※死ネタ ずるいですよ、名前さん。 あなたは突然俺の前に現れて、ミカサ一色だった俺の世界をあっという間に塗り替えて、そのおかげで俺はあなた無しでは生きることができなくなりました。 こんなことになるのなら、あなたは何故、俺の前に現れてしまったのでしょうか。 ぽっかりとあいてしまったこの心は、心臓に風穴を開けられるよりも、苦しくて、切なくて、痛いんです。 この気持ち、あなたには分かりますか? 850年、再び現れた超大型巨人のおかげで俺の人生は狂うことになった。 あれだけ憲兵団に入ると言っていたのに、マルコの死をきっかけに俺は調査兵団に入ってしまったのだ。 こんなはずじゃなかった、口癖になっていた俺の嘆きは、ある日、あの人の耳に届いた。 「何を後悔しているの?」 今日も貴重な休憩時間に、俺はこの辺りでは一番高い木に登り、いつもの口癖を嘆いていた。 この木の上から見渡せる街はトロスト区のように支離滅裂ではない。 まるで巨人など存在しないかのようにいつも通りの日常を送る人々で賑わっていた。 「……え、」 突然聞こえた質問に俺はその主に振り向く。 音も、気配も、彼女の声が聞こえるまで何も気がつかなかったせいで俺はマヌケな声をあげた。 そんな俺の様子を気にすることなく彼女は俺の隣に腰かけ、俺と同じように遠くを見つめる。 それから、少しの沈黙のあと、彼女から再び声をかけられた。 「あなたが何を後悔しているのか私には分からないけど、でも、しっかりと前を見つめないと巨人より自分に負けてしまうわよ。分かりましたか?新兵くん?」 教官みたいな口調でおどけたように彼女が笑う。 新兵くん、と俺を呼んだということは彼女はきっと俺より先輩なのだと理解できた。 「頭の中では分かっていても、どうしても納得できない自分がいるんです」 初めて会う彼女にこんなことを言っても困らせるだけだ。 だけど、彼女は朗らかに笑いながら俺の頭をくしゃくしゃと撫でてくる。 「確かに、素直に納得できるほど私も大人じゃないわね。つまり、あなたの気持ちも人間としては正しい感情なのよ」 「じゃあ、俺はどうすればいいんですか?」 「好きなだけ悩みなさい。それが新兵くんの仕事よ」 ああ言えばこう言う俺の言葉に、彼女は飄々とかわすようできちんと向き合ってくれる。 初めてだった。 この彼女のような大人に出会ったのは。 やがて、彼女も俺も訓練の時間がやって来る。 それから俺達はそれぞれの場所へと戻っていった。 調査兵団の一員として活動しているうちに、彼女の情報は自然と俺の耳の中に入ってきた。 名前・名字、特別作戦班に所属する調査兵団きっての大きな兵力。 なんでも、訓練兵団を圧倒的な成績のもと首席で卒業したとか。 ちなみに、人類最高の美女と呼ばれているらしい。 なんだか首席とか美女とか凄い兵力とか、ミカサに似ていると思う。 だけど、人懐こく社交的で表情豊かな姿は、ミカサとは違う。 ミカサと似ているようで似ていない、彼女はそんな人だった。 「あら、今日も黄昏中なの?新兵くん?」 「その呼び方、いいかげんやめて下さい」 いつもの木の上にいると彼女がやってくる。 初めて会って以来それが日課になっていた。 「あんまり人のことに干渉する人は良く思われないと思いますよ。ほら、ミカサを見て下さい。ミカサは寡黙で常に冷静で、大事なことだけを的確に話してくれます。……まぁ、エレンに対しては別ですが」 俺のミカサに対する気持ちを吐き出しては彼女に聞いてもらう、それも日課になっている。 彼女は俺の気持ちすらも笑って返すのだ。 「あなたは本当にミカサが大好きなのね」 「な!?」 