STRANGEA


 ──くそ、暑いな。
 肌に張り付き始めた着衣の不快さに舌打ちしそうになるのを抑え、紀津は額から流れ落ちる一筋の汗を拭う。念の為にと装着した特殊ゴーグルが、想定通り侵入者感知システムの類を感知していないのは御の字、建物の構造も自身が在籍していた本社直営工場と近いものであるのは有難かったが、気候差によるこの湿気を帯びた蒸し暑さは、すっぽりと計算から抜け落ちていたのだ。青年らしい首筋を隠すハイネックの中で、紀津は乾きを訴える喉仏を静かに鳴らした。
 現在彼が息を潜め、追随する二名を先導する形でほふく前進している狭いエアダクトは、自らが機械整備士を務めていたとある大企業の本社直営工場から南へ800キロに位置している、同グループの支店管轄工場である。ダクト内を進む自身の後方には、玖条、リオンの順に旅の仲間が続いていた。偶然出会った二人と共に魔王征伐の旅に出ると決めたのはごく最近の出来事のように思えるが、脱出に用いたマシンのタイヤがバースト寸前になる迄擦り切れる位には、あれから時間は経過しているらしい。

「どうだ紀津。目ぼしい次の脚は、見つかりそうか」
「…さあ、どうだか。工場の規模からして、盗み出すのにさほど手間はかからないだろうけど。あまり上等なのは期待しないでくれ」

 ブーツの脹脛をつついて小声で問う玖条に、紀津は同じく抑えた声量で返答を返す。壮年期に差し掛かったと見える玖条の声は、声量を抑えても尚、貫禄を滲ませている。首を少し傾げて目の端で後方を確認すると、決して小柄ではない紀津よりも長身で体格も良いその男は、トレードマークのサングラスを頭の上に押し上げて、薄暗く窮屈である進路の先へ目を凝らしていた。
 最後尾にいるリオンの魔術で、この侵入に邪魔であるそれぞれの長衣と装備は一時的に消されている。万が一に備えて残した武器は、先頭を行く紀津の握る一丁の拳銃のみだ。対となるもう一丁の銃と玖条の大剣は、開けた場に降りた後に召還する手筈となっている。


 一行が魔物の蠢く荒野を走り抜けてこの町にたどり着いたのは、昨夜の事。丁度頭上の雲行きが怪しくなってきた頃合いだった。雨季の激しいスコールが訪れる前に酷使し限界を迎えたマシンを乗り捨て、三人は町外れの宿に駆け込んだのだ。悪路を進みながらの魔物征伐と、玖条の武器である大剣を狙う紫髪の男を相手に奮われた、各々の武器をまずは丹念に手入れして、次に服や身体に付着した魔物の血と埃を洗い流した。そして、さてこれからどうやって旅を続けようと相談した結果、追手がかかっているならば先を急いだ方が良いという結論に至り、再度紀津の働いていた工場の支社から脚となるマシンを拝借する事にしたのだ。
 そうして、魔王の居場所の手掛かりが掴めるという、二つ先の町に聳える塔を一気に目指す。塔の中には荒野以上に手強い魔物がうようよ潜んでいると専らの噂だが、戦闘を重ねる度に三人の息は合ってきている。体力も経験値もそれなりに上がった今では、魔物達を力で捩じ伏せ塔の頂上へ辿り着くのは決して不可能ではないだろうと考えていた。

