ある雨の日の午後、あいつは1人で泣いていた。
大声をあげて泣きじゃくるわけではなく、小さな嗚咽をもらして泣くわけでもなく、ただ瞳から流れた涙が頬を伝い地面に向かって落ちていくの繰り返しだった。

あいつのあんな表情、初めて見た…

声をかけようと思ったが、なんだかそれが神聖な儀式のように見えて近付けない。
俺はあいつにバレないように物陰に隠れたまま、あいつが泣くのを見続けた。
あいつが泣いたのはこれっきり。


バスケ部を退部になってから1年は過ぎただろうか。
中学3年に進級した俺はそれなりに過ごしていた。
そんな時に偶然見かけたんだ、マネージャーの名字名前が泣いているところを。

「なんだよ、またここにいんのかよ?」

13時5分、図書室に入れば1番奥の席に名字は必ずいる。
本棚に囲まれたその場所は他の席からは死角になっているのだが、陽の光が当たらなく他と比べて薄暗いその席は誰も座ろうとしなかった。
1人を除いて。

「灰崎こそまた来たの?最近よく来るね!」

「ここ、昼寝するにはちょうどいいんだよ」

「そっか」

薄暗い場所には不釣り合いの名字の笑み。
まるで花が咲くような暖かい春を連想させる表情…いや、少し違うな。
「春」なんて言葉より「太陽」という表現の方がしっくりくる気がする。

あったけえな、ここは…

机に突っ伏して寝る準備をととのえてから目を閉じる。
その瞬間、ふわりと俺の肩から背中にかけて何かが包んだ。

「……おまえ、風邪引くだろ」

「私は大丈夫だよ、使って」

俺を包んでくれるのは名字が着ていたセーター、ここで寝る度にこうしてくれるのは日課になりつつある。

「で、おまえは今日は何やってんの?」

「青峰と黄瀬用のテスト対策を作ってるの。今回のテストは難易度高いみたいだし。」

昨日もここで赤司が作った練習メニューに目を通していた。
一昨日は桃井でも作れる簡単な料理のレシピを作っていた。
その前は緑間が破いてしまったラッキーアイテムのぬいぐるみを直していた。
さらにその前は紫原が好き嫌いしないための人参の食べ方を考えていた。

そして、3年に進級してすぐの頃、ここで名字は泣いていた。

最近バスケ部で何が起こっているか分からないが、黒子があいつらと一緒に行動しないことに気付いていた。
それなのに、明らかに不穏な空気を纏うバスケ部で名字は優しく目を細めて微笑み続けていたんだ。

「灰崎もテスト対策した方がいいんじゃない?」

「うっせ」

「ふふっ、結果が楽しみだね!」

「おまえ、俺をバカにしてんじゃねえよ」

「違う違う!…ふふふっ」

こんなにも側にいるだけで温かい存在である名字、でも限界が近い。
その微笑みは見ていて痛々しいぐらい無理やりだった。

俺にはおまえを救うことはできねえのか?

太陽の光が失われたら全てが消えてなくなる気がした。
眩しい輝きは徐々に淡い輝きになっていることにあいつらは気付いているのだろうか。

「なあ…」

「んー?」

「明日もここ来んの?」

「うん」

「じゃあ、俺もそうする」

名字は何も話してはくれないが、それでもいい。
ただ、あの日のように1人にしたくない。


桜の花が散り、新緑の芽が出て、ギラギラと太陽の輝きが眩しい夏が来る。
その太陽の輝きが淡くなる頃に木々は緑色の葉から赤色に姿を変えていく。
この頃には月が淡く綺麗に見えるようになる。

そして、太陽が姿を現す時間が1年で1番短くなってしまった時…あいつはまた泣いていた。

あの日と同じようにただ静かに涙を流している。
それと同時にこれまでの輝きも消えていくような、そんな感じで。

「なんで泣いてんだよ?」

泣いている名字に近付き、尋ねてみる。
いつもの席は相変わらず陽が当たらなくて薄暗い。
それは今が放課後のせいなのか、太陽である名字が消え入りそうなせいなのか、どちらかは分からない。
たぶん、後者な気がする。

「泣いてないよ」

「じゃあ、その目から出てる水はなんだよ?」

「なんだろう、ね…」

俺を見てまだ笑おうとする。
あれからずっと側にいた俺を頼ってくれない名字に苛立ちが募っていく。

「おまえはもう無理する必要ねえよ」

淡い輝きになってもあいつらを照らし続けてきた。
それなのに、どういうわけかあいつらは太陽のありがたみに気付かずにバラバラになっていく。
それなら俺ができることは一つだけ。

「太陽なんかやめちまえよ」

毎日晴天ではないのは太陽だって疲れるからだ。
雲に隠れて休息したって誰にも文句は言わせない。

「もう、おまえが無理して笑う必要ねえんだよ。…ありのままのおまえでいてくれ。」

名字が数回瞬きをし、それからふわりと笑う。
この太陽は誰にも渡したくない。

「うん、ありがとう。…優しいね、灰崎は。」

「優しくねえよ、俺が優しくするのはおまえだけだ」

そして、俺はおまえだけの雲になる。



ある雨の日の午後、雲に隠れた太陽を見つめながらあいつはこう言った。

「私、彼等がまた一緒に笑い合えるまで太陽なんかやめるわ。」

また桜が咲き始める、そんな季節に。