数年ぶりにその顔を目にした自分が感じたのは、単純な驚きでも、懐古や悔恨でもない、「生きていたのか」という奇妙な感慨だった。それからすぐに、その感慨が誤ったものであると自覚する。国の要人でも、どこかの組織の構成員でも、ましてや呪術師でもないただの一般市民である彼女が、「生きている」ことなんて奇跡でも何でもない。数年ぶりに顔を合わせる見知った人間に対して、まずその生き死にを認識してしまうことが、彼女と自分の間にある見えない隔たりを余計に分厚くさせた。
 彼女は何も変わらない。ただ僕が、思い出しただけだ。

「久しぶり」

 目を丸く見開いたなまえは、こちらの声に応えることなく、先ほどまで真剣な目で睨みつけていたショーケースよりもまじまじと僕のほうを見つめる。瞬きどころか、口を閉じることも忘れてしまった様子に、奇妙な感慨で波立っていた胸中が整っていくのを感じた。薄く開いたままの唇が一瞬震えて、そのまま新たな形をつくる。名前を呼ばれる、と予感した。

「……ご、五条くん」
「うん、五条だよ」

 問いかけるのではなく、ただそこにあることを確かめるような口ぶりに、おもわず自分の名前を繰り返す。彼女の口から紡がれる名前が、まるで知らない誰かのものみたいに聞こえた。いくら記憶を遡ってみても、なまえの声で象られる自分の名前は、今彼女が口にしたそれとは違う形をしていたから。

「びっくりした。全然老けないね」
「いきなりそれ? まあそうでしょうとも」

 人のことを上から下まで眺めて、感嘆しながら言う彼女に、息が鼻から抜ける。わざとらしく胸を反らして見せると、やっとのことで唇が笑んだので、僕はようやく長い呼吸をした。
 年が明けて、少しずつ寒さが和らいでくる季節は、パティスリーが華やぐ季節でもある。宝石みたいに真っ赤な苺を主役にしたケーキやタルトが、指紋ひとつなく磨かれたショーケースの中できちんと整列している光景は、舌だけでなく目にも楽しい。それらを目当てにここへやってきたはずなのに、自分の目が吸い込まれてしまったのはそのケーキたちの前で難しい顔をしている彼女だった。
 僕のことを「老けない」と言った彼女だけれど、彼女のほうこそ記憶の中にいる数年前のその人とそれほど変わっているようには見えない。わずか数年足らずで目に見えるほど姿形が変わるとは思えないが、ただ、記憶より長くなっているその髪だけが酷く、視界にこびりつく。肩から滑り落ちていく一房が、喉笛を攫っていくように感じた。

「今も甘いもの好きなの?」
「好きだよ。ここうまいよね」

 喉が焼けるようだったけれど、何なく応える。サングラスで目元は隠れて、彼女に見えないことがわかっていたから、取り繕うのはずっと楽だった。息を吐いて、肩から力を抜けば、口唇は思うように操れる。
 もうすっかり落ち着いた様子の彼女は、僕と同じように唇を緩ませて笑った。僕と違うのは、黒い睫毛で縁取られた目尻が、細く下がっていることだけ。彼女は、取り繕う様子など見せることなく、まっすぐに目の前にいる僕をただ見つめている。

「ホント、びっくりした。デジャヴかと思っちゃった」

 彼女が思ったことの内、十を口にしているとしたら、僕が口にできていたのは四だか三だか、半分にも満たない程度だろう。デジャヴだと笑っている彼女に頷きながら、自分の脳裏にはそのときの情景が目まぐるしく、しかし鮮やかに投影されていた。既視感なんて錯覚では済まされない。明確な記憶で、変えようもない事実だ。気を抜けばすぐに、その中の彼女と目の前の彼女とで、間違い探しを初めてしまいそうになる。変わったところなんて、髪の長さくらいしかないというのに、何かが決定的に違う気がした。
 ショーケース前を独占してしまっているところを見かねた店員に声をかけられ、ようやくお互いに買い物を済ませ店を出る。風が冷たく感じるのは、本当に風が冷たいからなのか、記憶の中の、今よりずっと寒い季節を思い起こしたからなのかは、わからなかった。

「……ねえ」

 呼びかけた彼女がこちらを振り向くのに、視線は合わない。パティスリーの紙袋を持つ左手の、飾り気のないまっさらな皮膚を見て、冬に似合わない湿った息が滑り落ちた。

「……あれから、連絡先変わった?」

 デジャブでは済まされない。こんなにはっきりと覚えている。あのとき、声をかけたのは彼女のほうで、先にショーケースを見つめていたのは僕のほうだったのだ。





 地方都市で有名なパティスリーが、都内に初めて出した支店のプレオープン最終日だった。ちょうど任務の帰りで近くを通りがかったから、立ち寄ってみるとそれはきらびやかなプティガトーが並んでおり、思わず息を漏らしてしまうほどだ。最近は老舗の和菓子に凝っていたので、久々に洋菓子を見ると意匠の異なる華やかさに自分のテンションが上昇したのがわかる。
 先日、厄介な呪いを受けた生徒を地方から引っ張ってきたばかりだ。その彼が仲間内に馴染んでいるとは到底言えない。何せ相手は、素直とは言い難い彼女と語彙が限られた彼、そしてパンダだ。打ち解けるにはまだ少し時間がかかるだろうけれど、一緒にケーキでも食べたら、少しはマシになるだろうか。そう考えて、ひとり頷く。

