愛したがりの壊したがり

 壁の隅に設置されたエアコンからは、絶えず冷たい空気が吐き出されているはずなのに、ふたりの熱を持った身体は一向に冷める様子を見せなかった。行為を始めたときは薄暗い程度だったというのに、気だるい空気感を持ってベッドに身体を投げ出している今は、もう目を凝らさなければお互いの存在を確認できないほどに暗くなってしまっている。ベッドサイドの明かりへ、手を伸ばした。素肌とシーツのこすれ合う音がして、シーツに散らばるわたしの髪が、無言で遊ばれていた彼の指からすり抜ける。
 ランプに指が触れると、オレンジ色の光がぼんやりと広がって、唐突に明かりの下でふたりの表情が照らし出される。一瞬だけ眩しそうにしかめられた彼の眉は、すぐにゆるりと緩んで、ふたたびわたしの髪へ手を伸ばした。髪を撫ぜる際にちらちらと頬や耳を掠める指先は冷え切っていて、自分の熱を余計感じさせるようで、居心地が悪い。

「帰らなくてもいいの」
「は……ナニソレ、もしかして彼氏サンが来るから帰れって?」

 わたしにとっては、学生である彼を気遣ったつもりで言った言葉だった。こんな時間まで彼を引き留めておくことに、罪悪感を感じないと言ったら嘘になる。しかし彼にとってそれは単なる厄介払いに聞こえたようで、緩められていた視線にするどい光が走ったようだった。もちろん、彼が言っていることに事実などなく、『彼』――今わたしの隣にいる高尾くんではない、ほんとうの恋人が、今日ここに来る予定などない。

「……そんなこと言ってないでしょ」

 まるで猛禽類のまなこのように鋭く細められたそれに捕えられてしまえば、逸らすことは叶わない。そう一言だけ返したわたしのからだを跨いで、シーツの下で再び彼のまなこに捕らわれた。口元には薄っぺらい笑みを張り付けているのに、まっすぐに見下ろしてくるまなこにはそんな様子はひとつも感じられない。

「うーんでも、すげーおもしろくねーの、ソレ」

 ただ獰猛な光が、苛立たしげに瞬くだけだ。
 ほんとうに、食べられてしまいそう。
 そう予見した次の瞬間には、不敵な頬笑みを浮かびていた唇で、呼吸をする道を塞がれた。自分に抵抗しているつもりはひとつもないのに、まるで攻め立てられているような行為。このまま食い荒らされて、終わった頃にはわたしの中には何一つ残されていないのだ。高尾くん以外は、何一つ。

「本当、こどもね、高尾くん」

 そんな振り回されてばかりの自分を何とか大人の顔の下に押しとどめて、余裕を見せびらかすフリをする。忌々しげに眉を寄せて、キスをしながら身体の自由を奪われることに、たまらない喜びを感じているのだ。格好も、体裁も、取り繕う暇もなく、ただただ求められる不格好で情熱的な欲望が、わたしの胸の内をこれ以上ないくらいに揺さぶるから。

「――そのこどもに好き放題されてんのはアンタだろ」

 肉体的優位にいるのは彼だというのに、自分よりずっと苦しそうな顔をするこの男の子のことを、きっとわたしは離してあげられない。



 ふたりの浅い息遣いだけが、部屋の中に充満する。空調は万全だというのに、彼の黒い髪の先や、つるりととがった顎から滴る汗がぽつりぽつりと肌の上に落ちて、立ち上る熱を知らせていた。わたしたちの行為はいつも、あまり言葉は交わされない。お互いの吐息だけをぶつけ合って、言葉よりももっと深くでもつれあうだけ。だのに、今日の彼はいつもより数段饒舌であった。そこに滲むのは紛れもない嫉妬と苛立ちで、与えられる刺激の波に、わたしは身体よりも心の方が満たされていくのを感じていた。

「ねえ、彼氏サンって、オレより上手いの」

 汗を散らしながらわたしを揺さぶって、大層下劣なことを問う。息を荒げるわたしに余裕のないことを読み取って、高尾くんは満足げな顔を浮かべている。

 わたしの本当の恋人は、高尾くんとは正反対のひとだ。不器用で、口下手で、生真面目で、やさしい。とっても大事にわたしのことを扱って、愛してくれる。不満なんてひとつもない。それでも、わたしはこうして高尾くんと交わることを望むのだ。
 高尾くんはいつも、わたしのことを攻め立てては余裕を奪うことに満足を覚えるような、こども染みた直球な欲望を振り翳す。それを受け止めて、体面上は精一杯の様子を見せながら、わたしの胸はまた喜悦に打ち震えるのだ。立場を気にして、くだらないことを天秤にかけたがる。ほんとうに、可愛い人。

「っそう、ね、高尾くんの方が、じょうずかも」

 息に混じらせて零した言葉を嘲笑うように、否、実際笑みを零して、彼の舌が耳裏をなぶる。そのままきつく吸われる薄い皮膚には、きっと赤黒い痕が残されたのだろう。隠れるように、でも引き下がることは決してしないまま、必死で自分の存在を刻みつけようと奔走する。たまらなく可愛いものだから、もっと、もっと、わたしのことを満たしてほしくて仕方がない。

「――でも、キスはあの人の方が、ずっとじょうず」

 瞳孔を開いて、奥歯を噛んで、その顔を、もっと焦燥に歪めてほしいのよ。

「っンと、厭なオンナ……っ」

 胸部のふくらみへの愛撫も、突き上げられる律動も、それまでの全ての行為を放り捨てて、性急な口付けがわたしの酸素という酸素を奪い去ってしまう。触れ合わせて、絡め取って、掬い上げて。くちびるが離れるたびに上がる大袈裟なほどの呼吸音と、零れ落ちる喘ぎも、まるで聞こえていないようにキスだけを繰り返した。――ほらまた、可笑しいくらいの対抗心を燃やして、わたしを貪る。

「……っなまえ、」

 切羽詰まった言葉尻は震えていて、声を上げて笑ってしまいそうになる。
 その獰猛な瞳に、余裕なんて見つけたくない。わたしのことを射殺してしまいそうなくらいの狂気で、ぐちゃぐちゃに食い荒らしてほしい。
 ――わたしはただ、格好悪いくらいの純粋な欲望に、愛されていたいだけなのだ。
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