何が幸せかなんてその人にしか分からない。

例えば、恋人が隣にいるだけで幸せを感じるかもしれないし、もしくは付き合えなくても、好きな人が笑ってくれているだけで幸せかもしれない。わたしは、前者でも後者でもない。好きな人の隣には、素敵な素敵な恋人がいる。が、それは勿論私ではない。彼が笑っていても、幸せなんて思わない。早く別れればいいのに、なんて思う酷い女なのだ。


「巻ちゃーん」
「その呼び方やめるショ。あいつと被る。」


私の好きな人、巻島裕介の隣には今私がいる。それは位置的な意味であり、恋人ポジションという意味ではない。彼の恋人は、一つ年下の学校一可愛いと言われている子だ。


「なあんであんな可愛い子が巻島を選ぶんだろうねー、聞いてみたい。」
「お前喧嘩売りに来たのか」
「まあね」


もう帰れ。と言われたが逆に帰ってやるもんか、と椅子に深く腰掛けた。そう言えば、と話し掛けようとする前に彼が口を開いた。


「今泉が」
「今泉?」
「お前と仲良くなりたいって言ってたショ。」


お前、どう思ってんの?と言わんばかりにこっちを見る巻島に曖昧に笑ってみせた。笑ってんじゃねえ、と怒るのはどういう意味なの。彼を試したくて、わざと言ってみた。「この前映画見に行ったよ、二人で。」ねえ巻島、わたしが男と二人で出掛けたら、少しくらい妬いてくれる?


「へえ。…好きなんじゃねーの?お前のこと」
「……そうかもね」


あいつは繊細だから、傷付けんじゃねーぞ。と巻島は言う。違うよ、わたしが聞きたいのはそんな言葉じゃない。妬いてくれないなんて、分かりきっていたことなのに。


「んで、言いたい事あるなら言うショ。」
「…別に、なにも。」
「は、もう俺たち三年目の付き合いだぜ?お前の顔を見ればすぐに分かるショ。聞いてやるからよ」


どうして、私にそういうことを言うの。我慢しようと頑張ったけれど、堪えきれない涙が頬を伝った。泣くつもりは無かったのに、泣いてしまった。今ここで泣けば、彼が困ると思ったから。しかし巻島は、制服の袖でそっと涙を拭ってくれた。酷く、優しい顔をして。


「イギリスに、行くって、ホントなの?」
「…ああ。」


途切れ途切れに紡いだ言葉はゆっくり空に落ちた。そっか、と諦めのような一種の虚しさを含めて相槌を打った。


「あーんなに可愛い彼女を置いて、行っちゃうんだ」
「アイツは待つって言ってくれてる。信じてみるショ。」
「可愛いから、他の男に取られちゃうかも」
「ふは、その時はその時ショ。好きな人が笑ってくれれば、それでいいショ。」


本当に幸せそうに巻島が笑うから「私にしとけば?」なんて冗談でも言えなかった。ゆっくりと彼を見る、その目はなにかを訴えていて、


その時教室の扉が開いた。「あの、えっと、ゆーくん…お話し中?」と控え目に此方を見る彼女に「あ、大丈夫大丈夫。連れて帰ってあげて」と言えば巻島に頭を叩かれた。


「いたっ、なにすんのバカ!」
「ザマアミロ」


引っ掛けていた鞄を取り、彼女に向かって歩き出す巻島の背中をぼんやり見つめる。あと数歩で教室を出るというときに彼は立ち止まり、彼女に先に降りていてくれと告げた。素直に巻島の言うことを聞き先に歩き出す彼女を見送ってから、巻島は振り向いた。


「あー、その、…ありがとな。」


巻島は、私の気持ちを知っていた。そしてそれに、応えられないことも。きっとわたしが言えないと分かっていたから、だから最後に聞いてくれたんだ。チャンスをくれた優しい彼は、明日日本を発つ。


誰もいない教室で、私は遠慮なく泣いた。