memo ねたつめあせ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 腕で行動範囲を狭められた。背中は壁にぴたりとついている。目の前には熱のこもった瞳で私を見つめる男。ああもう、厄介だ。とんでもなく、このうえなく。 「ねぇ、」 頬に彼の髪が当たる。ふわふわとした猫っ毛。気持ちがいい。整髪剤の匂いが微かにした。耳元で囁かれた言葉に肩を揺らす。だめだ、これは、よろしくない。 「いつまで意地張ってるの?」 言い終わると再び私の瞳を見つめた。生まれたばかりの火が燃えているような、静かな、しかし強い瞳。溶けてしまいそうだ。彼の熱に、彼の中に。取り込まれて、溶けて、そうして逃げられなくなる。溶けてしまいたいとすら思う。 「もういいでしょ」 唇が、触れるか触れないか。息がかかる。コーヒーの匂いがした。彼はいつもブラックを好む。私が砂糖を入れると馬鹿にしたように笑う男だ。そんな軽さが、今はない。 「おいでよ」 こっちに。堕ちておいで。 もう駄目だと思った。私は彼の唇に顔を寄せた。ほんの少し動けば届いてしまう距離だった。 わかっていても今まで堪えてきたのだ、私が私で無くなってしまう気がしたから。崩れて、壊れて、変わってしまうと思っていたから。その全てがもう、今となって水の泡だ。 「いらっしゃい」 笑ってから深く口付けてきた彼に脳が痺れた。今までの努力はなんだったのだろう。私は彼に負けたのだ。 でも、それはそれは、心地のいい敗北だった。 |