短編 | ナノ


 立って、頭を下げて、座って、歌って。
 それらを淡々と繰り返すだけで、どうやら私の高校生活は幕を下ろすらしい。

 ぼーっと机に座っていたら、先生が教室にやってきた。
 明日のためにも早く帰りなさい、彼女は優しくそう言った。感傷に浸っていたわけではないのに。
 卒業生がみんなしんみりしていると思ったら、大間違いだ。


 ただ、この三年間をもう終えるのだなと思っただけ。
 しんみりはしていない、と思う。
 そんな感情を抱くだけの実感が、まだないから。明日には、ここの生徒でなくなるというのに。


「なんでまだいるの」


 がらんとした教室に響く、驚いたような声。

 振り向けば、寝癖が微妙に残った彼がいた。
 私の高校生活、全てを詰めたような人が。


「なんとなくね、」

「さみしいん?」


 そうじゃないよ。

 言いながら机に突っ伏した私の横で、彼は椅子を引いた。
 キュッ、と鳴った彼の上履きを目端に入れながら、こんな光景ももう終わるのだと思った。
 青春の音って、案外こんな安っぽいものなのかもしれない。


「寄せ書きとか、女子みんなやってたな」

「男子もやってる人いた」

「俺はやってない」


 知ってる。見てたから。

 言いかけて飲み込んだ。
 彼を見ていたことがバレてしまう。

 みんながやっていたアルバムの寄せ書きには一切関わらず、彼はただ友達といつも通りに談笑していた。明日のことなんて意識しないように、自然な笑顔で。


 本当は、書いてほしかった。
 彼に、別れの言葉を。

 「また会おう」とか、「これからもよろしく」とか、思ってるのか思っていないのかわからないような、そんな言葉じゃなくて。
 ただ、さようならと、一言書いて欲しかった。


「あのさ、」


 伏せた上半身を、少しだけ起こして。
 顔だけを彼に向けた。

 彼の横顔が見えるのかと思いきや、真正面。
 どうして、こっちを見ているの。

 黒く澄んだ瞳に吸い込まれかけて、少しだけ息を止める。
 この瞳に映ることが、私にとっての幸福だった。





「すきだよ、」


 机の上で組んだ腕。
 その上に、頭を乗せて。
 彼の顔を、真っ正面から見つめながら。


「すきだよ、ずっと。
 君があやふやにしたあの日から、今まで、ずっと」



 君と、友達とも恋人とも取れない関係を始めたあの日。
 何度も諦めようとした。それでも、私は君の温もりに勝つことができなくて。

 振り返れば、彼がいた。
 三年間の思い出に、いつだって彼がいたわけではないのに。

 でも、何故か、彼がいた。

 彼がいた頃からしか、私の中では思い出として浮かばなかったと言うべきか。



 彼が全てだった。
 部活だって勉強だって友達だって、思い出そうとすればたくさんのことがあるはずなのに。

 どうしたって、高校生活を振り返ったら、彼の笑顔が出てきてしまうんだ。



 君をはじめて認識した日。
 君とはじめて話した日。
 君の中に踏み込んだ日。

 温もりに触れ、また、触れられたあの時。

 私は、死んだって構わないと思った。
 この感覚のまま、幸せに包まれたまま、この時を封じ込めるように、凍らせるように、残すように死ねるなら、それでも良かった。


 ねえ、私、この上ないくらい、あなたのことがすきでした。




「だからさ、」

「野村、俺、」



「もう、終わらせよう」




 焦ったように口を開いた彼が、悲しそうに私を見返す。

 ごめんね。
 君の口から、もう、あやふやな言葉は聞きたくないんだ。


 この関係を継続させるような、そんな、甘やかされたようにふわふわとした都合のいいものは、要らない。





「ふってよ、はっきり」



 諦めきれなかったしつこい女に、トドメを刺して。



「私、諦めるから」



 だから、お願い、もう期待はさせないで。


 触れないで、抱きしめないで、好きなんて言わないで。
 私と違う種類の好きなんて、慰めにもならない。


 名前のつかない曖昧なこの関係に、今日で終止符を打とう。

 私がこの先、君を恨むことのないように。
 君のせいで、私が時を無駄にしたと思うことのないように。


 私が、君を嫌うことで自分を甘やかすことのないように。






「さようなら、してよ」



 頬から伝い落ちた涙が塩辛さを口内に広める。やがて、それは甘さに変わった。

 私の横で俯き項垂れていた彼が、やがて決心したように座り直し、姿勢を正す。
 お別れは、すぐそこまで迫っている。
 実感の湧かない明日という日が、確かな訣別の日に変わっていく。




 さようなら、私の青春。
 今度、君を思い出す時は、もう泣いたりなんてしないから。








20140305





***


今日で、高校生活が終わります。
その区切りとして、一つ。

さみしいなあ。





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