キミ色のリネンに沈むカナリア

 陽の光を上手に受けて、つやつやと輝くフローリング。アルダー材で統一されたシェルフやキャビネット。キッチンボードから覗く食器類は美しく整頓されて、玄関先のチェストには爽やかで甘い花の匂いがするルームフレグランスがいつもオレを優しく迎え入れた。風にゆらめくカーテンは、季節によって気紛れに素材や柄を変え、ベッドリネンも同じく変わっていく。リビングでいちばん大きなチョコレート色をしたカウチと揃いのスツール。ラグは最近毛足の短いアイボリーのものへと変わった。
 インテリアの会社に勤めているというなまえさんの部屋は、隙がない。リビングのドアを開けるとそこにはインテリアカタログの風景がそのまんま広がっているようで、中央のテーブルに文庫本が伏せられている様子も汗をかいたグラスが乗っているのも、すべて計算して作り上げられた空間のようだ。あんまり出来上がってしまっているものだから、オレはいつもその空間に足を踏み入れるのを躊躇してしまう。部活終わりで、汗をかいてしまっているときなんか特に。シャワーだって浴びているし、気を使っているつもりだから気にすることはないとわかっていても、気になるものは気になる。ついなまえさんの前でそのことをぽろりと口にしてしまったときは、「ちゃんと手入れしてるし、涼太くんが頑張ってかいた汗なら大歓迎」なんて思いがけない言葉を食らって頭を抱えた。
 ――厄介なことに。インテリアの配置もセンスも抜群で、完成された隙のない空間の中で、一番隙だらけなのが、なまえさんだった。若干の緊張を抱えながらカウチの上に行儀よく座る自分の横に彼女が座るだけで、無意識に身を投げ出して、寄りかかりたくなってしまう。居心地が快適だとは言えないが、彼女が存在して当たり前のように自分を受け入れてくれるこの部屋が、オレはたまらなく好きなのだ。

「涼太くーん、ちょっと、重いかも」
「んー? もうちょっと」

 その通りに、なまえさんのとなりでカウチに全身を投げ出して、その薄い肩に寄りかかる。自分の平均より幾分大きなからだは、もちろん適度に折りたたまないとカウチの上には乗りきらないけれど、そうやって縮こまりながら傍らになまえさんの体温を感じる今の状況はひどく心地よくて、少しの間も動きたくなんかない。一つに束ねてくくり上げた彼女の髪の後れ毛がふわりと頬を撫でて、同時に鼻先をくすぐるあまやかな匂いがコトン、と心臓を揺らした。肩と頬の間に顔を摺り寄せるように動くと、なまえさんはやわらかな手付きで傷みがちなオレの髪をふわふわと撫ぜる。優しすぎる手付きがもどかしくて物足りなくて、もっともっとと強請るように摺り寄ってみたけれど、ふふ、と笑みを零すだけで終わってしまった。つまんないの。
 オレの体重を半身で受け止める彼女の膝上には、普通の雑誌ほどの大きさで、正方形の形をした冊子が乗っている。紙面には様々なアングルで切り取られ、光と影の陰影がくっきりと写された写真が並んでいた。ナチュラルな様子のものから、アンティーク調の空間まで。それら全ての写真の主役は、なまえさんが愛してやまないインテリアたち。

「なに見てるんスか?」
「夏のカタログが今度出るから、それの最終確認かな」

 ぱらぱらとその冊子を流し読みするまなざしが、とても暖かい色をしているように見えた。なまえさんは企画宣伝部という部署で、販促とか宣伝とか、そういうことをやっているらしく、最近まで新しいカタログの制作で忙しくしていたのを思い出す。彼女はインテリアがとても好きだ。仕事にするくらいだから当然かもしれないけれど、彼女の仕事に取り組む姿勢やまなざしを見ていると、本当に好きなのだと自然に伝わってくる。きっと自分にとってのバスケと一緒なのだろうと、同じ思いを共有できているみたいで勝手に喜びが湧き立って来てしまう。

「あ、そういや、テーブルの色変わったっスよね。ええと、チーク?夏っぽい」

 さらりとなめらかで手触りのいい素材を言い当てると、一瞬丸くした目を優しく細めて、「そう、よくわかったね」とくすぐったそうに笑う。なまえさんといるうちに、少しずつ自分の中に彼女の知識が蓄積していくのを実感していた。チェリーの木材は色の変化が大きいとか、チェアとスツールの違いとか、ラウンドカットのラグには柄が似合わないとか。そういうなまえさんの言葉から吸収した知識をふと口にすると、彼女は今みたいにすごく優しい顔をする。オレにはそれがくすぐったいくらいに嬉しくて、思わず顔を緩めてしまう。自分でも表情筋の制御がきかなくて、自分が今どんな顔をしているのか分からなくなってしまうのだ。まったく、モデル失格だ。