「これ、ここからここまで全部ひとつずつ」

 ショーケースの右から左まで、焼き菓子を除いた端から端までを指差してそう言うと、小春めいた彩りの制服を着た店員はぱちくりと瞬きをしたあと、にっこりと笑んで「かしこまりました」と頷いた。トレイに移動させられてゆくケーキたちを目で追っていく。プレオープンの最終日で、確かもう営業時間も終わりにさしかかかる頃合いだったはずだ。ショーケースに並ぶガトーの中には、僕の注文が最後のひとつであったらしいものもいくつかあった。
 運が良かったとほくそ笑んでいると、その自分の後ろから、ぽつりと声がしたのだ。

「容赦な……」

 溜息まじりの、うんざりしたような声だった。後ろを振り返ると、サングラス越しに女性がひとり自分の後ろに並んでいるのが見て取れる。彼女は、まさか僕が振り返るとは思っていなかったのか、自分が思ったことを口に出してしまったこと自体がうっかりだったのか、あからさまに「しまった」という顔をして即座に僕の視線から顔を背け逃れた。首ごと捻り目を反らしてからも、唇を硬く結んだうえに視線はうろうろと忙しなく、こちらが彼女へ意識を向けていることに慌てているのは明らかだ。
 容赦がない。これまで、言われたことがないわけではない言葉だった。生徒への指導だとか、補助監督の扱いだとか、呪霊への措置だとか。それが、「ケーキを買い占める」という行為に対して向けられたのだと思うと、文句を言われたことなどどうでもよくなってしまう。気管の奥から息が吹き出してくるのを堪えられない。まずい、と思った瞬間には口を手で覆って、パチン、と音を鳴らしてしまうほどだったのに、残念ながらそれが間に合うことはなかった。

「ブフ、」
「……すみません」
「いえ、こちらこそ」

 しっかりと吹き出してしまってから、笑ったことと、それからケーキを買い尽くしてしまったことを詫びる。ひとこと言葉を交わしても、未だ気まずい様子を崩さないその女性は、今すぐここから逃げ出したい、と叫び出しそうな表情をしていた。息を堰き止めるために口元を覆ったままの手の下で、口角が一瞬、むず痒く震える。

「……よかったら一緒に食べます? これ」

 ちょうど、このパティスリーにはカフェスペースが併設されていて、購入したケーキをそこで食べられるようになっていた。恨み言を言うほど食べたかったケーキを、何も目の前で奪っていくことはないだろう。生徒たちへの土産はただのついでで、あくまで自分がケーキを食べたくてここへ来たのだ。ケーキを譲る代わりに、ナンパもどきをするくらい構わないはずだ。そんな軽い言い訳で消化できる程度だった。
 僕の誘い文句に、その女性はぎょっと目を剥いてみせる。大層驚いている様子だったけれど、その影で瞳が輝いたように見えたのは、きっと照明の反射などではなかったに違いない。

「いえそんな、また来ればいいですから」
「初めて会った女性に、容赦ないなんて思われたくないので。ほら、どれがいいですか」

 にこやかに僕たちふたりのやりとりを眺めていた店員が持ったトレイを指し示す。そのとき初めて、サングラス越しに彼女と視線が混じり合った。断れない物言いをして、この状況を楽しみ始めた僕とは対照的な、気まずさと恥じらいと、それから期待感が入り混じった複雑な色合いの視線。誰がどう見ても、勝敗は明白だ。店員が「店内でお過ごしですね」と美しい営業スマイルを掲げたのがゴングだった。
 おずおずと、細い指先が艶やかなチョコレートでコーティングされたオペラを指差す。その指が僅かに震えていたことも、さまざまな失態に参ってしまって赤くなった耳も――数年前の話だというのに、今目の前にあるもののように思い出せた。
 恋人との再会だなんてメロドラマは、自分には遠い世界の出来事だと思っていたのに。





