珍しく電話を寄越した旧友が面白いことを聞いたと言わんばかりに言い放った言葉は、心臓にひどく重い何かを落として行った。
『おまえ、なまえのこと前のオトコに掻っ攫われねえように気を付けろよ』
何のお話ですか、と言いたくなった。と同時に、どういうことだと胸倉を掴んでやりたくもなった。電話の手前、当然そんなことはできなくて、この着地点のわからない焦燥を持て余す。前のオトコ? 掻っ攫われる? なまえが? ていうかなんで青峰っち?
自分でも何を言っているのかわからないまま、要約すると、どういうことなのか、そしてなぜ彼がそんなことを俺に言ってくるのか、みたいなことを言った。するとオレの慌てた様子を楽しむような声色で、事のあらましを大層愉快そうに話してくれた。この際青峰っちのカンに障る話し方には無視をする。というか、そんなことに一々気を使っていられるほどの余裕がそのときの自分にはなかったのだ。
今のオレの頭の中を占めるのは、なまえが前の恋人に言い寄られた、という事実だけ。
「で、どういうことスか」
すぐさま部屋に呼び寄せた彼女はオレが青峰っちの名前を出すと途端にまずい、という表情を作って、それがさらに苛立ちを増幅させた。
事のあらましは、こうだ。なまえにはオレの前に付き合っていたオトコがいた。そのオトコからつい最近、会えないかと連絡が来たのだという。なまえは断ったのだが、そのオトコは案外しつこく、辟易したなまえは友人である青峰っちに愚痴を零したのだそうだ。
「……なにが、気に食わないの」
その言い草に自分の頬がぴりっと引きつったのを感じた。
彼女は、いつもそうだ。自分がオレに愛されているということを、まるで冗談みたいに受け流す。嫉妬するのは自分の方だけだ、みたいな顔をして。ふざけるなと思う。こっちの気も知らないで。こんな身に纏うほうが不快なくらい濁った色をした嫉妬心を常に待機させてしまうのは、他ならないきみが好きだからだと言うのに。
「じゃあ言わせてもらうスけど、まず元カレがいたって言われなかったのが気に食わない。今のなまえの連絡先をそいつが知ってるのも気に食わない。連絡来たのを教えてくれなかったのも気に食わない」
どうせ、オレに言ったところで大した反応をされないとかなんとか思ったのだろうけど、それすら気に食わない。面喰らった顔をして、こちらを見るふたつのまなこが、腑に落ちない様子で上下に瞬く。
オレに愛されている自覚をしてほしい。そしてそれを盾にして当たり前みたいに頼ってほしい。
「……あと、オレには言えないのに青峰っちには言えんのが気に食わない」
他の人間なんて意識にも上らないくらい、自分をいちばんに頼ってほしい。狼狽したように落ち着かなくなるなまえの肩をわざと力を入れて引き寄せる。痛い、と小さく漏らす声には無視をして、ぎゅうぎゅうに抱き締めてやった。精々痛がってくれ。オレの心はそんなもんじゃ足りないくらいに傷ついた。
「……黙ってて、ごめん」
抱き締めたまま何も言わなくなったオレの背中に、そっと手を回しながら今にも掻き消えそうな声が耳に届く。その手がふらふらと覚束なく彷徨いながら、オレの背骨のあたりで落ち着いたことが、欠けた征服欲みたいなものを少し埋めてくれたように感じた。
「……他にはないんスか、謝ること」
「別れてから連絡先変えるの面倒で、そのままになっててごめん。黄瀬くんじゃなくて青峰くんのこと頼ってごめん。……なんか、黄瀬くんは気にしてくれないんじゃないかって、思って」
「……オレのこと見くびりすぎ」
彼女の目に自分がどう映っているのかはわからないけれど、それがすごく酷薄な色をしていることはわかった。自分よりはるかに薄っぺらい彼女の背を抱き締めて、ふたりの身体の隙間が全部なくなってしまえばいいと思っていること、きみにはこれっぽっちも伝わっていないのかな。
「もっとオレがなまえのこと好きだってわかってよ、」
そいつはオレよりも前になまえの手を握ったり、抱き締めたり、キスをしたり、ひょっとしてその先までしてるんじゃないかって考えるだけでたまらない。なまえはそいつにも、オレに見せる笑顔や声を聞かせていたのかと思うとそのオトコの頭をぶん殴ってやりたくなる。なまえのことになると、オレは必死で未来を奪い取りながら過去にどうしようもない嫉妬をしてばかりの、女々しい男になりさがってしまう。
「昔のオトコに嫉妬しないとか思われんのすげー傷つく」
ごめん、と今にも泣きそうに眉を寄せた彼女を、腕の中に閉じ込めておきたい。オレの知らない彼女は他の人間からも彼女の頭からも消して、オレを愛してくれる彼女をずっと繋ぎ止めておきたい。
「オレに愛されてんのが当然みたいな顔しててよ」
きみの愛情が他の奴に向かないように、オレが全部食い尽くしてしまいたいよ。