ミッドナイトブルーに沈溺

 宥めるように、慰めるように、くびれから腰を優しく撫でるご機嫌取りの掌が気に食わない。ひとつのベッドにふたりで横になっているのに、顔も見たくないとなまえは青峰がいるのとは反対側へからだを向けていた。その背中を眺める青峰はすでに3度目になる溜息を吐きだして、それがまたなまえの苛立ちを煽る。ひとつしかない枕を引き寄せて、ひどく不機嫌そうな顔をその枕へ埋めた。
 ふたりのからだに敷かれて上も下もなくなってしまったシーツは、先程までの情事でふたりのからだから移った熱を冷ましつつある。ベッドの下に散らばる衣服は脱ぎ捨てられたままに放られており、しわになるのは必至だというのに、名前はそれをどうする気にもなれなかった。

「なあに拗ねてんだよ」
「べつに拗ねてない」

 気だるげな低い声に噛みつくように紡いだ音はその半分が顔を埋めた枕に吸い込まれた。首の後ろで聞こえる溜息は、四回目だ。聞き流してしまえれば楽だろうに、その溜め息が重くのしかかって、なまえは自分のからだを隠すようにブランケットを手繰り寄せる。

「ンだよちゃんとやっただろ」
「そういうやってあげましたみたいな感じがいや。青峰の意思が感じられません」

 恋人同士が同じベッドに横たわって、その下には錯乱した二人の衣服。熱を鎮めつつあるおのれのからだ。今日もそうだったように、これまで幾度もからだを重ねてきた。熱く塞がれるくちびるも、本能のままに這い回る手も、急くように顰まる眉間も。形になって見えることはないけれど、自分たちの間に確かに存在しているのであろう愛情を実感できる行為が――というか、そういう気持ちを持って自分に触れる青峰を見るのが――なまえは純粋に好きだった。
 好きだから、求めてしまう。単純なことだった。そしてふと、気付いたのだ。求められるがままに触れてくる青峰の両手の上に、彼自身の気持ちは乗っているのだろうか。
 したいのだと言う自分のことばに、大人ぶった苦笑を見せる彼の表情は好きだったし、行為をおざなりにすることもなく、きちんと満たしてくれるし満たされてくれていることも感じている。ただそれでも、求められなければ求めてはくれないのかという疑問が消えることはなかった。今日だって、ことばにして求めることはしないまでも、そういう気持ちを見咎められたのだろう。視線を掬うように覗きこまれて、呆れたように苦笑されて、「しゃあねえなあ」と言われたと思えば、なし崩しにされてしまった。
 本当は『仕方ないから』ではなくて、『わたしに触れたいから』その手を伸ばしてほしいのに。

「気持ちよくねーって?」
「……そうじゃなくて、」
「なんだよはっきりしろ」

 くちづけから解放されたら、そうじゃないと、彼の意志を見せてほしいと、言うつもりだった。けれど吐息と一緒に吐き出された自分の名前に、耳鳴りがして、目眩がして、そんなお行儀のいい考えは呆気なく崩れてしまった。そして行為を終えるとその不甲斐なさに潰されそうになって、八つ当たりという方法しかとれなくなってしまう。
 不安と自己嫌悪で項垂れるなまえの言葉を促す青峰の声に、なまえはようやっと喉を震わせた。

「……青峰は、わたしとしたいと思って、してるの」

 一拍、二拍。間が重なるのと同時に、どこかの時計の秒針が時を重ねる。すぐうしろでシュルリと布切れの音がした途端に、からだが意図せぬ方向へ引かれた。
 青峰の部屋のベッドは、大きい。彼自身が人よりも大きなからだのつくりをしているため、それ用に合わせて選ばれたベッドは普通のものより大きいのだ。そのベッドの上でできるだけ彼と距離をとれるように、端のほうを陣取っていたというのに、その長い腕に力強く、纏っていたブランケットごと彼のからだの下に引きずり込まれる。慌てて仰ぎ見た青峰の顔は、「しゃあねえなあ」のときの大人ぶった苦笑を浮かべてはいない。怖くなるほどに無表情で、思わず息を呑んで、不満のひとつも出てこなくなってしまう。

「おまえがくだんねーこと考えてんのはよくわかった」
「く、だらないって、なに、」

 悩みに悩んで、自己嫌悪してしまうまでに不安だったことをくだらないと一蹴されたなまえの文句を、くちづけをするとは思えないほどに大きく開けた口が喰らった。押しつけられるそれに、なまえは顎を引いて逃げようとするも、簡単につかまってしまう。あたまのなかが真っ白だ。いまなまえの頭には不安や疑問しかないはずで、目にも焦り以外は浮かんでいなかったはずだ。彼のからだに触れたいだなんて思う余裕はなかったのに、こうして青峰はくちびるを貪る。
 腕や肩を掴む青峰の両手に、なまえの意志を汲んだそれではない欲望が、乗っていた。

「なまえ、したい」

 キスを終えた、お互いの唾液で光るくちびるがそうのたまう。顎の下から首筋へ伝うそれに、明確な青峰の意志を持って動く指先に、目の前でチカチカと星が飛んだ。歓喜よりも先に沸き立つのは焦りで、次々と訪れる刺激の波を受け流すのに必死になる。性急な行為に、静まりかけた熱があっさり呼び戻されて、震えが背中を駈け上がった。

「なにからだ硬くしてんだよ、力抜け」
「わかって、る、っ」

 はじめてなんて、もう捨ててしまっているはずなのに、右も左も分からない感覚は処女を失ったときの行為を彷彿とさせた。からだじゅうの息を吐くようにして、青峰の短く硬い髪に触れて、なんとか力を抜こうと試みるのに、上手くいかない。まさにいま、自分のからだに触れる彼のすべてを動かしているのが『自分に触れたい』という欲望なのだと思うと、力を抜くだなんてとても簡単なことが、ひどく難しいことのように思えて、緊張ばかりがからだの自由を奪う。
 目をきつく瞑ると、瞼の上に驚くほど軽い口付けが降りた。その優しい動作と、骨ばった指がうるおってぐずぐずになった部分に触れる動作とが倒錯を呼んで、ますます頭が白んでしまう。頬に髪の毛が纏わりつくのを感じながら、大きく息を吐いた。キスに促されて開いた視界では、青峰がなまえのからだのあちこちに唇を触れさせる光景が広がって、緊張とは違う意味で、呼吸が詰まって息を止める。
 「あおみね、」自分でも口に出しているのか疑問を抱いてしまうくらいの声なのに、彼はすぐに顔を上げた。視線だけで相槌を打って、入り込んだ質量に、塞がれるくちびるに、どうやったって苦しいはずが、なまえの全てが満たされていくのを感じていた。

「……おまえが思ってることは、オレだって思ってんだよ」

 からだを折りたたむようにされて重なり合いながら、穏やかな声が鼓膜を震わす。深くまでつながったそこで一度動きを止めて、汗ばんだ額と額が触れ合った。至近距離で見つめ合う青峰の虹彩は熱に浮かされて、なまえはそれにすら強い劣情を感じる。

「そういう風にできてんだ、オレとおまえは」
「……なによそれ」

 お互いの一番近くにいたいという気持ちも、一番深くに触れていたいという気持ちも、伝染するでもなく、流されるでもなく、お互いが同じことを思うように『できている』。非現実的で笑ってしまうけれど、彼が言ってくれるその言葉はなんて力強いのだろう。
 ――ああもっと深く、彼の中に沈んでいたい。「まだ、足りねえ」

 本当だ、そういう風に、できている。時計の秒針も読めないほどの夜に、ふたり、沈んだ。
- ナノ -