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「・・・はあ」
まだ二日だけど、少し馴れてきたファイアくんとのマンツーマン。彼もスパルタだったのは…思った通りだった。あの二人と違うのは向かいに座りわたしと同じようにノートを広げて自分も勉強している事。
内容のレベルはかなり違うけど…。
「・・・はあ」
「・・・ねえ」
「・・・・え?なにか言った?」
「・・・・」
勉強中、ファイアくんから話しかけてくることは滅多に無いため、考え込んでいたわたしはかなり間が開いてから彼に返事をした。ノートから顔を上げてファイアくんを見れば、なんかちょっと…お、怒ってる?
「気にしないようにしてたけど、いい加減目の前でそんな溜め息つかれると気分悪いんだけど…」
「え!?わたし溜め息なんて、」
「してた」
「・・・う」
今、研究所に来るのはファイアくんだけ。やはり二人とも個々にやらなければいけない事があったに違いない。
何か手伝える事がないかと考えたけれど邪魔になっても本末転倒なので、わたしは自分に出来ることをしようとこうして勉強に励んでいるのだ。でも正直、ちっとも集中できていない。
自分から言い出した事なのに、実際のところ胸にぽっかり穴が開いてしまったような感覚。
旅立ちはもう明日。
二人はまだこの町にいるのに。
「ごめん、本当に無意識だったみたいで…」
「・・・まあ、仕方ないでしょ」
そうしてまた、それぞれのノートにペンを走らせた。
時計の針はゆっくりと、でも確実に時を進めていく。
「ああ言ったけど、これから先もあんなんじゃ困るから」
「き、気をつけます…」
早いもので、もう夕刻。空はいつかのように綺麗な橙色。
部屋を一通り片付けた私達は、ファイアくんを見送るため研究所の前にいた。
「ファイアくんは、二人を手伝ったりしなくて良かったの?」
きっと、わたしなんかよりずっと話しておきたいことがあるに違いないのに。そっぽを向いていたファイアくんが視線だけをこちらにやると、ますます険しい顔をする。あれ、わたしまた何か余計なこと言った?
「ななしが会ってないのに、僕だけ会うのおかしいだろ。それに二人と話なんて、明日出発の時だけで十分だよ」
「・・・そっ、か」
ぶっきらぼうに言われたけれど、わたしには優しく届いた言葉。
また、ありがとうと言う前にファイアくんが歩き出してしまったので、タイミングを逃してしまう。
「じゃ、また明日」
「・・・!」
あの日の帰り道、レッドくんとの会話が頭をよぎる。
ちゃんと、届くように。
大きな声で。
「うん、また明日ね!」
わたしはまたどのくらい守れるか分からない約束を口にしながら、後ろ姿が見えなくなるまで手を振った。
客間へ戻って来たわたしは、夕日の光に包まれた部屋でしばらく立ったまま外の景色をぼーっと眺めていた。
「あ、そうだ部屋に本持って行かなきゃ…」
遠くから聞こえたポケモン達の鳴き声に、はっと意識が戻る。最近は夜に自室でも勉強しているため、博士に許可を貰いここの本を借りて使っている。
そういうと聞こえは良いが、復習としてやらなければすぐ新しい知識に上塗りされてしまうから。
今日必要なのは一番上の棚の本。
台が無ければわたしには届かない場所。
部屋の隅にちょこんと置かれた踏みを本棚の前まで移動する。
腕を伸ばして本へ触れた。
背伸びをしてようやく届く。
(でももう、届かない場所に行ってしまう…)
「あっ」
考え事をしていたものだから、注意力が無くなっていた。
本を引っ張り出した途端、わたしの身体はバランスを崩し台から足を踏み外した。
あとは床に、本と一緒に落ちるだけ。
でも、衝撃はあるけど痛みはほぼ無かった。
不思議に思えば直ぐ下からくぐもった声。
「ってえ…」
「グ、グリーンくん!?」
わたしと一緒に床に倒れ込んでいたのは、なんとグリーンくん。
何がなんだか分からずとにかく謝ろうと思い慌ててどこうとすれば、素早く手首を捕まれ目の前で怒鳴られてしまった。
「こんのっ、バカ!!!」
「ご、ごめん!ごめんね!重かったよね!ケガとかしてない!?」
「はぁ・・・」
謝ったけど、グリーンくんは片手で顔を覆いうなだれでしまった。
向かい合い、床にペタリと座り込んだままの私達。
わたしを受け止めるかたちで倒れたため、グリーンくんの投げ出された足の間に座っているというなんともいえない状況。
わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですぐにでもそこを動きたいのだが、まだ手首を捕まれているためそうもいかない。仕方ないのでそのままで会話をする。
「あ、の、グリーンくんはどうして研究所に?」
「準備もひと段落したし、間に合うかと思ったけど…無理だったな」
旅立ちの日ぎりぎりまでって約束、守ろうとしてくれたんだ。
「トレーナーカードの発行に予想以上に時間かかっちまってさ。…悪りぃ」
カード発行とかはよく分からないけど、やっぱり準備にはそれなりの時間がかかったらしい。それでも、早く終わらせてここに来てくれたのが嬉しくて、でも旅の前日までお世話になりっぱなしの自分も情けなくて。
グリーンくんが謝ることなんて一つもないじゃないか。
「…ううん、いい、いいよ」
「なんだよななし、また泣いてんの?」
…また?とは、どういうことか。
記憶が正しければ、恥ずかしながらグリーンくんの前で泣いてしまったのは出会った日の研究所で一度きりのはず。
茶化すように言われ、わたしの消沈しきった気持ちはどこへやら。
「わ、わたしそんなに泣いてないよ!」
「んなわけあるかよ、数えてやろうか?まず、こっちに来てすぐの森だろ」
これはレッドに聞いた、とかなんとか言って、指折りわたしの号泣シーンを数えだした。
な、なんだこの羞恥プレイは。
てかなに話してくれてんのレッドくん。
「俺たちと研究所来たとき、その日の夜、ねえちゃんと話した後…」
・・・・え、
「そんで昨日。あんな鼻声で大丈夫とか言われても説得力ねえし」
絶対バレてないって、思っていたのに。
ほぼ100%の確率で言い当てられてしまった。数えていたグリーンくんの片手は、グーの形に変わってしまっている。
「今も入れたら全部で、」
「も、も、もういいってば!」
まだ数えようとしているから、自分の手を重ねて慌てて止めに入る。
てか後半は、泣く一歩手前であって…実際は泣いてない!記憶を思い返していれば、目の前からはっきりとした声。
「すぐ帰ってきてやるよ」
深い、
深い緑色。
レッドくんとは反するその色は捕えるというより、吸い込まれそう。不思議と安心させてくれて、零れそうだったわたしの涙を止めてしまった。
「即行でバッジ集めて、四天王も倒して、チャンピオンになってやる」
「うん…、グリーンくんならなれるよ」
なんだか意外そうな顔をしているから、こっちもきょとんとしてしまう。だっていつもあんなに自信たっぷりなのに。なんだか少し、思い悩むような表情をしているように見えたから素直な気持ちを伝えた。
「言ったことをやり遂げちゃうのが、わたしが知ってるグリーンくんだよ」
だって、本当にそう思っているから。
にこりと言えば、小さく笑顔が帰ってくる。
手首にずっとあった熱がゆっくりと離れていった。
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