 じりじりと進んできたエアダクトが、左と斜め奥右側に続くものとに、二股に分かれている。目指すは工場の深部、大型のマシンが製造されているであろう場所だ。当然とばかりに紀津が右へと身を進めようとした時、不意に小さな赤子のような鳴き声がした。
「ミャア、ミャー…」
 これもまた、荒野を走ってきたのですっかり失念していた事だ──この世界には、野良猫が多い。
 この展開は、まずい。かなりまずいぞ。紀津はどうか気づかないでくれと焦って、すかさず右へと上半身を向けたが、微かな音でも響くダクト内で、玖条が愛するお猫様の声に気付かぬ筈もない。
 ぐんっ、と力強く足首を掴まれて、進もうとした意思を削がれる。
「おい、にゃんこだ! しかも子猫じゃないか! なんてこった、このか細い声! 大分腹空かしてんぞ!」
「おいオッサン、なんてこったはこっちの台詞だ。叫ぶな」
「だってにゃんこだぞ! 俺が何の為に魔王を倒そうとしてると思ってる? いいか紀津、作戦は後回しだ。先にこの可哀想な迷子の子猫ちゃんを助けろ!」
「何言ってんだよこの──」
 …ドオオンッ!!!!
「…っ!!」
 突如体重を支えていた天井が突き崩され、身を潜めていたエアダクトはぐにゃりと曲がった後で粉々に粉砕された。真下の部屋へと落下する三人の視界に飛び込んできたのは、見覚えのある魔力を帯びた太刀と、痩身を中心に翻る黒いマント。宙に浮かんだままの紫髪の青年の口元が、三日月のような弧を描く。
「はーはっはっはぁッ!! 見つけたぞぉッ! 玖条!」
 この耳障りな高笑い。間違いなく、一度荒野で襲ってきた男だ。奴の目的は唯一つ、玖条の武器を奪う事にある。前回と同じように、宙に浮かぶ青年は玖条の大剣を凝視、しようとしたがしかし、今ここに存在しないものを見るなど出来る訳もない。キョロキョロと三人の周囲を見回し、ぽかんと口を開いて暫し天井を見上げ、やがて一人で納得した様子で頷くと、冷静にリオンを睨んだ。
「…お前だな? 玖条の大剣を隠しやがったのは」
「貴方こそ、何て不意打ちをするんです。私は今とても不機嫌です」
 神官らしく穏やかな笑みを浮かべている事の多いリオンだが、今は珍しく頬を膨らませてぷいとそっぽを向いている。
 それもその筈。ここだけの話、何を隠そうリオンは相当なケツフェチである。神官という立場や優しげな容姿のせいで、一歩身を引く奥ゆかしい人物だと良い方向に解釈されてはいるが、その実、常に後方を好むのは尻を愛でる為なのだ。リオンは万人の尻を等しく愛している。尻博愛主義者と言っていい程に、老若男女問わずその造形は全部素晴らしいなぁと、見ていると幸福な気持ちになるのである。
 と、そのように多少尻好きを拗らせてはいるが、そこは腐っても神官。彼は、ただ見ているだけで己を満たしてくれる尻を、非常に神聖なものだと捉えている。
 言わずもがな、リオンにとって先程までのエアダクトで過ごしていた時間を突然終わらせたヤマトの行為は、神官の祈りを途中で妨げたのと同じようなものなのである。
 そのような思いから、リオンは怒っているというより正確には拗ねているのだが、しかしその隣にはコメカミに青筋を立て、本気の殺意を抱いている男がいた。玖条だ。
「テメェ、今のは上にお猫様がいると知っての狼藉か? ああん?」
 チンピラである。確かこの男は主人公ポジションに置かれている筈だが、これは完璧にチンピラのオッサンそのものである。
「もういいわ、俺の武器出せリオン」
 据わった目付きの上にそれを隠すサングラスをかけ、玖条はリオンに武器を促す。構えからして相当本気だ。
 それじゃ俺のも宜しくと、クールに紀津が便乗する。全くしょうがないな、とでも言いたげな冷めた声色だが、戦闘を好む血が密かに騒いでいるのか、何処か楽しげでもある。
「相手してやるよ。テメェ、名前は?」
「…ヤマト。ヤマトだよ、玖条?」
