ほんま、うまくいかへん。
 関節が錆び付いてしまったみたいにぎこちなく動く手足が邪魔くさい。毎週顔を合わせていたのが、今はそうではなくなってしまったからか、余計な緊張が身体を固くする。
 しばらく店を訪れなかったなまえちゃんが、久しぶりに店にやってきたのだ。扉からその姿が見えたときは、一瞬身体の機能が全て止まってしまったみたいに動けなくなった。やっとのことで動き出せても、どことなくぎこちないままだ。せっかく彼女が久しぶりに顔を出してくれたのに、うまく笑顔が作れない。顔を見られて嬉しいし、もう店には来てくれないんじゃないかと思っていたから、心底ほっとしている。なのに、彼女に色あせた表情を見せられると、口の中が乾いて、言葉を見つけられなくなるのだ。
 自業自得やのに。ほんま、うまくいかへんなあ。

「テイクアウトでお願いします」

 記憶の中にある彼女の声よりも、少し硬質で、温度のないそれに、鳩尾がザワザワと震えた。
 数週間前の「あの日」のあと、初めて店にきたなまえちゃんは、おにぎりを二つテイクアウトして行った。彼女がうちの店に通うようになって、テイクアウトをしたことはほとんどない。いつもおにぎりを二つと味噌汁をセットにして、俺からよく見える位置のカウンター席で、「おいしい」と笑ってそこにいた。けれど、彼女のいつもの席はここ一ヶ月ほど彼女に使われることはなく、でも変わらず俺からよく見える位置にある。よく見える位置にあるから、俺はその席を見るたびに彼女のことを思い出した。もうずっと、なまえちゃんの「おいしい」と笑う顔を見ていないからだ。だから、こんなにも記憶を遡ってしまう。
 その日と全く同じように、彼女はテイクアウトでいくらとピリ辛きゅうりを注文した。「ちょっと待っといてな」と応えてから、笑おうとして、失敗する。いつものように振る舞えない自分は、彼女からどう見えているのだろうか。少し怖くなる。いつも通りに白米を握って、いつも通りの塩加減で、いつも通りに海苔を巻いた。それなのに、彼女の視線がこちらを向いているのだろうかと思うと、身体中からぎしぎしと歪んだ音がするように錯覚をしてしまう。あんなふうに彼女を傷つけて、それでもなまえちゃんが俺を見ているだなんて、それこそもう、錯覚に違いないのに。
 無言で作業をしているうち、店内に残っていた彼女以外の最後の客が「ごちそうさん」と言って店を出た。その声に応えて視線をやると、はたと、店の入り口付近にいるなまえちゃんと視線がかち合う。彼女は、俺の視線を受け止めて一瞬目を丸くしたあと、そっと目を細めた。

「……そういえばこの前、いくらのおにぎりオマケしてくれたよね、ありがとう」

 それを聞いて、心臓が少しだけちくりと痛む。前回彼女がテイクアウトをして行ったとき、注文されたものの他に、おにぎりを一つビニールの中にこっそりと忍ばせた。忍ばせたのは彼女が一番好きないくらのおにぎりで、建前上それは常連客へのサービスだったけれど、本心は違う。あれはただの下心だ。なまえちゃんがおにぎりに気付いて、しかもそれが自分の一番好きなものだったら、喜んで、おいしいと笑って、「ありがとう」とまた店にやってきてくれるんじゃないか。彼女が、そういった他人の気遣いに見て見ない振りができる人間ではないとわかっていて、そのうえで行ったつまらない画策だ。
 今まさに、その画策どおりになっているというのに、どうしてか俺は悲しくてたまらなかった。「ありがとう」と笑う顔は、あの日――俺が彼女の告白を断ったときから見せてくれなくなった表情で、俺は無意識に奥歯を噛み締める。その顔をいつも思い出していたのに、こうして目の前でそれを見せられると、記憶の中のそれを思い出すときとは、まるで違う感情が押し寄せてくる。言葉が、思わず口を突いて出た。

