SUGAR&SPICE

 昼寝から起きたなまえちゃんは、晩御飯は何にしようかとぶつぶつ言いながらソファに座ったまま雑誌をめくる。その膝の上に頭を乗っけさせてもらって、視線が交わらないのをいいことにその顔をひたすら見つめた。すっぴんで、コンタクトさえもつけていない黒ぶち眼鏡の彼女は、いつもよりずっと無防備。自分のからだが満足と優越感でひたひたになる。だって外ではバリバリお仕事をしてしまうなまえちゃんのこんな姿を見れるのは、間違いなく自分だけなのだから。
 「今日はグラタン食べたいな、マカロニいっぱいのやつ」そんでデザートにマンゴープリンあったらもっと嬉しいかも。ぽつりとつぶやくと、雑誌に向けられていた視線がこちらに降りて、じと目をした何とも言えない表情が向けられる。

「なんか涼太さ、最近ちょっと図々しくなってない?」
「ンなことないっスよー、ご主人様への愛情が増しただけ?」
「またうまいこと言って。かわいいなあウチのわんちゃんは」

 自分はペットなのだから当然なのに、こうして面と向かって犬扱いをされるのはやはり不満がこみ上げてくる。『かわいい』と言ったり頭を撫でてくれたり、そういうわかりやすい愛情が向けられるのは、自分のペットとしての言動だけだ。

「髪の毛も金色でふわふわで人懐っこいし、ほんと犬みたい」

 ペットとして彼女のそばにいられることは、今の自分のいちばん大事にしたい部分だけれど、それと彼女にオトコとして意識してもらいたいっていう感情とは、別の話だ。

「ちょっと鳴いてみて?」
「えー……なまえちゃん冗談きついっス……」
「ご主人様の言うこと聞けないの?」
「…………わん」

 ――だからそんなふうに安心しきった顔をされるというのは、ペット以前に男のプライドが許さないのですよ、ご主人様。
 オレの犬の鳴き真似を無邪気に喜んで、ケタケタご機嫌そうに笑う彼女のからだに覆いかぶさるように、背を起こした。その一瞬で視線の高さが逆転して、鼻先が触れてしまいそうになる。暗く影が差した虹彩の中に、自分がいることを確認できるくらい、近く。

「……犬だって思ってられんのも今のうちっスよ」

 飼い犬にだって、噛まれることはあるのだ。たまには自分に冷や冷やしてもらわないと、割に合わない。
 ――なのに、ただ面食らって後に張り倒されるだろうという予感が思わぬ形で外れることになる。言葉を紡ぐには拙すぎる音階が鼓膜を揺らして、釘付けになった瞳孔がきゅっと縮まる。彼女がこんな風に頬を染めるなんて、初めて見た情景はオレには鮮やかすぎて。
 ペットと飼い主の関係がこの先どうなろうとも、オレが彼女に勝てる未来はきっと永遠に来ないのだ。

 あまくてあまくて、たまに噛みつかれるその牙すら甘い味がするってことも、確信してる。
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