もしも君を一角獣から攫えたら

 昼休みの学校。なんの変哲もない自販機の前で、それは起こった。

「あ」
「……え?」

 自販機に並ぶ飲み物をじっくり物色するわたしとは反対に、京介は早々に買うものを決めたようで、スラックスの後ろポケットから財布を取り出す。二つ折りになっている黒いそれを開いて、小銭を切らしていた彼が紙幣を取り出そうとしたそのとき、財布の隙間からぽとりと小さな包みが落ちた。正方形で、銀色の包み。ガムか何かだろうかとその包みを追いかけた視線は、その姿をしっかりと目にしたところでしばし時間を止める。何語かが印字された銀色の包みは、密閉状態になっていて中に入っているもののかたちをはっきりと際立たせている。話には聞いたことがあるけれど、実際に目にしたのはこれがはじめてだ。

「……きょうすけ、これ、」
「ああ、コンドーム」

 なんの焦りもなく、包みを落とした張本人はその正式名称をぺろりと口にした。誰がいるわけでもないのに、わたしは思わず辺りを見回してしまう。こんなところを誰かに見られたら一大事だ。幸い近くに生徒がいる気配はなく、わたしが周りを見回している間に、京介はそれを拾い上げて、何事もなかったかのように再び財布の中へとしまっている。京介と、コンドーム。なんて不似合いな組み合わせだろうか。彼氏彼女の関係であるところのわたしが言うのもおかしな話だけれど、京介はあまり色恋沙汰やそれに付随するあれこれにあまり縁がなさそうに見える。ボーダーの任務といくつか掛け持ちしているアルバイトでいつも忙しそうで、一緒に時間を過ごすことも一般的な高校生カップルと比べてひどく少ないのだろうという自覚もあった。わたしはそのことを不満に思ったことはなかったけれど、こういうものを見てしまっては、色々と考え込んでしまう。わたしたちは、京介の持つそれが必要となる行為にはまだ至ったことがなかったから。

「なんでそんなの……」
「まあ、チャンスがあればと思って」

 ――チャンス。それは、当然、そういうチャンス、という意味だ。色恋やそういう行為に、あまり興味がなさそうだと思っていた彼だけれど、それもわたしの勝手なイメージにすぎなかったのだろう。脳裏にしっかりと焼き付いた『避妊具』という、わたしにはまだまだ非現実的なアイテムを、彼が持っていたということがその証だ。そうでなくても、彼の外見を客観的に見るなら、そういうイベントは少なくはなかったのかもしれないとすら思う。伸ばしっぱなしの癖っ毛は猫の毛並みのように柔らかだし、涼しげな目元とスッと通る高い鼻。この街で一番有名な組織では上の方のランクに位置付けられているというし、それでいて家族思いだなんて、好青年意外の何者でもない。好奇心旺盛な同年代の女の子たちが、いや同年代に限らずとも、たくさんの女性たちが、彼みたいなひとを放っておくはずがないのだ。わたしみたいな、少しの時間でもいいから隣にいて、話をして、それだけで満足しているような子供にはきっともったいない。
 喉の奥が震えて、思わず消えてしまいそうな言葉が零れた。

「…………う、浮気?」

 わたしにはもったいないひと。だからと言ってそれを仕方ないと思ったり、少なからず傷ついたことを悟られないように振る舞ったり、そんなことを咄嗟にできるほど大人にはなれなくて、わたしはどこまでも子供だった。本当は、『なーんちゃって』と続けるはずだった言葉は、吃ってしまったうえ言葉尻が震えて、全く『なーんちゃって』の似合わない言葉になってしまう。普段あまり表情の変わらない、その代わりまっすぐにこちらを見つめてくる京介の顔を見ることはとてもじゃないけれど出来なくて、目の前でチラチラと光る自販機のボタンを一心に見つめた。
 しばしの沈黙に、隣同士で並んだ京介の顔を盗み見ると、何を言われているのかわからないという表情で、小首を傾げている。クエスチョンマークがひとつ浮かんでいるような視線がそっとこちらを向いて、まるで当然のことを言うみたいに、いつもと少しも変わらない、まっすぐな眼差しがわたしの視線と絡み合った。

「おまえ以外に誰かいるのか」

 照れも、言い訳臭さも、なにもない。それにしてはあまりにも破壊力をもった爆弾だ。体内でそれを破裂させたわたしの顔は一瞬でカッと熱を放つ。あんなアイテムを落としても狼狽えず、子供っぽい彼女に浮気を疑われても平然と否定して、こんなふうにわたしを慌てさせることばかり言う。高校生にしては少し冷静すぎるくらいで、自分ばかりが振り回されていると寂しく思ったこともあった。けれど、年不相応にクールでドライで、でも決して冷たいわけではない彼は、わたしのこんな情けない顔を見て、ひどく優しげで柔らかい表情をしてみせるのだ。クールだミステリアスだともてはやされる京介が、そんな表情を見せてくれるから、わたしは今の大人になりきれないままの自分でいいのかもしれないと、そんなふうに、思う。
 子供なわたしが大人になるためのその行為をしたいと思えるのは彼だけで、彼の財布に潜むものを使うのも、遠い先の話ではないのだろう。彼とならきっと。
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