※大学生設定

とても長い暑い昼に、日が長くなったと嫌でも感じさせられる最近だった。しかし今は風も涼しくなり、外は薄暗がりとなっていた。
ふと暗くなったことに気付き時計をみればモニターに向き合ってから短針が三目盛りも進んでいた。物事に没頭する事は悪いことではないのだが、如何せん長くパソコンの画面を見過ぎた。疲れてきた目を休める為にも気分転換も必要だと思い俺はパソコンをそのままにして、ベランダへ出た。いつの間にか暗闇が街を包んでいる。そんな黒の中に微かに灯った明かりがボウ、と光っていた。
部屋の中に聞き慣れた音が響くと、必ず君を思い出す。それは、君がここへ来るのが俺の中で当たり前となっている証拠だった。
そして今日もそんな、聞き慣れた音は部屋に響いた。たった一度だけの音は、それがなる原因を示すかのようにいかにも悲しげに響いた。

「精市くん、いつもこんな時間にごめんね」
「いや、あがりなよ。名前」

いつものように、彼女は目を腫らしてやってきた。優しい色をして彼女を照らしているライトでさえも、彼女が孕む残酷さは覆い隠せず、逆に浮き彫りにするのだ。俺の承諾を得て、部屋の中へと歩を進める彼女はゆっくりソファーへと腰をおろした。この光景ももう、見慣れてしまったもので。そして俺はその事実にもたいして違和感を感じなくなってしまった。
俯く彼女の体には、青くなった痣や傷が増えていて、彼女の白い肌を彩っていた。気づかぬ間に細くなってしまっていた体は抱き締めることさえ怖かった。

「今回は、また酷いね……」.
「ブン太くんとお話ししすぎちゃったみたい……玲夜、すごく、怒ってた」
「名前、何で……」

言おうとした言葉を呑み込んだ。それは愚問だったからだ。訊かなくともわかるその理由を、彼女の口から聞きたくはなかった。彼女は俺の言わんとした事が分かったのか、小さく首を振ると力なく微笑んだ。

「彼が、精市くんだったら、幸せになれたのかな」

その言葉をあと何度聞けば、俺は救われ、赦されるのだろうか。傷に塗れた彼女を抱き締める役は決して俺には回ってこない。そう決まっている。それでも俺は、彼女の言葉にいつも、小さな希望を抱いてしまうのだ。

「ねえ、名前」
「………ん?」
「俺なら、幸せにしてあげるよ」
「………」
「毎日笑えるような、楽しい生活を一緒に出来る」

柄にも無く、俺は必死だった。彼女の悲しい顔も泣き顔も、好きなんかじゃなかったから。
大学に入り、告白されたという先輩と付き合い初めて、幸せそうだった名前を見た瞬間にこれは諦めなければいけない恋なんだと、自分自身が悟った。名前が幸せなら、例えそれが俺の手で彼女を幸せにしていないのだとしても、俺は我慢出来たんだ。優しく笑う名前のことが好きだったから。
しかしその幸せは、長くは続かなかった。付き合い慣れた頃合いに、先輩は酷く名前を束縛するようになった。多少のことなら俺だって仕方ないと思えた。しかし、それは名前を一変させるほど酷いものだった。

「精市くん…」

小さく呟く彼女の瞳を見た俺は、思わず苦笑いしてしまった。なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうと。名前が頼れるのは俺しかいないのに、俺が彼女を困らせてどうするのだと激しく後悔した。それと同時に、困り顔の彼女に自分の想いが伝わったのだと、自らに都合のいい解釈をし、少しだけ喜ばしく思った。

「ごめんね、精市くん」
「…………」
「私は、こんなになってもなお、玲夜のことが、好きだから」

おかしいよね、と彼女が小さく呟いた言葉は俺の耳には届かない。
嗚呼。結局、俺が聞きたくない言葉を、名前の口から聞くはめになってしまった。彼女が先輩のことを好きなことは、承知していたつもりだった。どんなことをされたって、好きだという気持ちは変わっていないと知っていた。何故、そこまでされても一緒に居るかなんて。そんな愚問は、たった1つの言葉で解決してしまうことを俺は知っていたのだ。

「精市くんを好きになれればいいのに……どうしても最後は、玲夜を求めちゃうの。きっと、愛してるから」

ありがとう、冗談でも嬉しかった、なんて俺に笑いかける名前の笑顔は、幸せそうにはとても見えなかったが、不幸なようにも見えなかった。
傷ついた彼女がいて、俺の家にやってくる彼女がいて。それでもまた先輩のもとへと帰ってしまうけれど、サイクルは確実に回っている。不謹慎ながら、俺のことを頼ってくれることがすごく嬉しくて。そして俺はまた次の日も、チャイムが鳴るのを待つのだ。

消したくても消せない想いは、どこまでも俺を追い詰める。君を、自分の手で幸せにすることは出来ないけれど、いつだって想っている。

−−−どうしたら、笑ってくれる?
−−−何をすれば、君を幸せにさせてあげられる?

名前、この言葉を伝えることは、君のためにも出来ないけれど、それでも君を愛してる。どんな君でも永遠に。

願わくば、いつか君が、先輩と幸せそうに笑い合える日が訪れんことを。