01
わたしがリーグ本部で働くようになって、もう一年になるだろうか。
こんな名誉ある場所にいる理由というのは、何もわたしが凄いトレーナーだとか、仕事が出来るとかそんなんじゃない。
嘘みたいな話だけど、わたしは俗に言う″記憶喪失″というやつらしく、日常生活に支障ない知識と、自分の名前意外は本当に何も覚えていなかった。
そんなわたしを此処へと連れてきてくれたのが、四天王の一人であるカンナさんである。右も左も分からなかったわたしを、チャンピオンであるワタルさんの好意もあってリーグに置いて貰っているという現状だ。
しかしそれは、本日を持って終了となる。
『トキワジム』
目の前の看板に表記されたその文字を穴が開くほど見つめてから、わたしは大きな溜め息をついた。
理由というのは、数時間前に遡る。
「ワタルさん、これは…」
わたしは手元の書類をおずおずと差し出す。
「どうした?」
作業する手を止めないままに、分厚く重ねられた書類を片手でトントンと整えながらこちらを見やるワタルさんの表情は、いつもとなんら変わりない。
「何か問題でも起こしたのか? 」
「そ、そうじゃなくて…」
「ははは、冗談だ」
ふざけるワタルさんを横目に、もう一度書類へと目を通す。その内容というのが、本部からの異動。配属先はトキワジムとなっている。
いくら見つめても変わることのない文章に、溜め息と共に力無く腕を降ろす。 書類がカサリと空を切った。
「わたし…、バトルなんて出来ないです」
「それはジムトレーナーの仕事だ。ジムの仕事なんてものはむしろ、バトル以外の方が沢山ある」
「本部に…いては駄目なんでしょうか」
顎に手を当てて何やら考えるワタルさんに、わたしは何も出来ずに突っ立ったまま。
正直、行きたくないというのが本音だ。
実のところこの一年、わたしは本部からほとんど出た事がない。記憶のないわたしにとっては本部から一歩出れば外は知らない世界にも等しい。だから不安なのは勿論だし、今更他のジムに行くなんて息が詰まってしまう。
「カンナとも話したんだが、ななしもそろそろ外との交流を持った方が良いと思ってな」
「確かにずっとお世話になりっぱなしなのはわたしも…」
「そうじゃない。トキワジムで人手が足りてないのは事実だし、今までの仕事を評価しているからこそななしに行って貰うことにしたんだ」
「う…」
そんなことを言われたら断れるわけもない。ワタルさんやカンナさんには返しきれない恩があるんだ。こんな時こそ役に立たなくては。
「なにもずっとという訳でもない。無理ならば戻ってきてかまわんさ」
「い、いいえ!頼まれたからにはきちんとやります!やらせて下さい!」
「それは頼もしいな」
― やられた…
この時のワタルさんの笑顔を、わたしは忘れないだろう。
部屋に戻り、気の進まないまま荷造りをはじめる。
そんなわたしの様子を、椅子の背もたれに乗っかり見つめているのはパートナーのゴルバットだ。
カンナさんの話によれば、わたしの手持ちはこの子だけだったらしい。
記憶のないわたしには、どういった経緯でこの子をゲットしたのかは覚えていない。しかし今では一番のパートナーである。
「わたし、ちゃんとやっていけるかな…」
不安だらけの瞳を向ければ、羽をバサバサとさせた。大丈夫と言ってくれているのだろうか。
荷物を詰め込んだトランクをパタンと閉める。
「ありがとうゴルバット。…ワタルさん達の役に立ちたいのは本当だから。頑張らなくちゃね」
と、そんなこんなで無事にやって来られたトキワシティ。リーグからも近いという、ワタルさん達の配慮もあっての事だから感謝しなくては。最後までお世話になりっぱなしだ。
「…よしっ」
両頬を叩いて気合いを入れる。
トキワジムの入口から踏み出した一歩は、なんとも重いものだった。
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