「コーヒー飲む?インスタントだけど」
「……飲む」

 お互いのくすぐったそうな顔にたまらなくなって、オレが腕を伸ばそうとすると、それをするりとかわしてなまえさんが言った。一拍ニ拍と遅れて返事を返すオレの、つまらないという気持ちをしっかり見透かすように微笑まれては、頷くしかなくなってしまう。
 受け入れられては、かわされ、甘やかされては、またかわされる。でもかわしていく動きの中には、確かに甘い色が見え隠れしているものだから、オレは仕方なく、そしてまんざらでもなく、そのあまい拒絶を甘受するのだ。

 キッチンボードから取り出されたふたつのマグカップは、ひとつずつ手作業で焼かれた陶器で出来ているらしく、同じものなのに焼き目が違う。インスタントだと言っても、ブラックのなまえさんのコーヒーと、砂糖とミルクを少し入れたオレのコーヒーを持った彼女がキッチンから出てくる情景はカンペキだ。丁寧に豆を挽いた本格派のコーヒーだとか何とかよりも、オレにとってはなまえさんがこうして手渡してくれることが何よりも重要なのだから。
 熱いよ、とカップを手渡すと、彼女は先ほどまで座っていたオレのとなりではなく、テレビの前に陣取った一人掛けのソファへと座り込んだ。これは別にオレが拒否されているとかそういうことではなく、単に彼女がその場所でコーヒーを飲むことを気に入っているからに過ぎない。
 ――だから拗ねたり寂しがる必要なんかないのだ、と、自分に言い聞かせる。

 少し大きめに作られた一人掛けのソファは、なまえさんがその上に足を上げて、体育座りをするように座って丁度くらいの大きさだ。まるでそこに包まれていることが当然であるように、なまえさんはそのソファにぴったりとはまり込む。オレはその様子を眺めながら、今までふと感じつつも口にはしなかった疑問を投げかけた。
 「思ったんスけど」オレの言葉に彼女は目を丸くしながらこちらを見やる。

「そのソファ、なまえさんにしてはめずらしい色っスよね?」

 なまえさんが包まれるようにして座っている一人掛けのソファは、くすんだ辛子色のようなカナリア色をしている。彼女の部屋は、大体がアイボリーやブラウンなどの淡い茶系で統一されており、色味があっても差し色程度で、そのソファはこの空間から少し浮いているように感じた。オレでも気付く違和感に彼女が気付かないわけはないのだが、彼女はオレの言葉を聞いて、答えづらそうに口を噤む。

「……笑わない?」
「え、なにがスか。笑わないよ?」
「……これ、涼太くんと付き合うようになってから買ったの」

 こちらから目線を外して、カップに溜まったコーヒーを啜る。イマイチ要領を得ないオレに渋々と、カップへつけたままのくちびるが再び開いた。

「だって、涼太くんの色でしょう」

 ずず、コーヒーを啜る音だけがふたりの間に落とされる。
 その言葉を聞いてしまえば、彼女が包まれるその色が、とてつもなくまぶしいような気がして見ていられなくなった。くすんだ辛子色のような、カナリア色――黄色。名前と髪の色と、特別こだわっているわけではないけれど、こんな大人の女の人に、しかも他ならぬなまえさんに、そんなことを言われて冷静ではいられない。顔から噴き出した熱が全身を回って、覆って、熱くてあつくてたまらないよ。

「……笑わないでって、言ったのに」
「……笑ってないっスよ」

 ――笑え、ないよ?こんなの。
 カウチから立ちあがると、彼女がオレの色だと言って選んでくれたソファの背に手をかけて、小さな掌が覆うように持ったマグカップをそっと下げさせる。からだの真ん中から沸き上がる衝動に突き動かされるままに、そっと濡れたくちびるに吸いついた。ほろ苦いなまえさんのコーヒーと、ほのかに甘くなった自分のそれとが、くちびるの中でひとつに混じり合う。思い切り背を丸めているせいか、覆いかぶさるように、喰らってしまうように、彼女のくちびるを求めた。
 受け入れてはかわして、甘やかしてはまたかわして、そうしてこうやって、オレを惹きつけてやまない。

 本当に、甘くて甘くって、いやになる。

 鼻先がこすれ合ったまま絡む視線が一秒、二秒。三秒目を数えるのがもどかしくて、ふたたび目を閉じたそのとき、なまえさんが可笑しそうに笑うから、悔しいやら、気恥かしいやら。オレとオレの色のソファに包まれているのは彼女のほうだというのに、どうしたって自分は彼女の色で一杯で、敵わないと思い知らされる。
 でももう、仕方ない。そしてまんざらでもないと、またオレはこの圧倒的敗北を甘受するのだ。
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