塗りつぶされる日常 04




「…着替えたぞ…」
 しばらくして、弱々しい先生の声が隅っこの方から聞こえてきた。
「先生! 着れましたか?」
 真っ先に先生の方へ駆け寄っていく綾人。ずいぶんとうれしそうだ。
「ああ、何でかは知らんがぴったりだったよ…」
 疲弊した声で先生が言う。…綾人の特技が体のサイズ当てだって知ったら、先生泣くだろうなあ…
「先生似合いませんね」
 お。おいっ! そこは普通笑ってごまかすところだろっ。
 空気を読むっていうことを知らない綾人は、にこにこと先生を見つめ続けている。
 僕が言うのもなんだが、綾人は整った顔をしている。そんな綾人に見つめられ続けて、先生は顔を赤くしている。どうやら照れているようだ。

 …ふふ。なんだかかわい……って、何思ってんだ僕は。相手は体格のいい四十路直前の男教師だぞっ!?
 頭に浮かんだ考えを振り払いたくて、僕は頭をぶんぶんと振った。それはもう、振りすぎて目眩がするぐらいには。

「先生の、似合ってなくて可愛い女装姿みんなにも見てもらいましょうか」
「え…ど、どういうことだ東…っ」
「こういうことです…みんなも見てみてくれよ、先生の女装姿」
 よく通る綾人の声が、クラスに響く。その声に反応して、各々の作業をしていたクラスメートが皆顔を上げる。

「先生……?」
「先生も出し物に出るつもりなの?」
 皆が皆、その恰好を見て驚いたような表情をしている。
「で、出るわけないだろう!」
 顔を真っ赤にして否定する先生。照れてるんだなー。

「だよねー。びっくりしちゃった」
「せんせー似合ってねー!」
 ひとしきり驚いた後は、似合っていないその女装を笑う。もちろん、嘲りなどではなくてただ単におもしろがっているだけの笑い方だ。
 どんなことも嘲らず、おもしろそうに笑う…それは、ひとえに先生の人格が成せる賜物だろう。こんな似合わない女装姿を見て楽しそうに笑うクラスはそうそうない。
 そう、先生の人柄の賜物……

 なぜ、そう思うと胸が苦しいのかよくわからない。心臓の病気にでも罹ってしまったのだろうか。
 先生は、皆に好かれている。クラスの人間はもちろん、それ以外の人間にだって。そして、先生も生徒のことが好きだ。言うまでもないが、生徒として、である。
 かく言う僕も、先生のことが好きだ。こんなにおもしろい先生を僕は他に知らない。こんなに生徒のことをよく見てくれる先生も、僕は知らない。
 いつからかはわからないけど、最近やけに先生のことが気になるような…気がする。
 担任や、授業を見てくれるからではない、それとはまた別の…想い。特別な、想い。それはちょっと、綾人や家族に向けるものに似ているような。


「…東、もう着替えていいよな…」
「ええ、構いませんよ」
「ふぅ……」
 ようやく綾人から着替えの許可を取り付けたらしい先生が、やれやれといった様子で着替えるために教室の隅に移動しようとしていた。
「あ、そうだ。先生一人で着替えるの大変そうだろう? だから明、先生について行ってやってくれないか。手伝ってあげてくれ」
「なんで僕がそんなこと──」
「せんせーい!」
 …おい。僕は無視かコノヤロウ。

「ん、どうした?」
「着替えるの大変そうなんで、明に手伝わせようかと思いまして」
「いや、だから僕はそんなこと──」
「本当か? それは助かる」
「…………」
 …最近は、スルーすることが流行ってるんですかね。みんな僕の話聞きやしねえ。
「だったら、教室の隅じゃ狭いでしょう。隣の空き教室使ってください。今回はどこのクラスも使う予定ないので」
「わかった。行くぞ、野々村」
「はい…」
 肯定の返事を何一つしないまま、空き教室へと連れて行かれる僕。…僕の話聞いてよ。



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