Kiss & Cry
「話はこれで終わりだ」
 両腕を大きく広げて締めくくった。和やかに、物語るように、優雅に。そう話せるよう張り詰めていたものがほどけ、小刻みに指が震える。喋ることを止めると、乾燥しきった喉が張り付いた。
「ツギの怪我はどうなったの?」
「結局七針縫った。二針だけ、頭皮でなく額を縫わなくてはならなくて、今でも前髪がないと、傷痕がよくわかる。痛そう、だったな」
「そうなんだ。ねえ、あたし馬鹿な自覚があるから確認していい?」
「物語の中の男の子は僕だよ」
「えっなんでわかったの!?」
「そのくらい質問されなくてもわかりますー」
 僕はうざったらしく語尾を伸ばして答え、頭の後ろで両手を組んだ。
「イチにはあの後散々睨まれたな。弟を怪我させた心ない奴って言うレッテルを貼られた。事あるごとに、目の見えないやつ、化け物、色がわからなくても心があればわかるもんだってね。結局あいつが大学行って一人暮らしを始めるまで、ずっと」
 体の重心を後ろに預け、椅子の前脚を浮かせる。不安定な空中で、震えそうになる声をごまかした。
「僕にはね、人を思いやる心が欠けているんだ」
 両手で顔を覆う。
 どんなにカードや絵の具を見比べて色の名前を覚えたって、見えないものが見えるようになるわけじゃない。せめて人の心を欲しいと願ったって、為せば為すほど嘘くさく正体を失って行くのが善であり優しさだ。
「以来、色を識別する訓練は積んでるつもりだ。でも、君に声をかけた時、僕は君の傷に気付けなかった。努力はそういうふうに、結果を結ばないものなんだよ」
「そんな風に言うの止めてよ!」
 突然、小来さんが声を荒げてテーブルを叩いた。
「え? うおっ! ぎゃっ」
 バランスを崩して僕は椅子もろとも床にぶっ倒れる。さっき打った頭をもう一度打ち直して、あまりの激痛に言葉が出なかった。生理現象の涙がボロボロと目尻から溢れて顔の側面を伝い落ちる。
 壊れていくんだ。
 最初から持っていなかった世界を僕は知るよしがない。だから、それを望もうと思っても想像が出来ない。そんな物かと諦めた。自分に人の心がないのも当然だと受け入れた。
 だけど、ベーチェット病は違う。毎日毎日少しずつ色が失われていく。世界が闇に閉ざされて行く。意識しないとわからない変化だ。だけど確実に起こっている崩壊だ。道に迷った時、塗り分けられた路線図や町の地図が読みづらいことに気付く。今日久しぶりにあった友人の肌は以前より黄ばんでいた。いつからか、通りゃんせの音がなければ怖くて横断歩道も渡れない。赤信号が光っていてもわからない。
 世界は、はみ出した者に容赦がない。
「こんな世界、間違ってる。お前らだって、いつ目が見えなくなるかわからないのに! 人を狂った化け物みたいに! 狭い所に追いやりやがって。僕の居場所を取り上げやがって。壊れろ、こんな世界! さっさと壊れてしまえばいい……!」
 喪失の谷間を縫うようにして人は生きている。今までは運良く何も失わずに来られただけだと、幸ある者はそれに溺れて気付かない。例え過去に失った物があったとしても、喉元を過ぎた熱さを忘れるように、涼しい顔でどこかを欠いた人間を排除する。
頭が鼻血を吹きそうなくらいガンガンした。グラグラと揺れる平衡感覚。そのまま世界が崩れていくような気がする。こんなの、絶対間違えている。あまりにも不平等だ。そして不平等に対して途方もなく不寛容だ。僕なら、金属バットを持って通りすがりの誰かを滅多打ちにしても許されるんじゃないか。情状酌量してもらえるんじゃないか。希望に溢れた誰かの目を錐でくり抜いても許されるんじゃないか。だって僕には何もない。
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