 突然の再会を果たしたなまえの連絡先が変わっていないことを確かめ、後日改めて彼女を呼び出した。あの日の数日後、たまたま夕刻以降の時間を持て余した際に連絡を入れてみると、ちょうど仕事を終えて帰るところだと言うものだから、きっと星の巡りがよかったのだろう。
 地下鉄の駅と駅の間を繋ぐ商業施設の地下通路。その一角にあるショコラティエは、ガトーだけでなく食事のメニューとワインまで取り揃えているパティスリーだ。僕自身は酒は一ミリたりとも飲めないが、彼女は嫌いではなかったはずだから、きっと喜ぶに違いない。改札近くで合流した際、つい先日再会したとは思えない淡麗なやりとりをしながら、頭の中ではなまえの反応をつぶさに観察してしまって、落ち着かなかった。
 数年連絡をとっていなかった元恋人と再会して、またこうして顔を合わせようとする自分の意図を、自分自身でも測りかねたままでいる。自分のことを奥手だとか慎重派だとか思ったことは一度もないが、それにしたって突飛な行動力だ。僕となまえの間に、正体不明の引力が働いているとしか思えない。彼女との別れに後悔はないし、会わずにいた数年間はこんなこと思いもしなかったのに、こうやって近づくと、引き寄せられているみたいに離れがたくなる。気が遠くなるほど長い軌道上で、再び近づき始める惑星みたいだ。

「ここ、ワイン飲めるの」
「そう、珍しいよね。パンケーキすごいうまいよ」

 ショコラティエの名前に相応しい、チョコレートを基調にしたデザートメニューの隣に並ぶワインの銘柄になまえは目を輝かせる。お互いにパンケーキをひとつずつと、夕食どきにそれだけでは物足りないから、パスタとサラダを頼んでシェアすることにした。本当なら、食事をいくつか頼んで、デザートをついでに決めるのものなのだろうけれど、この店はデザートが主役なのだし、自分たちにとってはパンケーキこそがメインディッシュだった。特に異論なくメニューを決めて、最後に彼女がスパークリングワインを頼んだところで、僕のサングラス越しに目を合わせてくる。

「五条くんお酒飲めないのに、こんな店よく知ってるね」

 その言葉には、言葉以上の意味など含まれていないことは、彼女の目を見れば明らかだった。だというのに、なぜか言外の意図を見透かそうとしてしまう。それは、自分の中にこそ言外の意図があることに他ならない。

「うん、まあ、メニュー見て気づいただけ」

 煮え切らないうえに面白みもない返事に、うっすら浮かべていた笑顔が崩れかける。「なまえが好きだろうと思ったからだよ」も「女の子が喜びそうでしょ」も、喉のすぐそこまで出かかっていたけれど、声にはならなかった。付き合っているときだってこうはならなかったのに、自分のままならなさに苛立ちが募る。
 何が自分をそうさせているのか、わからなかった。今思い出したって、あの別れを間違いだとは思わない。だからこそつい先日まで、なまえのことを忘れたように過ごしていた。未練がないかと問われれば頷くことはできないが、記憶の彼方にあるような未練など高が知れている。なのに、どうしてだ。

「……なまえはさあ」

 テーブルにふたつ並んでいる、水の入ったグラスを見つめたまま呟く。手慰みに片方のグラスを揺らすと、水面が波紋を描いて、消えていった。次から次へと、絶え間なく波を立てる自分の腹の中とは、似ても似つかない。
 自分の声が低く、静かに沈んでいることに気づいていた。でも、気づいているのは僕だけで、彼女はメニューに載っているワイングラスみたいな器に飾られた贅沢なパフェを見つめているのと同じ目で僕を見ている。

「今付き合ってるやついんの」
「今はいないよ」

 彼女の中に波を立ててやろうとしても、防波堤に阻まれてただ波が返ってくるだけの、お粗末な結果だ。「今は」ってなんだよ、「今は」って。けれど、そんな追い縋るようなことを言えるわけがないし、恋人がいると言われなかっただけ救われた。なまえはメニューをテーブルに伏せて、何でもない顔でおうむ返しをする。

「五条くんは?」
「……僕も、今はいないよ」

 対抗するみたいに、僕も同じ言葉を返した。そうなんだ、と相槌を打つ彼女の表情を読み解いてやろうと目を凝らすけれど、あいにくこの六眼にはそんな機能はない。それどころか、自分となまえの間を遮るように、パスタとサラダが配膳されてきて、彼女の視線はあっという間にそちらへ奪われてしまった。
 そのあとは、食事をしながらあれがおいしいとか他のメニューはこうだとか、差し障りのない話をするだけ。メインディッシュのパンケーキに満足そうな顔をしていたことは何よりだったけれど、ただ水面に指を触れさせるだけの、表面上の会話に気が逸っていく。付き合っていた頃は、明日の晩ご飯を何にするかだとか、週末の予定とか、一緒に過ごせなかったとしてもお互いの話を飽きることなく共有し合っていた。恋人ではなくなったからできない話題というわけでもないはずなのに、どうしてかそういった話をするのも躊躇してしまう。
 何をするにも理由が必要で、それは彼女に許しをもらうためというより、自分の中で正当性を見出すためだ。そんなあいまいな感情を無理やり別の何かに置き換えて、薄っぺらくてもいいから、話題を探す。薄っぺらくても、それを大事にしなければ、すぐに消えて、遠ざかってしまう気がした。

