苦く苦く苦く 買い物を一緒にしよう。帝人から提案すれば正臣は嬉しそうに頷いた。杏里は用事があるのだと先に帰ってしまったし、こんなに早く帰宅しても楽しいことなど何もない。ただ町を歩き回るだけでも十二分に面白いことを知っている帝人は、鞄を背負って学校を後にする。当然ついて来た正臣と並んでするのは、いつも通りのくだらない会話である。 「何買うんだー?」 「食料品と、季節の変わり目だから服が欲しいなと思ってさ」 「ああ、もう春だもんな。ていうかお前そんなに出掛けねぇのに服とかいるんだなはっはっはっ」 「引きこもりみたいな言い方やめてくれる? 正臣みたいにいつもかもナンパなんてやってられないからね」 「お前もさー、せっかく恋の季節なんだから俺なんて誘ってないで可愛いカノジョでも作んなさいよ! そんでランデブーやらデートやらベーゼやらかましちゃいな! あ、杏里はダメだけど」 「なるほど、だから正臣はいっつも女の子やら恋愛やらナンパの話ばっかりしてるんだね」 「はあ?」 「頭の中が年中春だから」 「ちょ、ひど!」 大きなスーパーで夕飯の材料を調達する。今日はスパゲティーにでもしようと安い乾麺を選べば、正臣は子供のような顔で二種類のパック入りソースを持ってくる。どうやら泊まりに来るつもりらしい。正臣が帝人の家へ遊びに来たり泊まりに来ることはよくあるので別に構わない。ただ金欠なので奢らされるのは困ると、この買い物の会計は全て正臣にさせることにした。 正臣と共にいるのは気が楽だ。肩に力が入らないことに心地よさを覚えながら帝人は軽く伸びをする。幼なじみで親友なのも多分に関係しているのだろうが、彼の纏っている雰囲気が絡みやすいというのも大きいだろう。いつもふざけるようにへらへら笑って場を盛り上げてくれる。さりげなく帝人を気遣ってくれる優しい面もあるし、感謝することも多々あった。 帝人は、正臣を頼りにしている。必要としている。大切だと思っている。それが誇らしくて、嬉しいとさえ思った。 「次は服だっけか」 「そのつもりだけど、まあ適当なものでいいよね」 「俺のよく行く店紹介してやるよー。お前の服をコーディネーションもしてやるぜ?」 「あはははは遠慮しとく」 正臣に連れられて訪れた店は、あまり大きくはないが落ち着いた雰囲気のメンズ向け服飾店だった。帝人の好みに合うようなものが多いし値段も良心的である。正臣がよく行く店と聞いてイメージしたところとはかなり掛け離れている。けれど確かに彼の普段の私服はそれほど弾けているわけではなく、この店に置いてあるようなものだったかもしれない。 こういうところを見て回るのは好きだ。自分の服を選ぶためだけではなく、他人がそれを着ている姿を想像して楽しむのである。あのシャツは静雄さん。あのジーパンは臨也さん。あのネクタイは新羅さん。あの帽子は遊馬崎さん。あのジャケットは門田さん。 これまで出会ってきた知り合いの姿を思い浮かべつつ歩いていると、いくつかの服を手にした正臣が近寄ってきた。 「なあなあ、この辺のなんてお前に似合うと思うんだけどっ」 「見繕ってくれなくていいって言ったよね」 「えー、いいじゃんかー。ちょっと着てみろって!」 「もう、分かったよ」 正臣に勧められるままにいくつか着て回り、気に入ったものを手元に残していく。それほどの量はいらないのだけれど正臣は止まらない。帝人に着せるのが楽しいとばかりの表情に、文句を言う気も薄れてしまった。 結局出来上がった大きな袋に、帝人は深々と溜め息を吐く。一気に財布が軽くなってしまった。正臣をじとりと睨んでみたが、どこ吹く風といった風で笑っている。怒るに怒れない。予想外の出費は痛かったが、ずっと付き合ってくれたのは事実なのだ。荷物持ちにも甘んじてくれているしと、帝人は先程買ったお礼の品を袋から取り出した。 「お、何だ何だ?」 「一応付き合ってくれたお礼。今の店で買った安物だけど、正臣に似合うなって思って」 「まっじで? うぅわー、俺は嬉しいぞ帝人ー愛してるー!」 「はいはい。どうぞ、今日はありがとね」 愛想よくにこりと笑って手渡したというのに、正臣はぱたりと固まった。掌に収まった布をじっと見詰めるだけで何も言わない。俯く彼の顔は帝人からは見えないが、どうしてかひどく苦しそうだと思った。何かを怯えているような、何かを悲しんでいるような。 「まさ……」 「ありがとな帝人、めっちゃ嬉しい流石は俺の幼なじみだっぜ!」 不安になって声をかけようとすれば、満面の笑みで感謝を告げられた。あまりの豹変ぶりに先程の雰囲気は幻だったのではないかとさえ思った。正臣は普段通りだ。だからこそ、何かがおかしい気がした。 帝人に何を言わせることもなく正臣は歩き始める。受け取った黄色い黄色いハンカチに、嫌悪と畏怖と慈愛の篭った視線を向けながら。帝人がそれに気付くことはなかったけれど。 END. 2010/03/26 |