たぶん、私は彼のことが好きなのだと思う。その「たぶん」は限りなくMaybeに近い「たぶん」で、不確定要素しかないのだけれど。きっかけとか、どこが好きとかは分からない。けれど彼が別の女といるのはムカつく。あの女誰なのよって問い詰めてやりたいくらいムカつく。そんな私の腐った考えを彼が知るよしもなく、知らない女にヘラヘラ笑いかけているのを見て妙にイライラした。


俺は彼女が好きだ。「たぶん」とか「おそらく」とか、そんなあやふやな言葉ではなく絶対に好きだ。もうずっと前から彼女に片思いをしているような気がする。彼女がこの気持ちに気付いてるはずもなく、今日も俺は遠目で彼女を見ることしかできない。目の前の、名前も知らない女に適当に話を合わせるが、全神経は彼女に集まっていた。彼女の幼馴染みであり、俺の大切な友人に「真太郎!一生のお願い使うから宿題見せてくれない?」と抱き付きながら頼んでいる。おいおい、宿題なら俺が見せるから抱きつくなって。真ちゃんも満更でもなさそうだし。…あれ、こんなことで妬くほど俺の器って小さかったっけ。


真太郎に宿題を借りているとき、彼の方から視線を感じたような気がして振り向いたけれど、高尾くんは私なんか見向きもせず知らない女と駄弁っていた。って、どんだけ自意識過剰な女なんだ。彼が私なんか見ている訳もないのに。仮に見ていたとしたら、それは私ではなく目の前にいる真太郎の方。どうかしたか?と上の空だった私に真太郎は心配そうに見てきた。ううん、何でもない。宿題ありがとう、と真太郎に告げて足早に自分の席に戻った。


何でもない。あいつはそう言ったがバレバレだ。視線は真っ直ぐ、高尾に向かっていた。何年幼馴染みをやっていると思っているのだよ。それに気付かないほど疎くはないし、何より好きな女の心境が分からないほどバカでもない。高尾はバカだ、バカだからこそいつまで経っても彼女の好意に気付かないのだ。お前のその自慢のホークアイは、コートでしか役に立たないのかと皮肉ってやりたいくらいだ。生憎、恋のキューピッドなんてするつもりも更々ないので言わないが。


恋のキューピッドとかいねーかな。なんてうわ言のように呟けば、真ちゃんが「ついに頭が可笑しくなったか」と蔑んだような目で俺を見てきた。違うんだって、いや違わないかもしれないけどさ。キューピッドさんとかいたら両想いになれそうじゃん?ほら俺好きな子いるし!って必死に弁解しても、真ちゃんは「知らないのだよ」と明らかに煩わしそうな顔をした。あーー、いっそ真ちゃんに協力してもらおうかな。どうせ真ちゃんは彼女のことを幼馴染みとしか見てないだろうし。


たまたま、本当に偶々通り掛かった教室の中から「ほら俺好きな子いるし!」と彼の声が聞こえてきた。え、うそ。高尾くん好きな子いるの?思わずピタリと足を止めて盗み聞きするように、必死に扉と同化して会話を聞こうとした。どうやら教室には真太郎もいるらしい。しかし真太郎は高尾くんの好きな子には全く興味がなさそうな感じだ。バカ!ちゃんと聞いてよそこは。誰なの?とかどんな子?とか。


好きな子、なんて一々聞かなくても分かる。しかし俺は先ほども述べたように恋のキューピッドになるつもりなんてない。だからあえて突っ込まずに流そうとした。知らないのだよ、と高尾に言っても引き下がろうとする気配はない。むしろ「真ちゃん俺の好きな子気になるでしょ?聞きたいでしょ?」と自ら暴露しようとまでしてきた。


真ちゃんが聞いてくれないから俺から告げようとしても、全然乗り気になってくれない。むしろ聞きたくなさそうな素振りさえされた。なんで真ちゃんは聞いてくれないんだよ。「俺さ、真ちゃんの」そこまで言いかけた時、真ちゃんが高尾!と制止するように叫んだ。その時初めて、真ちゃんが泣きそうな顔になっていることに気付いた。


聞きたくない。高尾の口からあいつが好きだ、なんて。咄嗟に叫べば、高尾はキョトンとした顔をしてそれ以上喋らなかった。沈黙が気まずい。どうしたの、真ちゃん。なんて困ったように笑う高尾の顔があいつとダブった。ああ、いっそ言ってしまおうか。言ってしまえば気持ちも楽になるだろう。高尾、聞いてくれ。俺はずっと前から


「あいつを幼馴染みなんて思ってはいない。…すきなんだ。」


すき。真太郎は、確かにそう言った。嘘だ。だって、だって、だって。どんなときも真太郎は私を大事にしてくれて、でもそれは家族に接するみたいな優しさだったから私はそんなこと気付かなかった。とてつもなく空気が、重い。教室の外にいる私でさえ息が詰まりそうだ。私は逃げるようにその場を立ち去った。どうしよう、明日からどう接していいのか分からないよ。


頭が真っ白になるってこういうことなんだ。真ちゃん、それ本当?と、自分でも分かるくらい情けない声を出すので精一杯だった。思えば、真ちゃんは誰よりも彼女に優しかった。なんと言うか、愛しい人を見るような目で接して、口振りもどこか甘いというか。兎に角、思い返せば心当たりはある。ああ、俺失恋確定じゃん。なんて頭の端っこで考えていた。


ついに言ってしまった。言わなければ良かったと心底後悔した。このまま気まずくなると、今後の部活で影響するだろうか。それだけは避けておきたい。インターハイも、あるのだから。この気まずい沈黙を破ったのは高尾の方だった。真ちゃん、俺気にしてないから。といつものように高尾はへらりと笑った。


学校から帰って携帯を見れば真太郎から着信があった。震える指でゆっくりと折り返しの電話をすれば、いつもと変わらないトーンで「宿題が写せたのなら早く返すのだよ。そうでなければ勉強ができない」と彼は言った。すぐに返すね、と言って彼のノートをカバンから取った時、受話器から彼以外の声がした。真ちゃん誰と話してるのー?耳元で聞こえたその声は確かに高尾くんだった。彼もいつもと変わらない話し方で「あ、もしかして真ちゃんの彼女〜?」なんてからかっている。きっと先程のあれは私の聞き間違いで、見間違いだったんだ。悪い夢でも見てたのかな、なんて安堵した私の耳に飛び込んできたのは信じたくない言葉だった。



「ああ、そうだ。」

電話口の向こうで彼がなにか言っていた気がするけれど、わたしの耳にはもう届いていなかった。