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群青に沈む(2)  



 彼女はわたしが美術室を片づけるのを手伝ってくれた。モデルをやってもらった日は一緒に帰るのがいつもの流れで、学校近くにあるパン屋さんで彼女の好きなパンをモデル料の代わりに買うのだ。今日はメロンパンだった。あそこのメロンパンはカリカリッとした皮にふわふわのパン生地が絶妙だ。わたしも今日はつられて同じものを買った。
「コンクールがあるんですよ、白木さん」
「モデルは嫌だよ」
 歯並びの良い口元からサクッと小気味良い音が聞こえた。彼女の顔は無表情というか、いつものポーカーフェイスだ。夕焼けになり始めた空を見上げた。彼女はあの空に沈みたいとは言わないのだろう。
「ですよね」
「うん、いままでのは練習だったから許せたけど」
 コンクールはちょっと、目立つから。
 彼女はそう言ってもうひと口メロンパンを口に含んだ。サクッという音と、メロンパンを包む紙がずれる音。彼女の横顔はいつも通り澄ましていて、わたしの気持ちも同じくいつも通りだった。彼女の答えは想定通りだったし、むしろすんなり引き受けられたほうが驚いてしまう。彼女がそんな目立つようなことを好むはずがないのだ。
「じゃあ、空を描こうかな」
「空本が空を描くの?」
「そうだよ。白木が沈みたいって言った空をね」
 それは楽しみだなあと白木は言った。空本の絵は好きだから、と。
 空本の絵は余計なものが伝わってこないからいいねと言われたことがある。「余計なもの」を絵から感じ取ったことが彼女はあるのだろう。それはいったいどんな絵で、どんなものだったのか気になった。でも、そのときは白木の目がまた遠くを見つめだしたので、それ以上はなにも聞かなかった。
 彼女に聞こうとして聞かなかったことはたくさんある。もしかしたら、そのうちのいくつかは聞くべきものだったかもしれない。でも、反対に聞かずにいて正解だったものもあるはずで。そんないくつもの分岐点とわたしが選んだ答えによって、気難しい彼女は隣でおいしそうにメロンパンを頬ばっている。
 本当は、顧問には人物画をすすめられていた。なかなかうまいぞ、と珍しくお褒めの言葉までついていたのだから本音でのアドバイスだろう。しかし、わたしは白木真衣でないと描く気が起きないのだ。外見だけに留まらない彼女の美しさが、わたしの筆をつき動かしていたのだと思う。そんな彼女の意思に反してまでやることではない。彼女の美しさが霞んでしまうし、なによりもこれまで築き上げてきた彼女との関係が壊れてしまうのは嫌だった。
 駅のホームでそれぞれ反対側の電車に乗り、彼女とは別れた。彼女がまたモデルとして美術室を訪れるのは一週間後だ。教室では毎日のように顔を合わせるけれど、金曜日の放課後に美術室で見る彼女はどこか雰囲気が柔らかくていっそう美しい。あの美しさがわたしに心を許しているからなのだとしたら、わたしに彼女は裏切れない。
 うまく出せるといいなと思った。彼女が沈みたいと言ったあの群青を。「沈みたくなる色だね」と、目元を和らげて言ってくれるような空を描きたいと思った。

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