乗り換え切符二枚

この先、乗り換えです



 線路の上を電車が走り抜ける。ときたま大きく揺れる車内につられて、座席に座るからだもぽんと跳ねた。今日の東横線は若干運転が荒い。車内はやけに人が少なくて、オレ達のいる車両には自分たちの他に四・五人のひとがいるだけだ。イヤホンをつけて腕組みをしたまま眠りこんでいるお兄さんや、すまし顔で文庫本を読む女のひと。ただ電車が駆ける音だけが車内に響き渡る。ガタン、とひときわ大きく車体が跳ねて、すぐ隣に座るマネージャーと肩が触れた。

「黒子っちにも新しい仲間が出来たんスねえ」

 車内に響く音にかき消されてしまいそうな声だった。ついさっきまで見ていた、練習試合で自分を負かしたチームの試合を思い出して、呟く。偵察といえば聞こえはいいけど、オレはただ単に自分の注目校の試合が見たいだけだった。そんな自分勝手に付き合ってくれるマネージャーの気遣いに背中がくすぐったくなる。彼女がいるから形ばかりの偵察は『らしさ』を増して、先輩たちの視線は和らぐのだから、本当に感謝してもしきれない。
 そのマネージャーが、こちらの顔を覗き込む。ひとりごとと取られても仕方ないような言葉を拾ってくれたようで、また少し背中がざわついた。

「黒子くんって帝光のだよね?」
「そーそ。だからなんか、新しいとこでうまくやってんのは嬉しいけど、ちょっと寂しいなって」
「んー、わかるけど、そういうのって過去の人たちだけに言えることじゃないよね」

 背筋を伸ばすように座りなおして、こちらを向いていた視線がまっすぐ対面側の窓の外へ向いた。横目にそのようすを見て、いつもと違う表情に自分たちを取り囲む空気が少しずつ固まっていくのを感じる。普段はつねに口元に笑みをたたえて、穏やかな顔をしている彼女の表情は、まるで試合中のように緊張した色を纏っていた。視線を戻しながら、ごくりと口に溜まった唾を飲み下す。ざわざわ。先程まで感じていたくすぐったさとは、似つかない冷たい感覚。

「……って言うと?」
「そういう風に昔のこと話してる黄瀬は、違う人みたいで寂しくなる。今は、ウチにいるのになって」

 どこか遠くを見つめて、ぽつりと呟いたなまえのほうが、よっぽど違う人のようだと思った。自分が黒子に感じている、あったかいようでちょっぴり切ない感情を彼女が自分に向けているのは、純粋に嬉しい。けれど、自分の海常だとか彼女への気持ちをみくびられているようでもあり、手放しには喜べなかった。
 彼女の中で、彼女自身と海常のチームメイト、そして帝光のみんなとが、同列に並べられている。それがオレにはひどく不満だった。黒子と同じ、『友情』の枠ですらないというのに、勝手に遠ざけられる自分と彼女との距離を突きつけられてうまく言葉が出ない。今の自分には、過去にも未来にも、彼女と同列にできるようなひとなどいないというのに。

「でもま、ずっと一緒ってわけにはいかないけど、高校では一緒だもんね」
「……ずっと一緒は、無理なんスか」

 同じ地面に足を踏ん張って、同じ方向を向いているはずなのに、目を逸らしようもないズレがすぐそこで顔を出している。海常で、全国制覇。同じ目標を目指しているはずなのに、お互いの未来の中にいる自分たちの姿はふたりの中で重なってはいないのだ。

「……ずっと一緒には、いられないよ」

 同じ方向へ向けていた視線を、たまらず彼女へ向けた。どうして、まるで遠くからオレを見ているようなことを言うのだろう。すぐ隣にいるのに。
 オレの中で、彼女と自分の関係は形が定まってはいなかった。今は部員とマネージャーでも、明日はわからないし、来年は、再来年はって、未来へ向けて形を変えていけるものだった。けれど彼女の口ぶりから、まなざしから、感じる。彼女の中で、それはすでに完成されているのだ。オレたちは部員とマネージャーでしかなくて、変わることはなくて、限られた時間であれば確実にそばにいられる。そしてだからこそ、本当の意味でずっと一緒にいることはない。もう決定された、未来のカタチだ。

「そ、そんなことないっスよ、だって」

 先のことなんて、わかんないじゃないスか。慌てて訴えた言葉は笑ってしまうほど陳腐で、彼女の微笑を誘うことしかできなかった。からだごと彼女のほうを向いたオレの視線と、膝の上で握った両手を見つめる彼女の視線は交わらない。ガタンガタンと線路を走る音が、はるか遠くでなっているように感じた。同じ電車に乗っているのに、みるみるうちにふたりの距離が離れてゆく。

「……わたしは黄瀬に、追いつけない」

 ほら、まただ。今オレと彼女は、現在進行形で同じ場所にいる。目指すところも同じで、同じように努力を重ねている。なのに彼女は、自ら後ろへ引き下がろうとする。オレを先へ先へと押しやって、後ろからその背を眺めて勝手に距離をとっては安心したような顔で『追いつけない』なんて嘯くのだ。
 彼女の方へ手を延ばしかけて、やめる。頑なに現状維持を望む彼女のどこに、オレは触れることができるっていうんだろう。未来が変わる瞬間を、そのまなこに刻みつけてしまいたい。こうやって髪に触れて、手を握って、キスをすれば、きみが勝手に完成させてしまった未来なんて簡単に壊してやれるのだと、教えてやりたかった。でも、必死でたかが数センチの距離を守って、一途に完成された未来を見据える瞳をこちらへ向ける術なんて、オレは知らない。

「……そんなの、勝手になまえっちが立ち止まってるだけじゃないスか」

 勝手に作り上げて、勝手に完成させて、それで終わりですって諦めたみたいな顔をして、『追いつけない』なんて、自分勝手にもほどがある。俯いた前髪が目元を覆って、彼女がどんな顔をしているのか知る由はない。彼女から目を反らした。握りしめた制服のズボンに皺が寄って、呼吸しているはずなのに、息が止まったみたいに胸が詰まる。

「変わらないって決めつけてたら、そんなの変わるわけねーよ」

 君が好きだから、変わらずにいられたらと思う。でも、君がすきだから、変わっていかなくちゃいけないこともあるんだってこと。変わらないきみにはきっと、届かない。



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