過去原稿 | ナノ


モラトリアムが弾けたら  



 行動をプロミングされたロボットみたいに、僕はみんなが望む道しか歩めない。

「あいつ、いつも一人でいるんだ」
 馬鹿にするような笑みを含んだ、嫌な声。鼓膜にまとわりつくその声に眉を寄せようになって、それでも懸命に顔面を固めて笑った。
 そうなんだ。僕の口から出た言葉を聞いて、彼と同じように歪めた顔をした面々は、口々に「有名だぞ」とか「ヤスシは鈍いから」とか好き勝手言っていた。
 その間にも、彼は一人で飄々と教室を出て行く。白シャツに包まれた背中は、ぴんと張っていた。何かを誇るようにして。
 黒い塊みたいなものが喉元から込み上げてくるような気がして、一瞬だけ息を止める。止めて、彼らにはバレないようになんてことない顔をして笑ってみせた。
「ちょっと、飲み物買ってくる」
 見送りの言葉を背に受けながら、固めていた顔面を素に戻した。
 僕は今、どんな顔をしている?

「泣きそうな顔してんな」
 行き先は自動販売機なんかじゃない。人が少ない、忘れられたようにぽつんとある日陰のベンチ。校舎の窓からはちょうど死角になっているから、存在を知っている人すら少ない、そんな場所。
 彼が、真柴がここにいることを、僕は知っていた。
「そんな顔、してない」
 話しかけられたことに驚いて、声が上擦った。泣いているような声だった。変な勘違いをされたらどうしようかとも思ったが、彼の関心はもう僕に向いていないらしい。
「してたさ」
 口で言うだけ言って、彼はベンチから起き上がる。半分空いたスペースは、僕の場所、だろうか。
「座れば?」
 躊躇する僕を見上げて、彼は言った。猫のようにつり上がった、青空を写す綺麗な瞳を向けて。