 店を出て、地下から地上へ戻ると、冬の夜風が頬を冷やす。春が近づいているとはいえ、夜は凍えるほどに寒く、前を歩いているなまえはコートの合わせをかき合わせて、早めに結んでいたマフラーに顔を埋めるように首を竦めている。彼女の着ているオーバーコートは見たことのないものだったけれど、そのペールブルーのマフラーには見覚えがあった。
 いつだったか、任務から戻り彼女のマンションへ向かう途中のことだ。今も同じマンションに住んでいるかは知らないが、当時の彼女のマンションは長い坂道を上りきったところにあって、僕もその坂道を歩いていた。てっきり部屋で待っていると思っていた彼女が、坂道のてっぺんにしゃがみこんで、僕を待っていたのだ。スーパーの袋をかたわらに置いて、口元までマフラーに埋めて、寒さに鼻先を赤くして、「会えるかと思って」と笑っていた。意味不明だ。どうせ彼女の部屋へ向かっているのだから、大人しく暖かい部屋で待っていれば、こんなことをしなくても会えるというのに。なまえは彼女に気づいて慌てて坂道を上ってくる僕をニヤつきながら見つめて、上りきったところで、そのペールブルーのマフラーを僕の首に巻いてくれた。「おかえり」と、そう言って笑って。
 今でも理由はいまいちわからないけれど、僕はそれがたまらなく嬉しかった。思い出した今でも、不意に泣きそうになるくらい。

「寒……鍋したいなあ」

 集合は地下鉄だったけれど、自宅へ帰るのには電車の方がお互い都合が良かったので、駅までの道のりを並んで歩く。その道中で、オーバーコートのポケットに両手を突っ込んだまま、なまえがしみじみと呟いた。肩下がりのデザインでただでさえ大きめな作りをしているのに、ポケットに手を入れているせいで余計に布が余って、ごわついている彼女の袖口から、肌は一切見えない。
 ついさっき、パスタとサラダと、パンケーキを二枚も平げ、満腹だと嘆いていた人間のセリフとは思えなくて、じっと横目に見つめた。街の明かりで星の見えない空を見上げる彼女と、視線は合わなかった。

「まだ食いもんの話すんの?」
「うるさいな」
「いいけどさ。僕カニ鍋食いたい」
「ブルジョワだなあ」
「ブルジョワて」
「五条くん、高級カニ料亭とか行ってそう」
「行かないよ。あんな肩凝るとこでメシ食って何がうまいわけ?」

 彼女の歩幅に合わせるせいで自分の歩くリズムが狂って、なんだかうまく歩けない。ゆらりと身体を揺らす拍子に、近づいたなまえのマフラーの隙間から、みずみずしい花の匂いがした。わずかに届く香水のかおりが、夜の街の静かな喧騒も、トーンの低いふたりの会話も、すべて飛び越えて胸の中をめちゃくちゃにする。
 ――そんな香水、前は使ってなかったじゃん。
 彼女の引力に逆らえなくて、逆らえないから仕方ないのだという顔をしているくせに、一丁前に傷ついている。引力だなんて言って、近づく理由を必要としているのは僕だけで、彼女はなにものにも揺るがされることなく、真っ直ぐに地面に立っているのだ。あのときみたいに、僕のために足を止めて「おかえり」と言ってほしいと思う自分を、今の彼女には知らないままでいてほしかった。

「……作ってよ、鍋」

 ひとりごとみたいに小さな声だったのに、閑寂な街並みのせいで彼女には聞こえてしまう。声を出してみたら、想像以上に不貞腐れた、まるで拗ねているみたいな声色になっていて、焦って言葉を続けた。

「オマエの、庶民ぽくて腹一杯になる鍋食いたい」

 言ってしまってから、急に心配になってくる。再会して顔を合わせたのはまだ二回目だというのに図々しいだろうかとか、付き合ってもいないのに手料理を強請るなんて距離感を間違えただろうかとか。本当に五条悟の思考回路から導き出された感情なのか疑わしいくらいの自信のなさに、自分でも驚いてしまう。けれど、仕方がないのだ。非術師であり、呪術そのものを知りもしない彼女には、自分が五条悟であることのアドバンテージなんて存在しない。彼女にとって僕は、何も持たないそこらにいる男と同じだ。だから僕自身も、自分の言葉ひとつに不安がって右往左往するような、ただの男に成り下がってしまう。
 ダウンジャケットのジッパーを一番上まで引き上げて、襟の中に口を隠した。けれど、それだけで自分の言ったことがなかったことにはならなくて、隣からこちらを見上げる彼女の視線に気付かないふりはできない。その眼差しへ視線を返すのも気後れして、襟の中で唇を噛む。

