虹を見た日





蝉時雨というのは、まぁ良くそう言ったものだという位に煩くて、ここ港町でも他に違わず鬱陶しい。

8月の太陽はジリジリと肌を焼く。俺は夏休みの間だけ従兄弟の家にいて、所謂海の家を手伝っていた。割合楽しめる小遣い稼ぎとして高一の時始めたから、今年で三度目になる。

毎年盆には帰る約束だった。だからこうして蝉の声を聞きながら駅へと向かうのも、当然三度目だ。

「夏樹、来年は来ないの?」

一緒にラムネ瓶を片手に坂を上っていた、二つ年上の従兄弟の海斗が聞いてくる。見れば潮焼けした茶色い髪が汗で額に張り付いていた。俺はなんとなく、海斗の顔って「夏」って印象しかないなぁ、としみじみ思ってしまう。

「来年はわかんない。俺専門受かったら県外行っちゃうもん」
「ふぅん。」

海斗は気の抜けた返事をする。
気楽そのものの。
気負いの無い。
それはやっぱり「夏」って印象しか持てない緩いのものだ。

「あ、蝉の抜け殻」

地元の徒歩で出歩く奴しか知らないだろう、という細い路地に入ると、やっと俺達は日陰に隠れる事が出来た。
民家の間なのか庭を突っ切っているのか、その辺りが謎の少しくねった砂利の上り坂。
目と鼻の先で咲いている向日葵の葉の裏側に、俺は蝉の抜け殻を見つけた。ここから出た一匹も、この耳が痛い程の盛大な嫁探しに参加している事だろう。
と、嫁、で思い出したけど。

「そういえば去年付き合ってた四目ちゃんってどうしたの」
「ん、もうすぐ帰って来るよ」
「?地元ここじゃん。旅行?」
「まぁ、そんなとこ」

四目ちゃんと海斗は俺が去年の夏この町に来た時には付き合い始めてて、雨にも夏の暑さにも負けず始終くっついてた。
四目ちゃんは俺の嫁!が決まり文句で去年はそれを何度聞いたか知れない。
今年は全然見かけないし海斗も話題にしないから半ば別れたのだろうと思って聞いたが、何だ続いてたのか。

温くなったラムネを飲み干す。
また地面が舗装された道路に出ると、熱を帯びたアスファルトが憎い。駅はもう、すぐそこだ。

「虹」
「え」

海斗が振り返った海の方向を見ると、空にぼんやりと虹が架かっていた。

「何で?」
「昨日雨降ったからじゃない」
「そんなもんなの」
「かもしれない。たまにあるよ。珍しいけど」
「へぇ」

来年は来ないかもしれないしいい餞別だ、なんてぼんやり見上げていたら、海斗は突然ぽつりと呟いた。

「明日は迎え火焚かなきゃなぁ。じいちゃんと、四目の為にも」

はっとして海斗を見ると、海斗はニヤニヤしながらバン、と俺の背中を叩いた。

「なんつって!」
「???」

冗談なのか何なのか分からないまま駅に着いた。
海斗が持っていた紙袋を俺に渡してくる。中身はおばさんからの手土産。毎年繰り返されるシチュエーション。

「お前さ、今も見えるの」
「……へ?何が?」
「幽霊。三歳位の時、家泊まり来てなんかいるってすげえ泣いたって、うちの母ちゃんが言ってたから」
「……幽霊?俺が?」

全然覚えてなかった。

「そっか」

俺は、ああ、と思った。
その一言で俺はなんとなく、海斗の言いたい事が想像出来た。

「四目ちゃん、いつ」
「その話はいいって!じゃあな、気をつけて帰れよ」

海斗はまたニヤニヤしながら俺の背中をバンバン叩いた。

電車に乗る。
ローカル線の赤い電車は空いていて、ちゃんと冷房が効いていて涼しい。
俺は扉付近の座席に腰を下ろした。独特の抑揚のアナウンスと発車音のメロディーが流れ、景色が動き出す。

迎え火を焚かなきゃな。

虹を見上げてそう言った時の、海斗の横顔。一瞬だったけど、はっきりと見てしまったそれが脳裏に焼きついて離れない。
俺は初めて海斗の冬の顔が想像出来た。



end.


prev next



≪目次へ戻る
[しおりを挟む]
- ナノ -