短編 | ナノ


聞いて、と彼女の唇が動かされた気がする。けれど、気付かないふりをして、目前に広がっている絵を目で追い続けた。この漫画は、クラスの篠宮に借りた物。早く返さなければ、あいつに返すタイミングを逃してしまう。
「聞いてってば、」
鼓膜に直接響いた、彼女の声。今まで流れ続けていた、流行りのアーティストの声はもう聞こえない。代わりに、少し低めの声から発せられる彼女の小言と、教室まで届く何かの楽器の音が耳へと入る。
「何を聞けば?」
「私の話。」
「はいどうぞ、お話くださいな。」
む、と、そんな表情。眉を寄せた彼女は、手中にある俺のヘッドフォンに力を込め始めている。やめろ、壊れる、返せ。それが無いと俺は屍になるんだ。
「返せよー。」
溜息を吐きながら、椅子から腰を上げた。放課後故に俺たちしかいないこの空間に、がたんと音が響く。彼女のそれに手を伸ばすと、後ろ手に回された。何なんだ。
「おい、」
「やだよ、また私放置される。」
そう言って拗ねた彼女の頭を、優しく撫でた。正面から抱き締めれば、安心したのか俺の胸元で深く息を吸い込んで、笑う。


この瞬間が好きだから俺はヘッドフォンを手離さないと知ったら、彼女は怒るだろうか。



20120922


文化祭での無料配布用第二弾。


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