耳まで真っ赤に染まるのが自分でも分かる。 俺の反応を見て楽しそうに笑う彼女が憎くて仕方がない。 正直、俺は彼女が苦手だった。 しかし、数日後、俺はアルミンにとんでもないことを言われることになる。 ジャンは最近名前さんの話しかしないね、と。 彼女と話すようになってから随分経った頃のこと。 俺がいつもの木の上に座って遠くを見つめていても、今日は何故か彼女が現れる気配がなかった。 「……何なんだよ、あの人は」 ガシガシと頭を掻きむしりながら一人悪態をつくも、いつものように俺の行動を笑う声が聞こえない。 何故かそれが無性に腹が立って仕方がなかった。 それから数日、また数日と経っても彼女は現れない。 そんなこんなで彼女と再び再会できたのは第57回壁外調査の前夜だった。 「あらあら新兵くん、こんな夜更けに何しているのかしら?」 「先輩こそ、こんな夜更けにうろうろしてていいんですか?」 久しぶりに会ったというのに、俺の態度は以前よりも生意気になってしまった気がする。 内心反省しながらチラリと彼女の表情を伺うが、彼女は特に気にした様子もなくいつものように朗らかに笑っていた。 「本当は見つかったら上司に怒られちゃうけどね」 彼女の言う上司とは人類最強と呼ばれる兵士のことだろう。 何故だろうか、あまりその人の話は聞きたくない。 「ここ最近、忙しそうでしたね」 「そうかしら?」 「はい。俺と話す暇もないくらいに」 彼女が俺に振り向く。 あまり俺と視線を合わせようとしない彼女にしては珍しい行動だった。 「何?私と会えなくて拗ねていたの?かわいいね、新兵くんは」 「…っ、真面目に答えろよ!」 上官に対して失礼な口の聞き方だと頭の中では理解している。 だけど、目の前で朗らかに笑う彼女が許せなかった。 自分ばかりがここ数日苛立っていて、自分ばかりが彼女と話す時間を楽しみにしていて、自分ばかりがガキみたいに拗ねてしまっていて、まるで、自分は彼女より遥かに子供だと現実を突きつけられたみたいで悔しくてたまらない。 俺に突然怒鳴られた彼女は少し驚いていたが、やがて、いつもより真面目な声音で答えてくれた。 「私ね、あなたと会っている時は兵舎に住んでいたの。特別作戦班に所属していても、訓練は一般の兵士と一緒だったわけ。だけど、数日前から私も特別作戦班がいる古城に合流するようになって、それで、あなたのいるこの場所には来られなくなってしまったのよ」 「……じゃあ、今日は、…なんで?」 「分からない。ただ何となく、この場所に来たかったの」 特別作戦班がいる古城からこの木までかなりの距離がある。 馬を最高速度で跳ばしても時間はそれなりにかかるだろう。 「さて、そろそろ帰りますよ、新兵くん」 彼女が伸びをしてから地面に向かって飛び降りる。 だけど、俺の手は勝手に彼女の腕を掴んでしまっていた。 俺の身体は彼女の重力に従うように落ち、彼女は俺のせいで体勢を崩しながら落ちていく。 ドサドサと鈍い音がしながら二人して地面に着地した時、俺は言葉を失ってしまった。 地面に仰向けに倒れる俺の身体の上に、彼女も一緒に倒れこんでいる。 至近距離にある彼女の表情は月の光とは逆光で何も分からない。 「……すみません。怪我は?」 「平気よ。あなたは?」 「…俺も、…平気、です」 さらりと溢れてくる彼女の髪が俺の顔にかかってくすぐったい。 俺は思わず俺から離れようとする彼女の頭を手で押さえ引き寄せた。 初めて俺の唇に触れている相手はミカサではない。 今はただ、明日に迫る現実を忘れていたくて、目の前のミカサではない彼女の身体を強く抱きしめていた。 