祖父は、どうやら宝物を埋めていたらしい。 祖父が亡くなった。 快活で明るい。笑みを絶やさない。家族のことを第一に考える。そんな人だった。 そんな祖父が亡くなったことで、しばらく静まっていた我が家。すでに写真となってしまっていた祖母の隣で、祖父は穏やかに微笑みながらそんな僕たちを見守っていたのかもしれない。 そのうち、家族全員がまた元の生活をゆっくりとはじめ出した。 そんな、ある日のことだった。 此処だ。 小さな森を抜けると、ぽっかりと開けた場所に出た。青々しく生い茂った草花と、中央に小高い丘。 そして、一本の大木。 手元のノートに示された二重丸と現在地を見比べ、此処が確かにその地であることを確かめる。間違っていないことを確信した僕は、大きく深呼吸をした。 都会とはかけ離れた澄んだ空気で、肺が満たされてゆく。 そうか、此処なのか。 祖父の宝物は、此処にあるのか。 祖父が最期まで大切に持っていた、一冊のノート。革で装丁されたそれは、使い込まれたことが明らかにわかるほどの飴色で。 これだけは大切に保管しようか。 みんなで形見を整理しているときに決めた後、僕はノートにぱらぱらと目を通していた。 ぱらり。 ノートが勢いよく、そのページを示したのだ。 その間に挟まれていたのは、一枚の写真。 色褪せ、傷付き、角が折れているそれ。それでも、大事にされていたことがわかる、その一枚。 写っていたのは、一組の男女で。 踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったような気がして、慌ててノートを閉じた。 家族の誰かに言うことも躊躇われて、そのままなんとなく、ノートは僕の手元に。 しばらくしてから、僕は再びノートを開く。 男女の正体を確かめるために。 開かれたページの意味を、知るために。 写真が挟まれていたページには、祖父の手で描かれたであろう簡素な地図があった。 周囲の目印はそんなにわかりやすいものではない。僕の記憶にない場所だったら、恐らく辿り着くことはできなかっただろう。 そう、行ったことがあるのだ。祖父に手を引かれて。 幼い頃に、祖父と二人きりで。 お父さんとお母さんには内緒だぞ。 祖父の悪戯に笑う顔を思い出したのは、あの写真と地図を照らし合わせたときだった。 『此処は秘密の場所なんだ。 蒼太にだけ、蒼太だから教えてあげるんだぞ。 だから、またいつか、』 ――蒼太は、此処に足を運んでくれないか。 「ねえ、お兄さん!」 びくりと、思わず肩を揺らした。 誰もいないと思っていたのに。さっきまでは、人影なんてなかったのに。 小さく隆起した一点に歩み寄り、大木にそっと触れたときだった。いつの間にか、僕の背後には一人の女の子がいて。 その女の子は、大木を見上げてからまた僕に顔を向けた。 「この桜ね、」 「ああ、これは桜の木なんだ」 話の腰を折ってしまった。 思わず漏れた呟きを悔いて口元に手を当てたが、女の子は気にすることなく可愛らしい笑い声をあげている。 軽やかな声が鼓膜を揺らす。 媚びることを知らない、そんな声。 「そう、これは桜の木だよ。 なのにね、一度も咲いたことがないの」 彼女の顔は、依然微笑んだまま。 疑問符を浮かべた僕を笑うように、彼女は更に瞳を細める。 彼女の視線に構うことなく、思わず大木に触れた。 病気か何かなのだろうか。ここまで成長しても、桜は咲かないのだろうか。 そんなこと、ないはずなのに。植物に全く詳しくない僕にも、そんなことくらいわかる。 「病気じゃないよ、この木はとっても健康」 女の子が大木に抱き着く。 腕が足りるはずもないから、しがみつくと言った方が正しいのかもしれないが。 ね、と問い掛けた女の子に応えるように、風によって大木の枝は僅かに揺れた。 確かに、枝先に蕾らしきものは見受けられない。 ニュースにはよく花見をしている人々の様子が映し出されているというのに。映し出されていた地域と此処に、そこまで大きな距離は無かったはずだ。 「じゃあ、どうして」 女の子の視線が再び僕に注がれる。 どくり。何故か、鼓動が高まった。 「待ってるの」 一瞬だけ、彼女は真剣な顔をした。 それが、どうしてか更に胸をざわつかせて。 見てはいけないものを見てしまったような、そう、祖父のノートを開いてしまったあの時と同じ感覚だ。 「待ってるの、私を見てくれる人を」 彼女は、僕の手を強く握りしめた。 祖父には恋人がいたという。 祖母と出会う前に、一人の女性と心を通わせていた。その女性は不慮の事故で亡くなり、祖父はその後に祖母と出会い結ばれた。 