青春。 そう聞くと思い浮かぶのは恋愛だったり 学生の、あの足早に去ってしまう爽やかな瞬間だったりというのがオーソドックスなんじゃないかと思う。 もちろん私も普通の人間で普通の思考回路であるからイメージする事は一緒だ。 清々しくて、時に切なくて、透き通った独特の雰囲気をもつ時の名前。 私が幼い頃夢に見たそんな恋の理想は未だ分からずにいる。 ピピッ 電波的な音を立てたデジタル時計が鳴り止むとのそりのそりと起き出す塊。 ''20区では最近喰種の出現が相次いでいます。20区、または近隣に住む方はくれぐれも夜間の外出時は気をつけて、なるべく出歩かないようにお願いします。それでは次のニュースにうつります………'' 無機質に流れるテレビの情報に、朝食のパンを齧りながら20区も物騒になったものだなあと思う。 大学進学を機に安全な20区なら、と親の了解を得てはじめた一人暮らしももう少しで一年になるところで、随分と暮らしのノウハウが分かってきた。 歯を磨いて身支度を軽く整えて家を出る。 お気に入りの靴を履いて、誰もいない空間に挨拶をして外に出るのは少し寂しく感じた。 片手で数えられるほどの駅を電車に揺られて大学に着く。上井大学、と格式のある字で書かれた門をくぐって中に入るとそこには落ち着きのある空気が漂っている。 講義まではまだ時間がある。 腕時計を確認するとキャンパス内の一角に腰を下ろして趣味の本を広げた。 『……どこからだったっけ』 栞を挟むクセがない私はこうして冒頭を読み返しながら既読の部分まで探すのが最早お決まりで、我ながら学習しないなあと苦笑いが溢れてしまう。 そしてふと私のように文学が好きな眼帯の少年(いや同い年だから青年というべきかもしれない)とのエピソードを彷彿とさせた。 会話したのは僅か数回だけれど、同じ学部の彼は、大学生になって浮かれる周りの男の人とは違って擦れていない真面目な人だと自然と目で追いかけていた気がする。…今になって思えば。 そして見かけることのなくなったあの綺麗な黒髪を思い出してなんだか締め付けられるような胸のつまりを覚えるのだ。 『そういえば、栞を貰ったんだった』 気を紛らわすように小さく呟く。分厚いこの本を読み始めた時、彼に薄い桃色の栞をプレゼントされたのを思い出した。 ''女の子のために何か選ぶの、初めてだからよくわからなかったんだけど…'' 困ったように苦笑する姿が何処か遠くに思い出される。 いまどこで何をしているのだろう? 見かけなくなって2週間ぐらいは病気か家の事情だろうと気にならなかったが、一ヶ月、二ヶ月と経つに連れてそれを不思議に感じた。大学をやめるような人には見えなかったし、ただ単に私が彼が帰ってくることを望んでいたからそう感じたのかもしれない。 まだカバーに入ったまま新品同然の栞を眺めて、たまに陽に透かしてみたりする。 貰ったことを忘れてたのは大事にしまい込みすぎてたからかな。あとは、勿体なくて使えなかったのかも。 ずっと気になっていた彼と話ができて、少しは親しくなれて、私にしてくれた親切がもっいなくて、ずっとずっとしまっておきたいと思ったのだ。 ズズッと砂糖入りのコーヒーを啜って春の、まだ冷たさの残る風から堪らずカップを手で包み込む。 ほのかな温かさが伝わるそれを飲み終えて私はもうすぐ始まる講義に急いだ。 --- 講義が終わりバイトに数時間費やしてとっぷりと日が暮れた頃、 自宅に戻る道を足早に歩く。 今朝のニュースに昼間とは違い冬の初め頃のような身体を冷やす空気から一刻も早く解放され、暖かい何かを飲みたかった。 ストールをマフラーのようにして口元を覆って門を曲がった時、「ああ、今日はついてないな」なんて悠長にそんなことを思ったのである。 『わっ』 「っ、……」 思ったのである、とは身の危険を感じているはずなのに逃げることをしなかったから。…なぜか私にはその喰種から逃げるという選択肢はなかった。 『…カネキ、くん?』 だって、それは紛れもなく昼間思いを馳せた張本人だったから。 真っ白な髪に真っ赤な瞳。マスクをつけていることからも分かるように喰種であることは間違いないはずなのに、その姿に吸い込まれるように顔を近づけて相手を覗きこんだ。 容姿がだいぶ変わってしまったけど、カネキくんで間違いない。 彼はぶつかったとき瞬間に見た私に驚いて、そして覗き込まれてきちんと私を確認して瞳を大きく見開く。 困ったように揺れる瞳が、栞を受け取ったときに感じた彼のやさしい眼差しを思い出させてズキリと私の胸を引っ掻いた。 …なにも言わないんだね。 なにも言えないんだね。 目の前の喰種はたしかに彼なのに、固く口を閉ざしたそのマスクは一言も発しなかった。 これで今迄姿が見えなかったことを理解できた気がする。彼が声を出さず距離をとろうとしていることも。私はそれが分からないほど鈍感じゃない。 冷たい風が頬をなでていき、のびた髪が私の表情を隠した。 瞬きのように一瞬のことだけど、見つめ合った瞳は彼が背を向けたことで終わってしまった。 『あ、の』 突然とびだした言葉が擦れて彼を引き止める。 律儀に振り向いたその瞳はもう喰種のものではなくなっていた。 『…カネキくんって人、とても優しいんです。人を大切にしているというか、相手のことをすごく思いやれる人なんだと思います。……あなたにもそういう雰囲気があったので間違えてしまいました。』 ごめんなさい くしゃっと無理して笑った私の顔を彼は…カネキくんはゆっくり刻み込むように眺めて、そしてすれ違いざまに私の名前を呼んで姿を消した。 『…っ、……ぅ…』 ほんわかしたカネキくんの声。少年のように笑って優しく紡がれる言葉。 もう二度と会えないかもしれない。いや、多分会えないんだろうな。 いまになってわかってしまった胸のズキズキの理由を他人に告げちゃいけないことは分かる。 憧れた青春に似たそれ。 黒髪の彼と共に別れを告げなければいけない気がして、濡れた瞳をそっと伏せた。 |