「いいよ」

 思わず力が入って、唇の痛みで我に返った。合わせられなかった視線を嘘みたいに勢いよく向けると、彼女の眼差しは変わらずこちらを捉えたままでいる。口元はマフラーに埋めていたけれど、背丈の違いのせいでそこが笑んでいるのがわかった。鼻先は寒さで赤くなって、見上げてくる瞳は細く和らいでいる。
 まるであのとき、「おかえり」と言って僕のことを待っていたときみたいに。

「いいよ。……約束ね」

 なまえの言葉に息が止まりそうになっている今だって、彼女と離れたことが間違いだったとは思わない。離れている間は記憶も薄れて、こんな痛みだって忘れてしまっていた。けれどだからこそ、こうして近くにいると余計に引き寄せられてしまうのだ。あのとき僕を満たしていた慈しみと、どんな異形にも脅かされなかった心臓に彼女だけがもたらす痛みが、今の僕を踏みつけにする。
 間違いではなかった。それは確かでも、後悔しそうになる。僕を見つめていた柔い眼差しも、揺らぐことなく向けられていた信頼も、全部、自分で台無しにしたのに。





 僕たちが別れることになったのは、数年前の冬。今よりも寒い年の瀬――クリスマスの直前だった。いつものように彼女のマンションに向かうために坂道を上って、息を吸うと冷たい空気が肺を満たす。日付が変わるまではまだ猶予があるけれど、人の部屋を訪れるには非常識な時間帯。住宅街だからだろうか。クリスマスイブの前日だというのに、周囲には静寂だけが流れている。足は迷いなく動いて、心臓の音は静かで、頭の中はおそろしくクリアだった。
 マンションでエレベーターを待っている間も、目の前のドアが開かれる瞬間も、雑念どころか一切の思考が切り離されたような、まっさらな脳内。ドアの隙間からなまえの姿が見えても、それは揺るがなかった。

「こんな時間にどうしたの」

 目を丸くしてこちらを見上げる彼女は、暖かそうなルームウエアに包まれ、乾かしたばかりらしい髪はまだ少しだけ湿って、彼女が普段使っているヘアオイルの匂いがする。すっかり化粧を落とした顔を見つめたまま、サングラスを外し、コートのポケットに突っ込んだ。「また夜にサングラスしてる」何も知らないなまえは、そう言っておかしそうに笑う。それに釣られて少し息をこぼした。

「……明日、行けなくなった」

 息と一緒にこぼした声は、思った以上に穏やかで、何なら優しげな様子さえある。約束を反故にする人間のとる態度ではないのだろうけれど、それを聞いていた彼女の反応は酷く静謐だ。

「そっか。しょうがないね」

 眉を下げながら、それでも傷ついた素振りは見せない。明日は、クリスマスイブなのに。
 僕と彼女の付き合いは、淡白で、ささやかで、およそ恋人同士のそれとは言えないものだった。もちろんその理由の大半は自分にある。恋人になろうと言い出したのは僕のほうだったのに、僕がなまえと一緒にいられる時間はごくわずかで、時間が確保できても突発的だったり夜中だったりして彼女に負担を強いてばかりだった。約束だって、守れたことのほうが少ない。それでも、彼女は僕のそばを離れていこうとはしなかった。
 寂しがったり、機嫌を悪くしたり、そういうことはそれなりにあったけれど、本心から僕を責め立てることはなく、「ごめん」と言えば笑ってくれる。付き合い始める最初のときに、「詳しくは言えないけど、普通の恋人同士みたいな過ごし方はできないと思う。でも、恋人になりたい」と言った僕の言葉を信じて、こうして離れずにいてくれたのだ。
 なまえは、僕が呪術師であることも、呪術師の「五条悟」が何者であるのかも、何も、知らない。

「明日さ、絶対新宿行かないで」
「新宿? もともと予定ないけど」
「予定できても。絶対、行くなよ。近づくな」

 約束を反故にされたと思えば、突然そんなことを言われて、わけがわからないという顔をしている。それをどうにかする術を僕は持たず、これから言おうとしていることがどんなに最低なことか、僕は知っていた。
 手を伸ばして、頬に触れる。指先で皮膚の感触を確かめるようにしてゆっくりとなぞった。身体にまとわりつく薄い膜を取り払って、肌と肌が触れ合う感覚は、彼女以外では得難いものだ。身体を重ねたのはもうずっと前のことだけれど、彼女の熱を忘れたことはない。

「……あと」

 彼女が、頬にある僕の手に触れようとした気配に気づいて、それを避けるように手を下ろした。この熱を、忘れたことはない。けれどもう、新しく塗り替えられることもないのだ。