 宙に浮くヤマトが好戦的にニヤリと笑う。リオンが呪文を唱え、味方の全ての武器と、防御効果を上げる長衣を召還した。戦闘態勢が整った刹那、玖条が軽々と大剣を掲げて飛び上がる。自身の脳天目掛けて振り降ろされたそれをすんでのところで素早く身を翻して避けたヤマトを、間髪入れずに紀津の二丁拳銃が狙う。真っ直ぐに向けられた二つの銃口から正確に放たれた弾丸は、間違いなく心臓を貫けた筈だ。けれど現実はそうでは無かった。魔を宿したヤマトの日本刀が、攻撃を嘲笑うように弾丸を撥ね付ける。その反動を利用して天井を蹴り、勢いを付けたヤマトが、魔力に光る刀身で玖条の首を取ろうと真っ逆さまに飛び込んでくる。首の動脈を狙って突き刺そうとしてくる鋭い一直線の一撃、玖条は大剣でぶん、と空を切り、それを薙ぎ払う。途端、ガキン、と硬い金属のぶつかる音が響くが、その余韻などかき消す、二人の激しい攻防戦が始まった。本気を出したヤマトの身のこなしは予想を超えて素早く、殆ど重力を無視したものである為、玖条に当たらないように注意して繰り出す紀津の早撃ちは、かろうじて黒いマントに風穴を開けられただけに留まっている。
「紀津さん、この間とはどうも動きが違う気がしませんか。彼は恐らく」
「ああ。読まれてるんだろう、こっちの動きが」
 戦闘での息が合ってきたと感じていたが、裏を返せばそれは戦い方にパターンが出来てしまっているという事だ。二度目の戦闘を仕掛けてきたヤマトは、前回の経験からこちらの動きを読んでいる。
 玖条は強い。どんな武器だろうと、例え素手だろうと並の人間では叶わぬ程だが、並々ならぬ攻撃力持つ大剣を用いれば尚のこと強い。
 それと互角にヤマトが戦っているのは、当人の戦闘のセンスのせいも当然あるだろうが、玖条の戦いぶりが防御を捨てたものであり、フェイントを含まない真っ直ぐなものである為に、相手に読まれ易いからでもある。
 今は互角だが、このままでは大剣を操る玖条の方が、先に体力が持たなくなるだろう。
「リオン、そろそろ玖条の後方に回れ。俺が接近戦に持ち込んで奴の気を引くから、その間に玖条の回復を」
「いえ…まだ。それ、まだ待ってください。私、いいこと思いつきました」
「何…?」
 リオンは玖条とヤマトの目まぐるしい攻防をじっと見詰めている。しかし、玖条の体力は最早目に見えて少なく、紀津は気が気ではない。もう倒れるんじゃないか、仲間を殺す気かと苛立ちをぶつけようと口を開きかけたその時、リオンが動いた。
「紀津さん、今です!!」
 紀津がヤマトの後方、リオンが玖条の後方に同時に回り込む。脚の長さも戦闘経験もリオンより紀津の方が数倍上手である為、彼がヤマトへ攻撃を仕掛ける方が数秒早かった。玖条をじわじわと追い詰めていたヤマトの頬を、紀津の重い蹴り上げが掠める。ひゅん、と空気が鳴って、ブーツの爪先がヤマトの頬に一筋の傷を刻んだが、しかし致命傷は与えられていない。構わず、ヤマトは一気に視線を玖条へと戻す。が、その視界に広がったのは、巨大化したネコのマスコットだった。
「な、に…?!」
 玖条がピンチを迎えた時、腰の猫マスコットは巨大化して玖条を守るようになっている。ヤマトはそれを知らなかった。一瞬の動揺、もちもちとしたそれを掴んで払い除けようとすれば、死角となっていた玖条の左手には、たった今自身を蹴り上げた紀津が握っていた筈の銃が、硬質な光を放っていた。
「じゃあなぁヤマトぉ! にゃんこを軽んじる奴はにゃんこに泣くんだ、ぜ!!」
 悪役か、と疑いたくなる笑顔で、玖条が引き金を引く。ドンッ!と至近距離から放たれた銃弾が、ヤマトの右肩を貫いた。熱と痛みが広がる中、後方に控えていたリオンがにこりと笑って手を振っている。
 ああそうか。紀津のものである銃の片方を、マスコットで死角が出来てるうちに玖条の左手に転送させたのか。この神官は目の前で消えていた武器を、ご丁寧に召還して見せたのだ。こんな転送が可能であると、気付いておくべきだった。
「……なんだよお前ら…まぁさんと俺の目的を邪魔しやがって…次は全員殺す、殺してやるぞ、覚えとけよ…ふ、はは、はははは…!」

