貴方中毒私依存症

 そばにいてほしいのだと泣き縋るのは、有り余る彼の執着を示す方法だった。わたしをいとも簡単に捩じ伏せてしまう力で、全身をしっかりと縛りつけて、疑問ばかりをぶつけて縋る言葉は、いつだってわたしを責めたてる。それが自分の愛情なのだと、受け入れてほしいと言葉と共に零れる涙を、一度だって甘受できずに目を閉じていることしかできない。彼とわたしの矢印が同じ方向を向いて重なり合うことなど、きっとこれからも訪れることはないのだ。
 わたしへの「愛情」という膜を被った執着に耄碌した彼の目には、わたしの思いなど映りもしないから。

 鼓膜を裂くような音を立てて、シンクから零れ落ちたカップが床で砕け散った。白い破片が飛び散るそこを、破片になる前のカップに入っていた黒い液体が濡らしている。スリッパを履いた自分に被害はないが、惨状となった床を素足で踏みしめる彼の足はわからない。名前を呼んで咎めるが、そんな言葉など耳に届いていない彼の腕は、寝起きとは思えないほどの力でわたしのからだを羽交い絞めにする。

「どうしてオレのこと不安にさせるの」
「……ごめん」
「起きたとき、隣にいてくれなきゃやだって言ったじゃん」
「うん、ごめん」

 引き寄せられるがままに歩みを進めたスリッパの下で、破片が砕ける音がした。わたしの口から漏れる謝罪も、彼の腕の中で見る影を失くす。気を失うように眠りに落ちた昨夜を経て、ふたりが包まれる寝具の中で目を覚ました。すぐ隣のキッチンでコーヒーを飲もうと、夢の中でも離すまいと回る彼の腕から抜け出した、それだけのこと。たったそれだけのことで、彼は酷くうろたえてしまう。言葉尻を寂寞に震わせて、極まった不安が涙になって目頭から頬を伝う。からだを縛りつける両腕は、このままわたしのからだを自分の中に取り込もうとするように強く、わたしは息をするのも難しくなるのだから、『取り込む』というのもあながち間違ってはいない。呼吸を止めて、それでもなお離されぬまま、彼の一部にでもなってしまおうか。
 ほんとうはそうなってしまっても構わないのだ。

「なまえ、好き。好き、好き、好き、」

 うわごとのように告げられるわかりやすい『愛情』。言い聞かせるように、刷り込むように、無音の空間でも脳裏にこだまするほど聞かされたそれは、まるで呪いのようだった。ただそれは決して、わたしだけを呪う言葉ではないのだと、わたしだけがわかっていた。
 この執着は、愛情ではない。彼の琴線があらわになったその瞬間に、たまたま居合わせたのがわたしで、間違いのように触れてしまっていた。彼はそれが決定的な一瞬だったのだと信じこんで、彼に絶対的な唯一だと、そのまま蓋をしてしまったのだ。わたしでなくてもよかった。その事実に気がつかないよう、こうして呪いをかけ続ける。「なまえ」「好き」。あまったるくて愚かしい呪いだ。盲目の呪いをかけられた彼の腕の中で、わたしはただ祈りを捧げている。彼がこの夢から醒めてしまわぬよう、執着を満たしてしまわぬよう。

「どうして好きって言ってくれないの」

 執着を満たしてしまう言葉は、それもまた呪いなのだ。だからわたしは彼から浴びせられる糾弾と呪いを飲み込んで、笑っている。「なまえ」と「好き」を繰り返す、悲壮な眼差しを見てしまわないように、零れる涙を見てしまわないように、目を閉じた。こんな薄暗い呪いから、光の中へ解き放ってやりたくなる。けれどそんなことをしたらわたしは寂しさで死んでしまうだろうから、だからまだ彼には、愛情まがいの執着という呪いの中で、わたしを縛りあげて、責めていてほしい。
 すっかり目を閉じてしまっても、潤んだひとみはどうしたってわたしを眩しくさせる。そしてわたしは今日も、くちびるの中に、まぶたの裏側に、可笑しくなりそうなほどの『好き』をちっぽけな身体に閉じ込めるのだ。

「好きって言って。オレを離さないで」

 離れていくのは、きっときみのほう。
 そして置いていかれるのは、わたしのほうだ。
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