「別れよう」

 新宿と京都で、数多の呪霊による百鬼夜行が決行される。新宿と京都の街は完全に人払いを済ませたうえで帳に覆われ、僕ら呪術師は呪霊の群れを待つのだ。東京には自分の連れてきたイレギュラーであり、相手の目的である生徒がいる。自分はそれを守り、呪霊を退けなければならない。何より、他の誰でもない自分だけが、砕かなければならない相手がいる。だから、彼女のような存在が自分のそばにいてはならないのだ。
 いつかは、離れなければならないときが来るのだろうとわかっていた。何も知らないなまえをずっと欺いたまま、恋人でいることなどできないとわかっていて、その「いつか」が来ただけだった。そんなことを考えながら一緒にいたと知ったら、彼女はどう思うだろうか。そう考えて、けれどもうそれが彼女に知られることはないのだから、考えても仕方のないことだと蓋をする。
 サングラスを隔てない視界で、なまえの姿を見つめた。呪力を持たない彼女の姿は、この目に視覚以上の何かを映すことはない。それでも、見開かれた瞳の虹彩が不安定に揺れる様子は、どんな異形よりも僕の心臓を痛めつけた。

「悟、」

 僕を呼ぶ声が震えている。その声を聞いても目を合わることをせず、言葉の続きを聞く前に彼女の部屋の玄関を出た。ドアが閉まる直前、もう一度だけ、なまえが僕を呼んだのが聞こえた。同じように、震えていた。
 僕は、そのことに――僕と彼女の別れがなまえを傷つけたという事実に、喜びを感じていたのだ。吐き気がした。自分の中にあった、恋という事象の形を歪ませてしまうほどに大切だったのだと、そのときようやく理解する。なまえが僕を追いかけてくることはなく、僕はそのまま穏やかに、彼女を失った。そして、その翌日には親友すらも失うことになる。でも、それを後悔することはない。どんなに力を持っていようと、起こってしまったことを捩じ曲げる力は自分にはなくて、いついかなるときもその中で強くあることが自分の意義だとわかっていた。
 彼女がそばにいる自分より、彼女を失った自分のほうが強いのだと、わかっていたのだ。





 約束を守るのは昔から苦手だった。なまえが予約してくれた人気店では、結局ひとりで食事をさせてしまったし、ふたりで観たいと話していた話題の映画は、公開期間中に映画館へ行けた試しはない。クリスマスなんて、約束を破るより最低なことをした。約束をすることに元来向いていないのに、守りたかったから、繰り返した。でもやっぱり、守れなかった。
 今日は、なまえと鍋をする約束をしていた。呪術高専外に借りているマンションの自宅に彼女を呼んで、彼女は仕事終わり、自分は任務を片付け次第合流しようと約束していたのだ。けれど、急遽別件で高専に戻らなければならない仕事ができて、結局約束は守れずじまいだ。「ごめん、今日帰れなくなった」とメッセージを入れると、彼女は「そっか、しょうがないね」とあのときと同じ返事をして、文字列を見ただけなのにズンと肩が重くなったのを感じた。あの頃からこんなに時間が経っているのに、変わらず同じことを繰り返している。星の巡りが悪いのか――いや、そういう星のもとに生まれてしまっているのだろう。自分には、目的のために尽力すること以上に大事なものはない。彼女だって、例外ではないのだ。
 タクシーから降りて、肺の中の空気をすべて吐き出すように息を吐く。春を待つばかりの夜は、その息を白く濁すことはないけれど、衣服から露出している部分はやはり寒くて、上着のポケットに両手を突っ込んだ。日付が越えるまでかかるだろうと思われた仕事は、思ったよりも早く片付いたけれど、なまえとの約束に間に合わないのであれば自分にとってはそれが何時でも同じことで、それでも未練がましく、高専の自室ではなくマンションの方へ帰ることにした。
 もうすぐ日付が変わろうとしている夜は黒く澄んで、住宅街の灯りも少なくちらほらと星が見える。マンション近くの路地を曲がり、出入り口付近へ視線をやったところで、目を見張った。

「あ、おかえり」

 僕とほぼ同時にこちらに気づいたらしいその人は、植え込みの段差に座り込んだまま視線を向ける。言葉もないまま、目隠しを外した。目隠しをつけていたって、はらりと落ちてくる髪の隙間からだって、自分の目が何かを捉え損ねることはないし、何よりその人を見間違うはずがない。それでも、そうやって確認せずにはいられなかった。

「……何してんの」
「待ってただけ」

 呆気にとられたままの僕の言葉に、なんでもないような物言いをして肩を竦める。スーパーの袋をかたわらに置いて、口元までマフラーに埋めて、寒さに鼻先を赤くして、なまえが笑っていた。意味不明だ。もともと約束していた時間より前に断りの連絡を入れて、今日は帰れないとまで言ったのに、きちんとスーパーで買い物をして、こんなところで待っているなんて理解できない。身体を縮こまらせて、鼻を赤くしている姿を見れば、どれくらいそうしていたのかわかる。
 たったひとつの答えを探して、頭の中をあれこれひっくり返した。あれでもない、これでもないと探しているうち、頭の中は子どものおもちゃ箱みたいに散らかって、そのたったひとつをどうしても見つけられない。ただ、たまらない気持ちになって、泣きそうになる。本当に、同じことの繰り返しだ。