 ヤマトは風のように去った。だが安心は出来ない、どうやらヤマトの治癒能力は相当高い。前回も負傷を負ったにも関わらず、この短期間に二度目を仕掛けてきたのだから。

「あー…俺、もう動けん。リオン、回復魔法頼む。あと紀津、あのにゃんこ助けろ」
「まだ言ってるのかオッサン」
「オッサン言うな」

 紀津は倒れ込んだ玖条へ呆れ顔を向けた。しかし、ダクト内でミャアミャアと怯えたように鳴いている子猫が気にならなかった訳ではない。
 ヤマトが人払いでもしたのか、猫の救出は誰にも邪魔されなかった。
「なんかもう、面倒になってきたよ。エアダクトの中、狭くて暑いし。どうせもう俺、社長とヤマトに顔割れてるみたいだし、こそこそしても意味ないよね。正々堂々と通路通って、手頃な人質でも取って、脅して車ぶん取ろう」
 紀津が冷静に犯罪めいた事を言う。
「それは楽ではありますけど…良いのでしょうか? そんな事をしたら、努力して高めてきた私の力が、落ちてしまうかも…?」
 神官という身分であるリオンは、眉根を寄せる。悪いことそのものをしたくないというよりも、罪悪感を抱くとせっかく高めてきた力が衰えてしまうのが、彼にとっては死活問題なのである。
「気にしなきゃいい。悪者も善人も勇者も魔王も、どうせ紙一重なんだから」
「ええ…、魔王も、ですか?」
 それはあんまりにも一纏めにし過ぎではと、げんなりしながら紀津に目線を流すが、紀津は涼しい顔で微かに口元を綻ばせるばかりである。
「そんなに気になんなら、人質に詫び代払えばいいじゃねぇか? 俺達は移動手段が手に入る、人質は臨時収入が入る、それでウィンウィンだ」
「でもお金で解決するのも何か…ああ、もう解りました。この際、禁じ手ですが、記憶消去魔法を使ってしまいましょう」
「お!? 早く言えよお前、そんな便利なものがあったのかよ!」 
「だから禁じ手の一つなんですって。使ったら3日は魔法が使えなくなるので、その間はアマトリチャーナみたいに真っ赤に染まったりするの、御二方共控えて下さいね?」

 そんな訳で、一行は無事新たな移動手段を手に入れて旅を再開した。目指す塔に着くまでの間に野良猫を追いかけた玖条が強烈な猫パンチでうっかりかすり傷を負ったが、予告通り3日間魔法が使えなくなっていたリオンは、私に今出来るのはこんな事位ですから、と手作りのアマトリチャーナを振る舞った。因みにアマトリチャーナはめんどくさい名前のわりに簡単なパスタ料理である為、正気を疑う程大盛りで、お代わり自由であったという。


<続かない>


補足:
 こちらはぺぺりさんが各サイトのイメージをファンタジーキャラ化してくださった際に、私が嬉しさあまって勝手に書いてみたお話です^^(つまりnot公式の妄想ですw)リオンくんはCV緑川光のめちゃくちゃかっこいい爽やかな神官さんでした…!ありがとうございました(*^^*)!
  

  


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