なんらおかしいことではない。 人柄の良かった祖父のことだ、それなりに女性からの人気はあっただろう。僕の父も母も、愛した人はお互い以外にもいたはず。 それでも、問題なのは。 祖父の愛した人が、若くして亡くなっているということで。 お互いの意思があった上での別れならば、そこまでひきずることもないのだろう。 だが、祖父はその人との関係を突然の事故によって絶たれているのだ。 祖父の中で、彼女が忘れられない人になっていてもおかしくはない。 いや、なっていたのだろう。 だからこそ、祖父はあの人との写真をノートに挟み、そのノートを肌身離さず持ち歩き、この場所を僕にだけ教えた。 祖父があの人を忘れられないから。 心のどこかであの人を求めていたから。 それらの感情に、欲望に、祖父は負い目を感じていたから。 だから、祖父は、祖母にも、父にも母にも知られることを恐れ、僕に此処を託したのだ。 自分から遠く、それでいて近い存在である、この僕に。 「二人はね、ここが好きだったの。いつもここに来てた。 それで、いつか二人だけで、二人の子供も入れてここでお花見をするためにね、」 あなたのおじいさんは、私を埋めたの。 写真の中で微笑む女性と、祖父の約束。 此処に、桜の木を植えよう。 そして、二人でお花見をするんだ。 子供が大きくなったら、子供たちにこの場所を任せよう。 二人はそんな会話を、約束をしたのかもしれない。そんな夢を抱いたのかもしれない。 家族を大切にし続けてきた祖父のことだ、女性のことも大切にしていたに違いない。 この地は、二人にとって思い出の場所だったのだ。大切な、二人だけの、二人のためにある場所だったのだ。 彼女を植えたのは、祖父一人だったという。 あの女性と二人で植える約束だったが、その約束を叶える前に女性はこの世を去ってしまったらしい。 その後、祖父は女性との約束を思い出し、この地に桜の苗を植えた。 少女の根を、ここに張らせた。 彼女は、ただ淡々と語り続けていた。 この地に込められた思いを、この地で二人が過ごした日々を、自分の中から追い出すように。解放するように。 彼女は根から吸い取るようにして、その全てを自分の中に封じ込めてきたのだろう。忘れないように、零さないように、大事に大切に。 それは、いずれ訪れる何者かのために。祖父が託した、この地の後継者のために。 そう、きっと、僕のために。 全てを話し終えた彼女は、何も言わずに大木を見上げた。 花どころか、蕾すらつけることのない大木を。 咲くことのない、寂しい自分を。 誰も訪れることのないこの地に根を張らせた、仲間を持たない孤独な一本の桜を。 「信じられる?」 彼女の瞳が、僕を射抜く。 風が吹いた。彼女の髪が風で乱される。春の匂いが僕の鼻腔を擽った。 それでも、この桜に春は来ない。 「信じるよ」 だから、君は咲いてごらん。 僕が、見ているから。 この目でしっかりと、君の花を見てあげよう。 姿を変えてまで咲きたいと願った君の思いに、僕は応えてあげるから。 「だから、僕のために、君は咲けばいい」 はっきりと言い切った僕の前から、女の子は消えてゆく。 春の風に、匂いに、光に紛れて、彼女は少しずつ薄くなってゆく。 約束だからね。 その言葉だけを囁いて、彼女は大木に戻っていった。 それから、四つの季節を何度となく通り過ぎた。 その度に、僕は必ず春に巡り合う。 そして、僕の足は自然と祖父との秘密の場所に向かうのだ。 「やあ、」 大木には、いっぱいの桃色。 女の子が元気に声を上げて笑うように、花弁が風に乗って宙を舞う。 ひらひら、空を駆けてから舞い落ちるたくさんの欠片。 春が、視界いっぱいに広がってゆく。 「君を、見にきたよ」 今年も、祖父の宝物は僕のために花を咲かす。 *** さくら、さくら/主催:向日葵塚ひなた様 こちらの素敵な企画にていしゅつさせていただいたものです。「桜」をテーマにした作品を集めよう!というものでした。 素敵な作品ばかりですので、是非足を運んでください……!! 長編である「笑顔屋」のはじめ二話(「君との約束を」1・2)と話が少し繋がっています。 合わせてそちらも読んでいただけるとよりわかりやすいかもしれません。三年ほど前の文章なので非常に恥ずかしいですが! 書けて良かったです。 素敵な企画に参加することができて、良かったです。 提出の際にミスが生じて主催者であるひなたさんには多大なる迷惑をおかけしてしまったので、次回からの良い勉強にもなりました……; 本当にすみませんでした;; 20140717 (企画提出:20140404) |