「……最近、何であんまし来おへんの?」

 驚くくらい、小さな声だ。自分にこんな小さな声が出せたのかと他人事のように思う。なまえちゃんの目が、再び丸くなっていくのが見えた。

「来ても持ち帰りやし、ゆっくりして行かへんやん」

 なんで? と続けたあと、空気を飲み込む。そうしないと、息が震えてしまいそうだったから。
 言ってから後悔する。何故かなんて、わかりきっていた。自分が一番よくわかっているうえ、自分が一番言ってはいけない言葉だ。そんなの、俺が彼女を突き放したからに決まってる。それ以外の理由がない。そんなことはわかっていたけれど、言わずにはいられなかったのだ。俺自身が彼女を突き放して、それでも、なまえちゃんはこの店にいてくれるんじゃないかなんて、おかしな期待をしていた。そしてそれを、俺は今でも手放せないでいる。
 目を丸くした彼女は、ゆっくりと眉を下げて笑った。それは先程とは違う、色あせた笑顔だ。

「あんまり長居しても迷惑でしょ? それに、ちゃんと自炊しなきゃ。治くんのご飯に甘えすぎちゃってもだめだから」

 彼女の平坦な声と対照的に、自分の喉の奥はヒリヒリと痛んで、痺れる。本当は、「迷惑なわけないやろ」と言ってやりたかった。彼女がいることが、迷惑になるはずがない。俺の作るものを大事にしてくれることも、嬉してたまらなかった。でも、こんなふうに困ったように笑う彼女に、言えるわけがないのだ。
 ――「お客さん」に、「ここにおってほしい」も、「ずっと甘えてほしい」も、言えるわけないやろ。



 彼女が店を出たあと、一人になった厨房で大きく項垂れた。なまえちゃんの姿と言葉を何度も思い出す。そしてそれと同じだけ、自分の失態を思い出して打ちひしがれた。ふられた相手本人から、「どうして会いに来ないのか」と尋ねられたとして、自分だったらどう応えるだろうか。考えてみて、答えはすぐに出る。「ふざけるな」と一蹴する他ない。
 誰だってそう思うはずなのに、彼女は一蹴するどころか、笑っていたのだ。その笑顔に色はなかったけれど、それでも笑って、俺を傷つけないための言葉を選んだ。あの日も、今日も、自分はいつも彼女を傷つける選択しかできないというのに。
 シンクに腕を突っ張って、肺の空気を残らず吐き出すように細く長く息を吐く。そのまま、力なくしゃがみこんだ。使い古されたスニーカーの爪先をじっと睨みつけた状態で数秒間脱力して、シンクに置いたままの手に力を込めて立ち上がる。今日はもう店を閉めよう。人に飯を作ってやれる気分にはなれない。
 思うが早いか、被っていた帽子を取って、へたれた髪を適当にかき混ぜながら店先へ出た。「営業中」の札を裏返してから少し伸びをすると、夜風が薄らかいていた汗を冷やして、少し寒い。どうせなら、ポンコツな自分の頭も冷やしてくれたらいいのにと思う。

「びびりの治くんやないの」

 そう思ったのも束の間、不意に背後から聞こえた声は、自分の頭を冷やしてくれるものとは対極にある存在だった。

「……あ?」

 自分の声が、意識せずとも低く陰るのがわかる。今更顔を見なくたって、声と物言いで、どんな顔でそれを言っているのかまでわかってしまう。別にわかりたくもなかったが、お互いが近くにいないことの方が少なかった存在なのだから、望まなくともそうなってしまうのは仕方がないことなのだ。
 振り返ると、想像したとおりのこちらを苛つかせる訳知り顔をした侑が、ポケットに手を突っ込んだまま目の前で立ち止まる。「来るなら連絡せえ言うたやろ」と溜息を吐くと、「ごめんて」と思ってもいない軽い謝罪が飛んできた。こんな奴でも一応は有名人なので、店に来る際は他に客が入らないよう気を遣ってやっているというのに、この片割れはいつもこうやって無断で店を訪れる。その度に、この男に気遣いなど無用だと思い直すのだ。
 侑の相手をするエネルギーなど残っていないつもりだったけれど、自分とほとんど同じつくりをした顔がご機嫌そうに緩んでいるのを見ていると、暗然とした気分が一転して怒りに似たものに変わっていくのがわかる。じっと睨みつけるも、侑は弓なりに歪んだ口角を崩さない。胃の中をかき混ぜられるような不快感に、眉間に力を込めた。