「僕のことは知ってるんだね」
「一応」
 一応。頭の中でその言葉を復唱する。高一の時から、同じクラスになって二年目なのに。確かに話したことも、何かで行動を共にしたこともないけれど。でも、それだけ彼は僕に関心がないということだ。
「俺と一緒にいたらハブられるんじゃん?」
 彼が骨ばった手で持っていたペットボトルのフタを開ける。プシュッ、と小気味良い音がしたから、きっと中身は炭酸だ。ちらりと目をやった先には、黒い液体があった。
「人気者は大変だ」
 言ってから喉を鳴らしてそれを飲む。
 くらりと眩暈がした。ぞわりと鳥肌が立った。人気者? 誰が。
「嫌味だね」
「は?」
 流れる雲を眺めていた瞳がこちらを向く。だってそのつもりで言ったんだろうと口にしそうになったが、彼は不機嫌そうな顔をして僕を見ていた。
「褒めてるんだけど」
 彼の言葉に嘘はない。それはわかる。誰かに媚びるような、遠回しに傷つけるような、そんな人ではないだろうから。
 だって、君は、一人でも平気じゃないか。
 わかっていても、頭に浮かぶのはそんな言葉。言いたくて、でも言えなくて、ありがとうとだけ零した。彼は黙っている。僕も口を開けなかった。
 彼はいつも一人だった。一年の時から、ずっと。何かを恐れるようにして群れを成す人たちから外れて、彼はいつも一人でいた。ぴん、と背筋を張ったまま。無理して笑うことも、誰かを蔑むことも、自分を殺すこともなく。
 そんな彼を、僕たち集団は「変な奴」と笑ったんだ。でも、僕はそんな真柴を遠巻きに眺めながら、ずっと憧れていた。いつでも素の自分でいられる彼が、酷く羨ましかった。
 彼のことを嘲笑う人たちは、僕が一人になっても手のひらを返して同じように蔑むんだろう。今までのことなんかすっかり忘れて、変わってしまった僕を排除するんだ。仮面をつけた友情ごっこだと思った。もし、青春だなんて言葉がそんな上辺の関係を言い表すとするのなら、これほど息苦しくてみじめなものはない。
 でも、笑われるのが、後ろ指さされるのが、軽蔑されるのが恐くて、僕は変わらずにみんなと同じような表情で、同じようなことを口にして、同じような毎日を送っている。そうすれば安全だから。こわいことは何もないから。
 本当は、まるで自分の意思がないロボットみたいに、こんな日々を送っている自分は嫌いなのに。
「俺は本当に、すごいと思うよ」
 彼が口を開いた。二つほどボタンの開けられた胸元からは綺麗な鎖骨が覗いている。女の子たちが好きそうな感じに浮き上がった骨。肌も綺麗だと思った。普通の人より、彼は色が白い。
「俺は人といると息苦しくなるから一人でいる。でもあんたは、違うんだ」
 さらりとした黒髪。スプレーか何かで軽く整えられているそれが、風で少し揺れた。
「立派だよ。あんたは、社会で生きていける」
 猫のような瞳を細めて笑う。爽やかだ。この世界にそぐわないくらい。彼一人だけ、まるで違う空気を纏っているように。眩しくて、澄んでいて、届かない。
 そうだ、僕と君は違うから。こんなにも違うから、ただ僕は君を眺めているだけだった。
 でも、
「僕は」
 僕は、君になりたいんだ。
 言いかけた言葉を飲み込んで、彼の手からペットボトルを奪い取った。中で黒い液体がちゃぽんと音を立てる。掴んだそれは、まだひんやりと冷たくて。
 彼が戸惑ったように僕を見ていた。当たり前だ、僕ですらびっくりしてるんだから。
 勝手にその中身を飲み干して、むせた。炭酸はまだちゃんと残っていたようで、中身がそんなに多くなかったのが唯一の救い。
 飲み干して空になったペットボトルを、近くのゴミ箱に投げ捨てた。縁にぶつかって、ゴミ箱の外に落ちる。入らなかったペットボトル。中にはたくさんのゴミがあるのに、その中に入れなかったペットボトル。
 でも、これは彼じゃない。これは、みんなの中に入りきれてない、心だけ弾かれてしまった僕なんだ。
「僕はもう、無理して笑ったり、しない」
 呆気にとられた表情のまま、彼は「お、おう」と突然の宣言にも間抜けな声で返してくれた。
 僕は何をしているんだ、何を言っているんだ。今日の僕は、どうしてしまったんだ。
 ぐるぐると思考を巡らせながら、外れてしまったペットボトルをゴミ箱の中にしっかり入れた。分別しなくてはと、ラベルとキャップを外して。かっこよく言い切ったくせに、行動や考えていることはみじめだ。少しの後悔と気まずさに押し潰される。沈黙がつらい。思春期真っ只中じゃないか、恥ずかしい。でも、いいんだ、まだ青少年だし。モラトリアムだし。倫理だか現代社会だか保健だか、何かの授業で聞きかじった言葉を言い訳に心を落ち着かせる。その間も、彼は黙ったままで。
 何か言ってくれよ、そう思って彼を見た。向こうもこちらを見ていたようで、視線がぶつかる。
 途端にまた恥ずかしくなって、彼に背を向けてから目一杯叫んだ。抜けるような青空に向けて、思い切った大きな声で。なんだか気持ち良かった。小っ恥ずかしい言動や考えを頭の中から消し去って、もう一度叫ぶ。
 そんな僕を見て、彼は笑った。面白い奴だなって、笑ったんだ。そして、彼も叫んだ。
 その後に顔を見合わせて、二人で馬鹿みたいに笑っていた。

 「俺のコーラ……」と小さく呟いた彼に、冷え切った新しいそれを謝りながら渡したのは、それから数分後の話。

 炭酸みたいにぱちぱち弾けやすい不安定な僕たちは、馬鹿みたいに悩みながら自分を求めて、それでも青臭い青春ってやつを送っている。


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