ゆらゆらと揺れ動かされるこころの中心には彼女がいて、オレはまるで道化のようだ。でも揺らされるのはすべて自分の意思で、オレがまだそこに浸かっていたいだけ。誰でもない自分が、彼女に踊らされていたいだけだ。
え?とひとりでに零れ出た自分の声は、自分で聞いてびくりとしてしまうほど頼りなかった。なまえっちのかすかに蒸気した頬は、いつもはくすぐったい気持ちで見つめられていたはずなのに、今はむしろ憎らしいばかりの劣情を呼び起こしてくる。
「実はね、誘われたの、映画行かない?って」
今こうしてふたりで待ち合わせをして出掛ける名目は、いつも彼女の恋愛相談に乗っているオレへのお礼、だ。なにがいいかと尋ねられたオレは、迷わず「気晴らしに遊ぼう」と提案した。気晴らしに、なんてそれこそ口から出まかせだ。ふたりで出掛けている間は、オレのことを考えて、彼のことは忘れて、あわよくばオレを意識してくれればいいと思っていた。
彼女の思いの矛先は知っている。それが揺らぐことがないことも、認めることで前に進めることも。でも、理解しないまま、知らない振りをしたまま。彼女の笑顔や仕草に勝手に振り回されて、息切れを起こしたまま壊れゆくのを、望んでいるのも他ならない自分だ。
「今日は黄瀬くんと出かける約束あったからダメだったけど、ほら、前進はしたっていうか」
自分の方を選んでくれたのだという事実に、歪な形をした歓喜が心の底で騒つく。でも彼女は、そうやって前向きなことを言いながらも、へたくそな作り笑いを浮かべるから、そんな気持ちはすぐに跡形もなく散ってしまうのだ。
「……なんでそっち行かないの」
残念そうなの、隠せてないよ。そんな風に気を遣ってくれるなら、こっちが完璧に騙されるくらいに上手に笑ってくれたらいいのに。
卑屈で擦り切れた感情が笑い声になって、乾いた音で喉から溢れ出た。自分のそれを拾い上げたすぐあとで、彼女の声がリン、と鼓膜を震わせる。
「相談に乗ってくれてる人との約束を後回しとか、できないよ」
向かい合わせた爪先を見つめていた視線が導かれるようにこちらを向く。心持ち眉を下げて笑った顔があんまり優しいので、心臓に築き上げた防波堤が壊れてしまいそうになった。ひたひたに溜まった気持ちがいまにもこぼれそうで、ゆっくりと込み上げる言葉を飲み下す。
彼女の言葉は、友愛というぬるま湯に浸かっていた。酷く心地よさそうな温度と色彩をしたそれは、確かに自分だけに向いている。けれどそれは自分が欲してやまないものとは、似ても似つかないものなのだ。
――だからそれは、要らない。
「……なに言ってんスか。デートじゃん。絶対行かなきゃダメっスよ」
絶対的に安心で安全で、彼女の気持ちを波立たせることもできない居場所なら、必要ない。この場所から動けなくても、動きを止めてしまうには、この想いはまだ重すぎる。
「オレと出掛けんのはまた今度でいいっスよ、いつでも行けるじゃないスか」
「……でも」
「そいつとは次いつデートできるかわかんないし、なまえっちにそんな余裕ないっしょ」
軽さを装った言葉を放ると、彼女はより眉を下げて、ついには俯いてしまう。じわりとそのまなこに広がる罪悪感の色は、やっぱりオレがほしいものとは違っていた。
「……ごめんね」
「なに、謝ってんスか、喜んでよ」
小さく刺さるごめんねに、笑って返したはずの言葉は掠れてしまった。喉の奥がチリと焼けて、唇を引き攣らせる震えを無理やりに止める。
それに、ごめんねを言うのはこっちの方だ。彼女の想いが報われることを、上手に喜んであげられない。自分の気持ちの行き着く先は知れているのに、切り離すこともできないで。
「今度、絶対また出掛けようね。約束」
「……ん、約束」
この約束が、きっと果たされないことは知ってる。これから彼女は想い人と気持ちを通わせて、その人と指を絡めるのだろう。
穏やかに言った声を聞き入れて、背を向ける彼女の揺れる毛先を見つめた。少しずつ人混みに紛れていくその姿が、こちらを振り向くことはないとわかっていた。でもそれでよかった。だから俺も見つめ続けるのだ。
こんなのは、歪んでいる。
自分に彼女の揺れるまなこが向けられるはずもないと知っていても、それを受け入れてこの場所で甘んじるつもりもない。それでも、あの甘く柔らかに瞬く色の中に、浸かって溺れていたいなんて。
――君を波立たせたいのに、君が立てる波紋に揺られていたい。
自分のこころは彼女に縫いつけられたままだ。彼女の仕草で、笑顔で、翻弄されて本望。約束なんて果たさなくて構わないから、もう少しその指先でオレを操っていておくれよ。