「意味なく喧嘩売ってくんなや」
「お〜怖」

 吐き捨ててもへらへらと受け流されて、余計に腹立たしさが募る。意図はまだわからないが、「びびり」という言葉に、胃の中が拒否反応を起こしているみたいにざわついた。わざと聞こえるように舌打ちをして店の中へ戻ると、侑は
勝手知ったる様子で後ろをついてくる。厨房へ戻る自分を尻目に、いつも座っているカウンター席へ腰を下ろして、憎たらしい表情を隠そうともしない。もの言いたげな顔をしているくせに、「なんか適当に食わしてや」などと言って寛ぐ姿に苛立ちが膨らんでいく。

「急に来といて何なんその顔。言いたいことあるなら言えや」
「ふーん。ほんなら早速」

 自分の苛立ちを隠すこともしないまま促すと、思ったよりずっと素直に頷く侑に悪い予感がした。何か話すべきことがあると、わざと気付かせるような態度をとって、それが何か知りたがるこちらの様子を面白がるのが、いつもの侑だ。その侑がすんなり本題に入ろうというのだから、その本題が自分にとって良い話でないことは明白だ。
 だが、死んでも良い反応をしてたまるかと固く心に決めて次の言葉を待つ俺を、侑の言葉はあっけなく突き崩した。

「好きな子に告られてんのにふるて、治くんはへなちょこびびりやな思て」

 無意識にしかめ面をしていた自分の顔から、力が抜けていく。今の自分は、自分でもわかるくらい虫の居所が悪い。誰かの些細な言葉一つで、抑えきれずに叫び出してしまいそうなくらいに。それなのに、今は力が入らない。しょうもないことを言うなと文句を言おうと準備していた唇が、一度、二度と、言葉を吐き出さないまま開いては閉じた。喉に力を込めて、絞り出す。

「……なんや、それ」
「この前なまえちゃんに会うてん」

 せっかく絞り出したのに、あっけらかんとして言う侑に、すぐにまた言葉を失った。まだ何も聞いていないのに、侑はなまえちゃんと偶然出くわしたという日のことをつらつらと語り出す。打ち合わせの帰りに偶然姿を見かけたこと、元気がなさそうだったから一緒に食事をしたこと、元気がない理由を、彼女が俺をふってしまい気まずいからではないかと勘違いしたこと。侑は、勿体ぶったわりにこちらの反応には見向きもせず、「そんときの打ち合わせの広告、テレビ映るらしいねん。すごない? テレビやで?」と鼻高々だ。おまえの広告なんかどうでもええねん。
 頭がぐらぐらした。ジェットコースターに乗って前後不覚になったような、脳みそが沸騰して煮えているような、どちらとも取れない感覚だった。彼女が侑と二人で食事に行ったことと、彼女がこの店ではないどこかで空腹を満たしていたこと。どちらとも、特別おかしなことでも、自分が口を出せることでもないのに、頭を鷲掴みにされて中身を散々に揺さぶられたような気分になる。いつも、「おいしい」と言って笑う顔が、自分の前でだけ見せる顔ではないことなんて、そんなの当たり前だ、わかっている。

「なまえちゃんむっちゃへこんどった」

 侑の声がして、ハッと我に返る。侑はじっとこちらを見つめていて、それまでのにやついた訳知り顔は消えていた。まるで中身のない世間話をするときのように、表情を動かさない片割れの顔が、自分の顔のように見える。自分と、双子の片割れの顔が瓜二つで、それでいて自分と片割れは同じ人間ではないことなんて、わざわざ意識せずとも、生まれたときからわかっていることだ。それなのに、まるで自問自答をしているみたいだ、なんて、くだらないことを思う。

「なまえちゃんのこと好きやないん?」
「……好きやないよ。そもそも客やし」
「客やったらあかんの?」
「あかんやろ。店主が自分の店の客に手ぇ出すとか気色悪いわ」
「告ったのなまえちゃんやろ」
「そんでもあかん」

