けていた、小動物のような甘ったるい笑顔。何等不自然なことなどない。けれどそんな不自然でないことが不自然だった。 不良に絡まれてすぐにこんな表情を浮かべられるような人間だっただろうか、彼は。いつだったかの抗争を困惑しながらただ遠巻きに見ていた少年が、すぐにこうも笑えるだろうか。帝人は笑っている。何も恐ろしいものなどないという風に、優しく優しく。 「助かりました、一時はどうなることかと」 「あ、ああ。怪我はないか」 「はい、大丈夫です。それにしても、こんなのが多いですねここは」 地面に転がった男たちを見下ろして帝人が呟く。こちらから彼の表情は確認できない。けれど声音が聞いたこともないくらいに冷たい気がして、静雄は知らず体を震わせた。 何かがおかしい。自分を襲った相手とはいえぼろぼろになった人間に、こんな言葉を投げかけるような子ではなかったはずだ。そのはずだ。けれど静雄には確信が持てない。そのうえ、彼との繋がりはもうとうに切れた後なのだ。「ダラーズ」という唯一にして強いだろう繋がり。知り合いとしての関係も薄い静雄が、今の帝人に何かを言えるはずはなかった。 帝人はこちらを振り返り、相変わらず眩しいほどに笑顔を浮かべる。やはり先程の声が冷たいと感じたのは気のせいだったのだろう。けれど今は、その変わらない笑顔がただただ不気味だった。 「ありがとうございました。それじゃあ僕は行きますね」 「おう、気をつけてな」 「はい」 去って行く背中に今度は声をかけることもできず、静雄はそこに立ち尽くす。携帯を取り出したらしい帝人の声だけが、薄暗い路地裏に小さく響いていった。 「もしもし、青葉君?」 何故だか歯痒くて歯痒くて、静雄は堪らず壁を思い切り殴った。 何かが、どこかがおかしいと思っていた。何がおかしいのかどこがおかしいのかは何も分からない。何が変わったのか、何に変えられたのか、どうして変わってしまったのか。答えはない。もう誰に教えてもらうこともできない。あの柔らかい少年のことを、静雄は何も知らない。 けれど一つだけ分かっているのは。自分は彼のために何をしてやることもできないという、それだけだった。 END. 2010/03/30 |