「あんたの刀は不良品だ」
言い放たれた言葉に、主人は驚きに目を丸くして、その後ひどく傷ついたように顔を曇らせた。
本丸の離れにある、主人の私室と続きになったそこは、昼間は近侍をはじめとした多くの刀剣たちが、彼女に顔を見せに来るため騒がしいが、今はその気配をすこしも感じさせない静寂が流れている。赤く色づいた空からの光が、廊下を伝って敷居を飛び越え、部屋の中まで届こうとしていた。
部屋の入り口を塞ぐように立つ俺の影に覆われた主人は、その顔を訝しげにしかめながら、こちらの顔を窺うように視線を合わせる。その目を見つめ返しながら、俺は重ねて言った。
「俺は、あんたの大倶利伽羅は、不良品だ」
物に宿る魂を呼び起こし、人の心と器を与える審神者の技。彼女のそれによって、俺は他の刀剣たちと同じように目覚めた。自らの手で刀を振るい、自らの足で移動し、声を発して、思考を巡らせる。胸からは鼓動の音がする。それなのに、自分はどうやら、まがいもののようだった。
「……そんな言い方、やめて」
「何も間違ったことは言っていない」
己を蔑む物言いをする俺を咎める主人は、真っ直ぐにこちらを見つめている。その視線を浴びていると、じきにやってくるのだ。自分が壊れ物になっていく感覚が、音が、聞こえてくる。
この本丸へ来てしばらくして、この違和感に気付いた。喉の奥がざわついて、腹の底が浮つくような感覚だ。そしてそれは必ず、主人のことを思うときに訪れる。
――これは、なんだ?
他の刀剣は、これを恋だと揶揄したが、刀である自分には縁遠い言葉だ。この感覚は、そんな人間の感情の類ではない。自分の存在を揺るがすような、何かだ。
自分の意思とは無関係に、身体中を滅茶苦茶にされる感覚。飲み込まれれば、周りの景色が遠のいて、視界には彼女しか映らなくなる。手を伸ばして、掴んで、どこかへ隠しておかなければと気が急いて仕方ない。
自分を、自分以外の何者かが操っているかのような感覚はひどく不快だ。その感情は薄暗く積もって、重く軋む。彼女がほかの刀剣の傍で微笑んでいる光景は、ぐらぐらと腹の底が煮えるような心地にさせるのに、その笑みが自分へ向くとその熱は鈍く全身へ広がって、胸の真ん中――人間であれば心臓の埋まる場所が、強く痛むのだ。
俺は、おかしくなってしまった。主人の与えた心臓は、不良品だったのだ。
「信じられないなら、見せてやろうか」
腰に差していた刀の柄を握って、鞘から刃を引き抜く。鉄が擦れる音が部屋に響いて、まるで絶望するような目をする主人の表情に、ひとりでに血が沸き立ってゆくのがわかった。
「あんたが狂わせているのはこの心臓だと、胸を切り開いて見せてやる」
――主人を、女だと思うようになってしまった。
刀であるはずの俺は朽ち、刀ではない何者かへ変容する。女の肌が白いことに気付いた。爪を立てれば切り裂いてしまえそうなほど、柔らかいことに気付いた。俺は彼女の、守るべきものを守るための力だったはずなのに。
「お、くりから」
理解ができない、というような顔で自分を呼ぶその声に、使命感よりも充足感が満ちていくことに気付いてしまった。彼女が与えた器から、何かが溢れて、もう形を留められない。
体格に恵まれた刀と比べると、幾分細い自分のからだ。それでも、自分の手はいともたやすく女の手首を一周して強く握り込んでいた。引き抜いた刀を畳の上へ放って触れた女の肌は白く、すこし冷たい。自分の熱く褐色の肌と並ぶと、女のそれがひどく際立つように思えた。ざらついたものに首の裏を撫でられるような心地がする。
「女とは、皆あんたみたいなのか」
腕を掴まれ、驚いて見開いたまなこがこちらを見上げる。普段とは比べものにならないほどに饒舌な俺を見つめる彼女の目に映るのは、恐怖なのだろうか、失望なのだろうか。その思考も、指先に滑る女の肌の感覚にすぐさま上書きされて消えていった。
もう片方の手を伸ばして、頬をすくう。ふっくらと膨らんだくちびるも、か細く吐き出される呼吸も、俺の忠誠心ではないどこかを満たしてゆく。
「こんな化け物にかどわかされて」
かわいそうに、と口から放たれた言葉に温度はなかった。人間でもない、いきものでもない、彼女に与えられた心と器を使って動く自分は、きっともう、彼女の呼んだ大倶利伽羅ではなくなった。
「俺にこの『心臓』を与えたのは、あんただ、あるじ」
ばけものけもの
ばけものはもの
ばけものだもの