 あれは、これは、と食い下がる侑に、あれはあかん、これもあかんと否定する自分。首を横に振るたびに、鳩尾に重たいものが蓄積していく。自分の言葉を頭の中で反復して、自分自身で頷いて応えた。だが、目の前にある納得いかないという様子の、自分と同じつくりをした顔に、頭の中を揺らがされそうになる。間違っていないはずなのに、侑の言葉が響いて、離れなかった。
 思わず大きく息を吐き出す。それは溜息でありながら深呼吸でもあって、身体の中にある重苦しい感覚をなんとか外に吐き出したくて必死だった。目の前のカウンター席に座る侑を睨みつけるが、侑は怯まない。

「ツムかて、自分のファンに手ぇ……出すか、おまえは」
「アホか! ファンには出さんよ。炎上とか大変やねんで」
「やったらそれとおんなしや」

 わざと挑発するようなことを言うと、案の定侑はそれに噛みつく。自分がプロのスポーツ選手だという自負を強く持つ侑は、バレーボール以外の、「プロ」としての振る舞いについても意外と弁えているらしい。自分は片割れのプライベートがどうであろうと興味はないが、ブラックジャッカルの所属選手である宮侑名義のSNSは、割とこまめに更新されていて、チームメンバーや同業者との交流も盛んだと聞いた。学生時代からSNS周りのことに精通していた角名が、「女の影がある写真あげたりとか、絶対やらかすと思ってたから意外」とつまらなそうにしていたことを思い出す。
 衆人の注目を浴びる立場にいる侑とは話が違うだろうけれど、たぶん考え方は同じだ。「炎上」だなんて調子に乗ったことを言う侑を嗜めると、侑は「ハア?」と片方の眉を吊り上げる。

「なにが同じや。全然ちゃうやん」
「どこがちゃうねん」

 対抗して眉間にぎゅっと力を込めると、侑は至極当然、といった顔で言ってのけた。

「おまえとなまえちゃんは、店主と客かもしらんけど、もう人同士の付き合いになっとるやろ」

 テーブルの上で腕を組んで、首を傾げるようにしてこちらを見上げてくる。俺はその視線を受け止めたまま、片割れの発する言葉に耳が釘付けになった。

「会って話して、中身までわかってんねやったら、好きになってもおかしないやん」

 そう言われて、俺はついに、返す言葉をなくしてしまう。言葉が見つからない代わりに、頭の中に残っている記憶が目まぐるしく交錯して、その間中俺は息をすることもできずにいた。
 毎週金曜日の夜にやってきて、いつも同じカウンター席に彼女が座っている光景が、自分の記憶に溶け込んでしまったのはいつのことなのか、もう覚えていない。ただ、おにぎりにかぶりつくとき、口を大きく開けるところが気に入っていた。味わうのを待ちきれないこどもみたいで、それだけでここを好きでいてくれることが伝わってきて、その様子を見るたび口元がむずついて隠すのに必死だった。
 必ず「いただきます」と「ごちそうさま」を言って、それから「おいしい」と笑うところを可愛いと思った。いつも代わり映えのない感想なのに、秘密の言葉を唱えるように呟く声を聞くと、胃の中で何かが羽ばたいているのかと思うくらいくすぐったくてたまらなくなった。
 今も、思い出すとパタパタと羽が当たって、思わずTシャツの腹部をぎゅっと握りしめる。何も言わない俺をしばらく眺めていた侑が、静かに息を吸い込む音が店の中に響いた。