「今日帰れなくなったって言ったじゃん」
「言ったけど。帰ってきたでしょ」
「帰ってこなかったらどうすんの」
「日付変わったら家帰るつもりだったから」
「……風邪ひくだろ」
「もう春だよ。ひかない」

 馬鹿か。もうすぐ春が来るとしたって、夜はまだ冬の匂いがしている。タクシーを降りてからここまでの短い道のりだって寒いと感じたのに、長い間こんなところにいて、凍えないわけがない。手を伸ばして、膝を抱える腕を掴んで引っ張り上げる。コートも、髪も、わずかに掠めた頬も冷たくて、腕の力を加減することができなかった。

「……ごめん」

 僕の上着と自分のマフラーに埋もれてしまっている彼女のことは、お構いなしに力を込める。衣服越しでも伝わってくる冷たさに、怒りみたいな感情がふつふつと沸き立って止まらなかったけれど、それを彼女にぶつけるのはお門違いだということはわかっていた。自分自身の不甲斐なさとか、それを伝えることを憚ってしまう臆病さとか、そういうものがすべて綯い交ぜになって、胸の中が、自分でも見たことのない色をしている。全部彼女に責任転嫁して、所構わず吐き出したくなるのを堪えるのに必死になった。

「……約束破るのがそんなに嫌?」

 黙ってされるがままになっていたなまえが、脈絡もなくそんなことを言い出すものだから、必死に堪えたものがまた溢れそうになって、おもわず息を止めて隠す。こっちはどうにかして今にも破裂しそうな叫びを我慢しているのに、そんな当たり前のことを聞いて、僕になまえを傷つけさせたいのだろうかと腹立たしくなる。
 予約してくれた店に行けなかったときも、観たい映画を一緒に観てやれなかったことも、クリスマスに彼女のそばを離れてしまったことも、今こうやって、身体を凍えさせて待たせてしまうことも。全部僕のせいで、全部僕が悪い。なのに、こうやって僕を待っていてくれたことが嬉しいと思う自分を、心底軽蔑する。約束を破って、彼女を傷つける、そんな僕のことを、彼女だけには許容してほしくない。

「約束破っていいと思ってるわけないだろ」
「わざとじゃないのも、忙しいのもわかってるから」

 胸元からぽつりと浮かび上がってくる言葉に、嘘はないように感じる。言葉のとおり、なまえは「わかっている」のだろう。彼女は、自分とは比べ物にならないくらい凡庸で、柔弱で、そのくせ僕のことについてだけは、凛然として、聡明だった。
 確かに、故意に約束を破ろうとしたことなど一度もないし、彼女との時間を捻出するのこともできないほど多忙であることは本当だ。けれど、その理由を何ひとつ知らされないまま、ただ待ち続ける様は、優しいとか聞き分けがいいとかいう言葉では言い尽くせない。

「クリスマスのときも、わたしのためだったんでしょ?」

 ――彼女は、僕のことについてだけは、凛然として、聡明だったのだ。

「……なまえ」

 意図しないまま、彼女の名前を呼ぶ。なんの意味もない、ただ口から溢れただけの言葉だった。おもわず腕の力が抜けて、彼女を腕の中から開放して、まじまじとその顔を見つめる。彼女はそんな様子の僕を気にもせず、記憶をたどるように空を見上げながら続けた。

「よく知らないけど、新宿行くなって言われて、翌日あれで、わからなくても、何となくわかるよ」

 呆然と、困ったように笑う彼女から視線が外せない。考えればわかることだ。
 あの日のクリスマスイブ、帳で覆われた新宿は、呪術師と呪霊による戦闘で甚大な被害を受けた。当然情報統制は行われたが、被害を受けた建造物がすぐに復旧するわけもなく、非術師の間で新宿の街の被害について様々な噂が飛び交ったのだ。広くニュースとしては取り上げられなくとも、有る事無い事を書きたがるマスコミはいるし、SNSを通じて情報は拡散される。あの日新宿で何かが起こることを知っていた僕のことを、それらと結びつけないはずがないのだ。
 彼女の表情に、戸惑いや怯えは見えない。テロだとかオカルトだとか、様々な憶測が飛び交うも、あいまいなまま忘れ去られようとしている事象と関わりのある人間を、どうしてそんな顔で見つめていられるのだろう。

