彼を泣かせる易しい方法 それは平和島静雄にとって、いつものことといえばいつものことであった。 彼は折原臨也のことが嫌いだ。いけすかない作り笑いも、人を馬鹿にしたような口調も、何より他人を陥れる言動ばかりするところが昔から大嫌いだった。向こうも静雄のことは嫌いなので遠慮などはする必要もない。出会ったら喧嘩すると誓約か何かがあるわけではもちろんないのだが、臨也と静雄の殺し合いはもはや名物と言われるほど毎度のことなのである。 なので少し驚いた。大体の人間は静雄に関わってはいけないと知っているし、初めての人間も彼の怪力を見れば裸足で逃げ出す。彼らに共通することは、恐怖。静雄を恐れ、そいつらは皆遠巻きにこちらを窺うのみだ。それでいいし、自分を怖がらない人間などはいないだろうと思っていた。だからこの少年についてはどうしたらいいのか、いつも分からない。 「ふ、ぇ……っ」 偶然見掛けた臨也に向かってポストを投げた。それだけのことだ。静雄にとって普通で代わり映えのない出来事であり、それは軽く避けて逃げた臨也にとってもそしてその場に偶然居合わせた目の前の少年にとってもそうであるはずだった。彼、竜ヶ峰帝人も、何度となく静雄の怪力を目にしているはずなのだ。いい加減慣れてもいい頃である。 それでも帝人は、静雄が暴れる度に毎回涙を流す。ぼろぼろと大きな瞳から溢れんばかりに、嗚咽まで零しながら。 「す、すまん竜ヶ峰……。当たってはないんだよな?」 「ひくっ、だいじょぶ……ですけ、ど……っ。ぅ……」 「ああああ泣くなって! 男だろうが!」 「ご、ごめんなさいいいぃっ」 「だあから泣くなって!」 近寄って頭を撫でても、帝人は逃げたり恐怖の篭った視線を静雄に向けたりはしない。むしろ慰めるのを待っているように、いつだってその場に立ち尽くすだけだ。 帝人は自他共に認めるレベルの泣き虫である。もう高校生であるというのに、ちょっとしたことですぐに涙を滲ませる。大きな犬と目が合っただとか不良に絡まれただとかホラー映画が怖かっただとか、周りが呆れてしまうほどのことでだ。 けれど最近彼が泣くのは、もっぱら静雄が喧嘩しているところを見たときになっていた。物が投げ飛ばされる度に声を上げて泣くので、端から見れば静雄が帝人を脅しているように思われるだろう。しかし帝人は静雄のことを恐れてはいない。尊敬しているし信頼していた。それは静雄にもはっきりと伝わっていて、尚更泣かせてしまうことが申し訳なくなるのだ。 「っく、いつもすみません静雄さん……」 「いや、俺が悪かった。驚いたんだろう」 「はい。やっぱり目の前を巨大な物が飛んでいくってのがどうにも。ポスト、あんなスピードで……。あた、当たったら……!」 「あーあー、泣くな泣くな」 コーヒーを買い与えてベンチへ座らせれば、顔を青ざめてまた瞳を潤ませる。 帝人が泣くのは、単純に驚いたからだ。ポストが宙を舞うという非常識な光景にショックを受け、そのせいで涙腺が緩む。それがもし誰かに衝突したらと想像してしまうことも要因の一つだろう。実際は何度か人にぶつけているのだが、その現場を見ても帝人は静雄を避けない。静雄自身が怖いのではないと言い、泣くはめになってまで彼と接しようとする。 もし静雄を恐れて泣くのならば、静雄は寂しくとも帝人から離れただろう。傷つけたくはないし、何より嫌われたくないからだ。しかし帝人は静雄のことを好意的に見ている。だから困ってしまうのだ。 「……竜ヶ峰な」 「ぐず、なんでしょう?」 「やっぱりあまり俺に関わらない方がいいんじゃないか」 「へ」 「お前が泣いてるとこ見るとよ、その、俺も悲しいし」 静雄は帝人のことを好きだ。色々な意味で。例え嫌われておらずとも好きな人を泣かせる原因が自分にあることにいい加減耐えられなかった。関わることがなくなっても帝人はまた他事で簡単に泣くのだろう。けれど、やはりそれとは事の重さが違う気がするのだ。帝人のことを守りたくはある。なのに守るために泣かせては意味がないだろう。 少し距離を置くだけでも。そう思いながらそっと目を向ければ、帝人は唖然とした顔で静雄を見ていた。元々大きいのに更に大きく見開かれた瞳からはぽろりと涙が落ちる。普段とどうも様子が違う。いつもなら子供のような泣き方をする帝人が、静かに静かに泣いているのだ。 「竜ヶ峰……?」 「静雄、さんは」 「ああ」 「僕が近くにいると迷惑なんですね」 「はあ?」 「だってそうでしょう。僕がいっつもいっつも泣くから欝陶しいんだ、きっと」 「そ、そんなこと言ってないだろうが!」 音も立てずに地面に吸い込まれていく涙がなんだか切なくて、不器用ながら手を伸ばす。指を伝う雫は温かい。帝人はといえば、涙を拭われたことに何か思ったのか余計に頬を湿らせる。静雄の脳内は混乱しきりである。 どうしてそんなことを言うのだろう。静雄と共にいて辛い思いをするのは帝人であるはずだ。だからこそ側にいたいと考えている自らのことなど知らないふりで、こうして忠告しているのに。 「僕は」 帝人は声を上げない。淡々と静雄の方を見詰めながら、それでも悲しそうに泣き続ける。 「僕は、静雄さんと一緒にいたいだけなのに……」 瞬間、静雄の顔が真っ赤に染まる。言葉にならない声を口の中だけで上げて固まるが、帝人の言葉は止まらない。むしろ追い撃ちをかけるように、紡がれていく。 「そりゃあ驚きますし気付いたら泣いてますけど、あれだけのことができる静雄さんはすごいなって思います」 「……」 「基本的に優しくて、本当に僕の憧れで、静雄さんみたいになれたらなって思ってて」 「……」 「ちょっとでも側にいられたら、って、おも……っ」 「……竜ヶ峰」 告げられる褒め言葉の羅列に、静雄の頭の中は沸騰直前だ。好きな相手にそんなことを言われたらこっちが離せなくなってしまう。顔を赤らめたままでそう考え、ようやくしゃくり上げ始めた帝人を抱きしめた。子供体温だとでも言うのか妙に暖かい体。恥ずかしくて肩に顔を埋めると、心配そうに背中を叩かれる。 「し、静雄さんっ?」 「……もう分かった。関わるななんて言わねぇ」 「本当ですかっ、……う」 「だから泣くなって。俺もお前が怖がらないように、キレんの我慢するからよ」 「こ、怖くなんてありません! 静雄さんのすることが、怖いわけないじゃないですかぁ……っ」 「お、まっ」 盛大に抱き着かれ、今度こそわんわんと泣き出した帝人に、静雄は口ごもることしかできない。 これからも一緒にいるのならば、泣き止ませ方も学ばなければならないかもしれない。そこまでで思考を中断し、静雄は随分と幸福な溜め息を吐き出した。 END. 2010/03/07 |