「……変なことなん?」
「……変やないよ」

 あの日――俺が彼女を突き放したあのとき、彼女は強張った表情のまま口角を上げて、「変なこと言ってごめんね」と言ったのだ。そのときと同じ返事を、呟くように形作る。彼女を傷つけて、突き放してしまった自覚があって、それでも本当にそう思ったのだ。変じゃない。彼女と知り合って言葉を交わして、形を変えていった感情が「変なこと」だなんて、他の何を間違えたとしても思ったりしない。だってそれは、自分の中に色濃く形を残して、何度振りほどいても離れていってはくれない感情と同じものだから。
 Tシャツを握る手に一層力を込める。繊維が悲鳴を上げる音がして、そっと手を解くとしわが寄って戻らなかった。身体の中に溜まっていた重たい何かは、もう息を潜めていて、細く息を吐くと肩から力が抜けていく。視線を上げてその先の侑を見ると、脱力した俺を見て何を思ったのか、再びあのにやついた訳知り顔に表情を変えた。何もかもを理解されているようで、照れ臭いのと腹立たしいのとが混ざり合って複雑な気分になる。しばらく睨み合ってもその顔をやめないどころか、一層笑みを深めるものだから、本日二度目の悪い予感が脳裏をよぎった。

「ま、おまえがいらんのやったら侑くんがもろたってもええけどな」

 背もたれにだらんともたれかかって、顎を上げたまま見下ろすような目をした侑はそう嘯いた。少しだけ、ほんの少しだけ片割れに感謝しかけていたものが瞬時にひっくり返る。ほんまいらんことしか言わんなこいつ。

「……は、」
「なまえちゃん別に俺のファンやないし、そやったらええんやろ?」

 瞠目する俺を見て弧を描く唇が、言葉を続けようと息を吸う。白々しくこちらにお伺いを立てるように首を傾けて、どうして椅子に座っていて目線は俺より下にあるのに、こんなふうに人を見下ろすような態度を示せるのだろう。いっそ感心すら覚える。
 侑が、故意に自分を煽ろうとしていることはわかっていた。こちらをけしかけて、無理やりにでも俺の感情を引っ張り出そうとしているのだ。分かりやすすぎる釣りに引っかかるつもりはないし、そんなものに俺が付き合ってやる義理はない。本気でそう思っているのに。

「あの子健気やし、落ち込んどる顔もまあまあ可愛かったで?」

 その言葉に、目の前でパッと火花が散った。カウンターを超えて腕を伸ばし、晒している襟ぐりを掴んで引き寄せる。そのあと吐き出した息は熱くて、少し湿っていた。

「……くだらん話するんやったら帰れや」

 侑に乗せられているだけだと頭ではわかっている。けれど、身体と、心が言うことを聞かない。――やって、おかしいやんか。冷静なはずの頭の中で言い訳をする。侑よりずっと前から彼女と知り合っていたのは自分の方なのに、名前を呼ばれるのも、店の外で会うのも、二人で食事をすることも、どうして先を越されなければならないのだ。なまえちゃんが告白したのも、なまえちゃんのことを好きなのだって、俺の方なのに。

「何でおまえにやらなあかんねん。俺のや」

 はっきりとした声で、自分の声がそう告げた。睨みつけて凄んだはずが、侑はそれを聞いて笑うのだ。先程までの勘に触る笑みではなく、まるで試合中に、こちらの手に吸い込まれてくるようなボールをその手であげてみせたときみたいに。いつだったか、「俺の得点は俺のモノ、スパイカーの得点も俺のモノやねん」と言っていたっけ。
 侑の胸ぐらを掴み上げたその瞬間、なぜか俺の頭には、学生の頃に目の前の片割れと同じことをしたときの記憶が蘇っていた。そのときとは状況も理由も、同じものはひとつもなかったけれど、もしかしたら自分たちはいつまでだってこうやってお互いの胸ぐらを掴み合って生きていくのかもしれない。頭に血が上っていたはずなのに、思考の底ではそんなことを考える。
 毒気を抜かれて、胸ぐらを掴み上げていた手を離した。侑の着ていた服は多少くたびれてしまったが、掴まれていた部分をぱたぱたと叩く侑は、楽しくて仕方がないという顔をしていて何だか少し悔しくなる。

「フッフ。ほんましゃあないの〜」
「うるさい帰れもう来んな」

 口ではそう言いながら、渋々とした動作で振り返り、炊飯器の蓋を開けた。立ち上る湯気に隠れて、唇が緩んでいくことに気付く。
 ――どうしてか、今すぐに誰かの空腹を満たしてやりたい気分だった。

スクランブルド・ミー

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