「……怖くないの」
「五条くんが? 全然。だってわたしの鍋食べたがる人だよ」

 こちらは意を決して聞いたのに、なまえはついに息を吐くようにして笑い声をあげる。奇妙な温度差に、ついていけない。なのに、圧倒的な何かが込み上げてきて、立っていられなくなりそうだった。
 誰かが死んだわけでもないのに、喉の奥が狭くなって呼吸がうまくできない。大事な人間が理不尽を強いられているわけでもないのに、腹の底が呻いて苦しい。胸に穴が空いたわけでもないのに、その場所を切りつけられたみたいに、心臓が痛かった。

「……五条くんて、ずっとわたしのために付き合ってくれてたよね」

 柔らかく、細く下がった瞳に、自分の姿が映っている。自分のそれのように、鮮やかな色彩をしているわけでもない、夜の闇に塗りつぶされそうな虹彩なのに、その先には星が瞬いているみたいに見えるのだ。彼女が自分をみる瞳がそんなふうに瞬いているだなんて、到底信じられない。
 だって、彼女とずっと一緒にいることはどうせ無理だとわかっていた。いつかは離れるときが来て、あのときも、その「いつか」が来ただけだったのだ。

「でもね」

 整理のつかない、散らかりきった頭の中が混濁していく。遠ざかって、もう交わることはないはずの彼女だったのに、手の届くところにいるんじゃないかって、錯覚してしまう。
 視線が重なって、瞬いて、心地よい引力に引き寄せられる。

「わたし、ずっと五条くんに、自分のためにわたしと一緒にいてほしかったよ」

 ――いつかは、離れなければならないときが来るのだろうとわかっていた。何も知らないなまえをずっと欺いたまま、恋人でいることなどできないとわかっていて、その「いつか」が来ただけだった。そんなことを考えながら一緒にいたと知ったら、彼女はどう思うだろうか。そう考えて、けれどもうそれが彼女に知られることはないのだから、考えても仕方のないことだと蓋をする。
 そう思っていたのだ。「いつか」が来ることを知っていてもなお、彼女を繋ぎ止めて、僕はそれだけで充分だったはずだった。恋人になって、彼女のそばにいる。それから先のことなんて、求めるべきじゃない。約束も満足に果たせない僕が、本当に望んでいることなんて、伝えないことが当たり前だと思っていた。
 これまで充分に許されてきたのに、まだ手を伸ばしたくなって、引き寄せられて、沈んで、動けなくなる。

「……オマエに、」

 声は小さくて、けれどくっきりとして、そばにいるなまえには光の速さで届いただろう。彼女と離れてひとりで漂っていたときは知るよしもないことが、彼女の引力にひかれて、再び回りはじめる。

「オマエに、悟って呼んでもらえないのが、すごくいやだ」

 なまえに再会して、「五条くん」と自分のことを呼ばれたとき、それは自分ではない別の誰かのことみたいに聞こえた。ゆるやかな波形の、わずかに弾むような声で「五条くん」と呼ばれるたび、嬉しかったのに、拭い去れない隙間風が吹き込むような感覚。その声で、確かに「悟」と呼んでくれていたはずなのに、自分の耳に残っているのは、彼女を傷つけたあのときの、今にも崩れそうに震えた声だけだ。
 それが頭の中でリフレインするたびに、思う。どうして自分はあのとき、彼女に背中を向けてしまったんだろう。どうして手を握ってやれなかったんだろう。どうして、その声に返事をしてやれなかったんだろう。
 したくもない後悔をしてしまいそうになる。だから、再会した彼女がせっかく自分を呼んでくれても、その名前が「五条くん」であることが、たまらなく嫌だった。
 俯いて呟いた僕の手に、なまえがゆるやかに触れる。先程まで抱きしめていたのに、今ようやく、軌道が重なったのだとわかった。視線を持ち上げてその眼差しをとらえると、星が宿っているような目が和らいで、寒さで白んだ唇が震える。名前を呼ばれる、と予感した。

「悟は、欲がないなあ」

 どっちが。そう言いたくて、でも今話すとうっかり別のものまで溢れてしまいそうだったから、代わりに触れているだけの彼女の手を握った。氷のように冷たい指が、自分の手が熱を発していることを知らせてくる。僕の体温がなまえをあたためるのだと思うと、ほんの少し、本当にわずかだけれど、何かを返せたような気がした。

「カニ鍋じゃないけど、いいよね」

 ムードもへったくれもない様子で、なまえは地面に置きっぱなしになっていたスーパーのビニール袋を持ち上げる。何の未練もなく握った手を離されたことが惜しくて、ビニール袋を無言で奪った。パンパンに膨らんで、長ネギが飛び出している袋の中にはキムチ鍋のスープが押し込まれているのが見える。ムードも情緒もないが聡明な彼女は、冬にはキムチ鍋がぴったり適していることをわかっているらしい。僕は、そんな彼女にまたしても引き寄せられていくのだ。
 遠く離れた軌道を巡って、引力に逆らわない。手のひらが凍える日常が生まれ変わっていく感覚。彼女に連れられ、僕たちの春が来る。

ロンリープラネットの頃

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