翌日、第57回壁外調査。 俺はアルミンとライナーと共に女型の巨人と遭遇するも、奇跡的に無事でいた。 最も、俺達は無事でも、同じ班の先輩達は無事ではないのだが。 「あなた達、無事?」 ライナーがクリスタと結婚したいと心に誓っている時だった。 いつも聞き慣れた声が聞こえ、俺は誰よりも先にこの主へと振り向く。 そこには人類最高の美女と呼ばれるあの人がいた。 「こんなところで何サボっているんですか?」 「失礼ね、新兵くん。これが私の仕事よ」 彼女を前にしてライナーが妾にしたいと呟き、アルミンが顔を真っ赤に染めながら見つめ、クリスタが溜息を吐きながら感嘆の声をあげている。 人類最高の美女という異名も伊達ではなさそうだ。 「私は常に陣形の様子を把握し、それを団長や兵士長に伝える役割を担っているの」 ふと、彼女の手が俺の頭の上に置かれてくしゃくしゃと撫でられる。 それからいつもとは違う憂いのある微笑みを見せた。 「この辺りの被害は最悪なものだった。よく生きていてくれたわね、新兵くん。ありがとう」 彼女の手が離れていく。 まだこの手を離したくなくて、今度は俺から彼女の手を掴んでしまう。 「……死なないで下さい」 ぽつり、本音が溢れる。 彼女は少しだけ驚きを露わにしたが、やがて、いつものように朗らかに笑った。 「死なないわよ。でも、そういう言葉はあなたの好きな人に言いなさい」 好きな人、脳裏に浮かぶのはミカサの姿。 だけど、俺が触れたいと思うのは目の前の彼女だけ。 再びスルリとほどけていく彼女の手、今度は追いかけるように手を伸ばしても、彼女の手を掴むことはできなかった。 「新兵くん達、気を引き締めて馬を走らせなさいね。壁外調査は壁内に帰るまで何が起きるか分からないからね」 彼女が再び馬を走らせて遠くへ向かう。 だけど、少しだけ振り向いて彼女は俺に笑いかけた。 「ジャン、」 新兵くん、ではない初めて呼んだ俺の名前。 それに対して俺が何かを言う前に、彼女はまた馬を走り出してしまう。 小さくなっていく彼女の背中は手を伸ばしても届かなくて、まるで、俺だけ置いていかれるような錯覚を感じた。 それが俺が見た彼女の最後の姿だったんだ。 女型の巨人捕縛に失敗し、壁内に帰還している最中にその知らせは届いた。 特別作戦班、兵士長とエレン以外全滅。 話を詳しく聞けば、彼女は俺達と別れたあとに特別作戦班と合流。 その後、仲間と共に女型の巨人に挑むも、残虐な最期を迎えたらしい。 彼女の遺体は無残な形のまま仲間と一緒に森の中に残されているとか。 知らせを聞いた俺は発狂しそうなほど頭の中がおかしくてぐちゃぐちゃになった。 最後に俺の名前を呼んだ彼女の声が忘れられない。 あの朗らかに笑う表情も、たまに見せる教官口調も、人懐こく社交的な姿も、全部、全部、全部、頭の中から離れないんだ。 「……名前さん、っ、」 それから俺は何度も何度も彼女の名前を呼びながらあの木の上で一人涙を流していた。 もう二度と、新兵くん、と俺を呼ぶ彼女が現れないことを知りながら。 ねぇ、名前さん。 ミカサが俺の初めて好きになった人ならば、あなたは俺の初めて愛した人でした。 だからお願いです。 もう一度、あなたの笑った顔を俺に見せて下さい。 今度は素直にあなたに振り向くから。 だから、だから、だから。 このぽっかりとあいた俺の心を、あなたでいっぱいにして下さい。 願わくば、どうか、平和になった遠い世界で、あなたともう一度巡り会えますように。 俺の心をミカサから攫ったのだから、来世でもいい、だから名前さん、責任、取って下さい。 |